かつて就航していた船舶
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「波照間海運」の記事における「かつて就航していた船舶」の解説
第八新栄丸(総トン数 115t、定員 65名、長さ 32m、幅員 6m)※貨客船1973年10月就航。1990年5月、老朽化のため退役。
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かつて就航していた船舶
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「国際両備フェリー」の記事における「かつて就航していた船舶」の解説
第一こくさい丸 1976年5月竣工・就航。199.99トン、全長35.3m、幅9.5m、出力600馬力、航海速力9.0ノット。 旅客定員50名。車両積載数:不明。伸和産業建造。 引退後個人事業主に売却され「蛭子丸」として笠岡-北木島豊浦間に就航。廃業に伴い廃船となる。 第十一こくさい丸 1972年8月竣工・就航。493.2総トン、全長52.5m、幅10.0m、出力2,000馬力、航海速力13.5ノット(最大14.5ノット)。 旅客定員421名。車両積載数:トラック(8t換算)21台。新浜造船建造。 1981年、関西急行フェリーに売船し、船名を「しわく丸」に変更。1991年、日本船舶明細書より削除。 第二十一こくさい丸(通称:ゾウ) 1981年10月竣工・就航。649.2総トン、全長54.8m、幅13.0m、出力2,800馬力、航海速力13.5ノット(最大14.0ノット)。 旅客定員490名。車両積載数:乗用車20台、トラック(8t換算)10台。藤原造船所建造。 1990年、四国汽船に売船し、船名を「なおしま」に変更。1997年、日本船舶明細書より削除。 第三十一こくさい丸(通称:カメ) 1990年4月竣工、同年5月就航、2000年改装。905.0総トン、全長63.2m、幅14.7m、出力4,000馬力、航海速力16.5ノット(最大17.6ノット)。 旅客定員490名。車両積載数:乗用車60台、トラック(8t換算)22台。藤原造船所建造。 2007年、タイのseatran ferryに売船されseatran ferry7として運航されている上に乗っていた亀は港近くの公園に置かれている 第三十二こくさい丸(通称:キリン) 2001年10月竣工、同年11月就航。749総トン、全長65.77m、幅14.7m、出力3,600馬力、航海速力15.0ノット(最大16.0ノット)。 旅客定員500名。車両積載数:乗用車70台。藤原造船所建造。引退後すぐ韓国で改造し、フィリピンのサンタクララシッピング会社に売船
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かつて就航していた船舶
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「マリックスライン」の記事における「かつて就航していた船舶」の解説
照国丸 1,500総トン。貨客船。 はいびすかす 2,500総トン。貨客船。 クイーンコーラル (初代) 1972年7月就航、1986年10月引退。6,385.84総トン、全長128.55m、幅17.4m、出力9,000ps、航海速力23.0ノット。 積載数:乗用車75台。林兼造船長崎造船所建造。 フェリー化第1船。1983年に引退後復帰したが「クイーンコーラル7」就航にともない引退。のち、日本国外(ギリシャ)に売却。2000年に解体。 沖縄国際海洋博覧会(1975年開催)を控えて観光客輸送を重視した仕様とされたため、離島航路にも関わらずトラックやコンテナが積載不可能だったほか、個室や娯楽空間を多く設けるなど行楽客を意識した船内設備や、優美な外観とするためランプウェイが特殊構造となるなど、照国郵船の子会社「日本高速フェリー」(現在の商船三井フェリー)の「さんふらわあ」と同様な「豪華フェリー」として建造された。 航路事情に合わない豪華船だったため、1975年末の会社更生法申請(事実上の事業破綻)の要因のひとつとなってしまった。 クイーンコーラル2 1975年4月就航。1983年6月引退。 フェリー化第2船。クイーンコーラルの拡大型として、同様な豪華フェリーのコンセプトで建造された。引退後は来島グループの所有となり、「くいーんふらわあ2」に改名のうえ関西汽船に傭船された。1995年2月、日本国外に売却。 ニュークイーンコーラル 1982年11月就航、1993年10月「クイーンコーラル」(2代目)就航にともない引退。 クイーンコーラル7 1986年10月就航、1999年9月「クイーンコーラル8」就航にともない引退、中国のフェリー会社に売却された。 クイーンコーラル (2代) 1993年3月竣工、同年10月就航、2008年12月引退。4,924総トン、全長140.01m、全幅20.50m、出力13,500PS、航海速力20.1ノット(最大22.2ノット)。 旅客定員500名。積載数:トラック27台・乗用車66台・コンテナ(8f)236個。林兼船渠長栄造船所建造。 僚船の「クイーンコーラル8」のほか、同航路を運航するマルエーフェリーの船舶とも速度差があったため、運航時刻が別立てになっていた。また、引退前にはたびたび機器故障が発生していた。 2008年12月、「クイーンコーラルプラス」就航にともない引退後、DBSクルーズフェリー(韓国)に売却。改修後「イースタン・ドリーム」と改称のうえ、鳥取県の悲願であった「環日本海横断定期航路」に2009年6月29日(2020年2月に廃止)に就航した。 2020年9月、DBSクルーズフェリー航路の廃止により韓国船会社のドゥウォン商船に買船され、舞鶴航路(京都舞鶴港 - 韓国浦項市迎日湾港 - ウラジオストク)に就航した。
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かつて就航していた船舶
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「ブルーライン (フェリー)」の記事における「かつて就航していた船舶」の解説
「ブルーライン」は、内海フェリーの当航路に就航する歴代のフェリーに1970年から使用されている船名で、初代ブルーライン (499t) は1970年就航、2代目 (699t) は1987年就航である。なお、当航路におけるブルーライン以前の就航船として、木造客船「ゆす丸」(昭和31年8月就航 34t)、鋼船客船「かんかけ」(昭和36年6月就航105t)があった。 ブルーライン (初代) 1970年11月讃岐造船で竣工・就航。496.28総トン。全長51m、幅11.6m、出力1000馬力x2基、航海速力13.42ノット(最大14.79ノット)。 旅客定員400名。 ブルーライン (2代目) 1987年10月藤原造船所で竣工・就航。699総トン。全長65.8m、幅13.8m、出力1600馬力x2基、航海速力14ノット(最大15.8ノット)。 旅客定員488名。 ブルーライン(初代、高松港) 赤灯台を通過するブルーライン(3代目、高松港) ブルーライン接岸動作中(3代目、高松港) ブルーライン接岸動作中(3代目、草壁港)
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かつて就航していた船舶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 02:31 UTC 版)
第十七わかと丸 1987年3月就航、第十八わかと丸の就航に伴い引退。43.0総トン、全長16.5m、幅5.4m、出力200馬力、速力9.26ノット。若松造船建造。 旅客定員170人。 くき丸の減トン改造以後は、平日朝のみ稼働していた。 第十六わかと丸 1981年就航。2000年3月売却。74.59総トン。機関出力200馬力。日本造船鉄工建造。 旅客定員170人。 第十五わかと丸 1978年就航。1996年3月売却。75.12総トン。機関出力200馬力。日本造船鉄工建造。 旅客定員163人。 小倉航路予備船を兼ねていた。
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