筑波久子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:01 UTC 版)
ディスコグラフィー
シングル
監督・プロデュース
チャコ・ヴァン・リューウェン名義で活動。
映画
- 『若いアメリカ人』- 監督
- ヘイ・ベイビー THE SEX LIFE (1971年、筑波コーポレーション) - 監督・ナレーション・主演
- Tender Loving Care (1973年)
- ピラニア Piranha (1978年)
- ママ、泣かないで Forever and Beyond (1981年)
- 殺人魚フライングキラー Piranha Part Two: The Spawning (1981年)
- スピリット・オブ・ファイヤー/邪教都市 Raging Angels (1995年)
- ピラニア3D Piranha 3D (2010年)
- ピラニア リターンズ Piranha 3DD (2012年)
テレビ
- ザ・ピラニア/殺戮生命体 Piranha(1995年)
関連人物
関連図書
筑波久子「わが青春に悔あり 悩殺女優の自分史『罪と愛の告解室』」(『新潮45』1992年9~11月号、1993年8~11月号)
外部リンク
- 筑波久子 - IMDb(英語)
- 筑波久子 - 日本映画データベース
- 筑波久子 - KINENOTE
- 筑波久子 - テレビドラマデータベース
- IX Film Group, INC.(英語)
- IX Film Group, INC Japan. (英語)[リンク切れ]
- ^ IMDb及び『週刊女性』1960年6月5日号、『週刊文春』1999年2月11日号等には「6月1日生まれ」とある。
- ^ “筑波久子 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE(キネノート). 2017年1月18日閲覧。
- ^ KINENOTEでは1937年生まれになっている[2]。
- ^ a b c “筑波久子 - 人物情報・関連映画 - 映画DB”. 映画DB. 2022年2月12日閲覧。
- ^ 石橋春海『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、57頁。ISBN 978-4-7747-5853-4。
- ^ 『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では、映画出演が大学側にばれて退学になったと記述している[5]。
- ^ a b 『女性自身』「シリーズ人間NO2139 “日活の看板女優”米ハリウッドの映画プロデューサーに転身して大成功 筑波久子さん(75)」(平成25年7月16日号、光文社)から
- ^ 『女性セブン』1966年12月1日号及び1968年10月23日号。
- ^ a b “筑波久子TV出演情報”. ORICON STYLE. 2016年10月31日閲覧。
固有名詞の分類
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