日活・新東宝の時代とは? わかりやすく解説

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日活・新東宝の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/01 14:38 UTC 版)

左京未知子」の記事における「日活・新東宝の時代」の解説

1937年昭和12年1月7日京都市左京区生まれる。 日活入社し郷 絢子の名で、1956年昭和31年7月12日公開され鈴木清太郎現在の鈴木清順)の監督作悪魔の街』に「京子」役で出演したのが、もっとも早い時期出演記録である。翌月同年8月28日公開され小杉勇監督主演作『暁の逃亡』での二役出演をもって左京 路子改称現役当時プロフィールや『日本映画俳優全集女優編』等では、これを公式の映画デビューとしていた。満19歳であった。翌1957年昭和32年)には1学年下にあたる筑波久子デビューしており、入れ替わるように新東宝移籍した同社では、新東宝初代社長であった佐生正三郎設立した日米映画が、日本テレビ放送網提携して製作した中篇映画殺人拳銃』や『野獣群』(監督浅野辰雄)、『強奪され拳銃』(監督木元健太)に重要な役で出演し、『脱衣室殺人』(監督沢賢介)では主演した東宝系列東京映画製作の映画にも借り出され1959年昭和34年1月15日公開され『グラマ島の誘惑』監督川島雄三)に出演している。空手二段段位を持つといい、同年6月6日公開された『暴力娘』(監督曲谷守平)では、主役万里昌代特技である柔道相手格闘対決演じたテレビ映画にも出演始めており、フジテレビジョンの『ミステリー午後十時』という一話完結シリーズのうち、1960年昭和35年1月10日放映され第9回美しき仮面』では、大空真弓とともに出演し主演している。同年末、新東宝社長であった大蔵貢退陣1961年昭和36年1月21日公開されオムニバス恋愛ズバリ講座』の第一話吝嗇』(監督三輪彰)に出演したのを最後に左京 未知子改称した同年1月7日放映の『東芝土曜劇場第93回『駄目なのよ御免あそばせ』では、すでに新表記クレジットされている。新東宝同年8月31日事実上倒産した

※この「日活・新東宝の時代」の解説は、「左京未知子」の解説の一部です。
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