K-1ヘビー級王座獲得・トップスター入りとは? わかりやすく解説

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K-1ヘビー級王座獲得・トップスター入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:57 UTC 版)

バダ・ハリ」の記事における「K-1ヘビー級王座獲得・トップスター入り」の解説

2007年3月4日K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAにて、初代K-1ヘビー級王座挑戦者決定戦ルスラン・カラエフ再戦。2ラウンドダウン奪われるも、その直後カラエフの左に合わせたカウンター右ストレート逆転の2ラウンドKO勝ち。後にこの試合SRS2007年ベストバウト賞に選ばれた。 4月28日K-1 WORLD GP 2007 IN HAWAII藤本祐介初代K-1ヘビー級王者決定戦行い、左ハイキック1ラウンドKO勝利し初代K-1ヘビー級王座獲得8月5日K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGピーター・グラハム再戦アウトボクシング展開し、3ラウンドに左ミドル右ストレートボディーに喰らわせダウン奪って判定勝ちを収めリベンジ果たした試合二人リングで肩を組み合い観衆はそれを讃えたが、その後コメントで「憎んではいないが、友人として認めたわけでもない」と語っている。 12月8日K-1 WORLD GP 2007 FINAL準々決勝戦前から舌戦繰り広げていたレミー・ボンヤスキー対戦。フルラウンドに渡り勝負となった判定負け試合後のコメントでは相手認め発言をするも、あくまで「スポーツマンとして敬意示しただけ。仲直りじゃない」、「レミー王者になれるような選手じゃない」と述べた2008年4月13日K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAレイ・セフォー対戦1ラウンド3度ダウン奪いKO勝ち。 6月29日K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA行われたK-1ヘビー級タイトルマッチグラウベ・フェイトーザ対戦し、右フック1ラウンドKO勝ち。初防衛果たした8月9日K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIスーパーファイトドマジョフ・オスタジック再戦開始早々にお互いパンチ相打ちとなり、グラつかされたが、相手のオスタジックもそのままダウンして1ラウンドKO勝ちを収めた9月27日K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16チェ・ホンマン対戦。2ラウンドにホンマンの左フックダウン喫するも、3ラウンドは左ボディブローローキック中心に攻め判定0-1ドローとなり延長ラウンド突入。しかし、延長ラウンド開始時にホンマンが試合続けることを拒否し、ホンマンサイドのタオル投入によりTKO勝ちを収めた12月6日K-1 WORLD GP 2008 FINALでは準々決勝ピーター・アーツ対戦1ラウンドダウン奪ったうえ、2ラウンドにもダウン奪った直後レフェリーストップとなりTKO勝ち。準決勝ではエロール・ジマーマンダウン奪い合いの末に3ラウンドKO勝ちを収めた決勝戦レミー・ボンヤスキー戦では1ラウンドに左フックダウン奪われ劣勢になると、2ラウンドレミーの足を手ですくうようにして倒し倒れたレミーに対して審判制止にもかかわらずパンチ打ち続け、さらにレミー頭部を足で踏みつけたため、レフェリー角田信朗バダ・ハリ引き離して試合中断反則攻撃によりレミーダメージを受けダブルヴィジョン(物が二重見えること)を訴えて試合続行不可となったため、バダ・ハリ反則行為スポーツマンシップ反すると判断されレッドカード提示された。これによりバダ・ハリ反則負けとなった試合後、バダは「感情的になってしまった。仕掛けようとしても攻撃帰ってこないので、その中で思わず、ストリートファイトのような本能目覚めてしまった。ファンにはお詫びしたい。審判団裁定真摯に受け止めたい。ただ、レミーダメージ無かったんじゃないか?反則勝ち告げられるとすぐに立ち上がり、彼なりに素晴らしスピーチ繰り広げていた。レミーセコンドからもインターバル中に立ち上がるなといった指示聞こえた今日彼の優勝は、最優秀男優賞として与えられたものにすぎない」とコメントしたその後12月17日谷川貞治からファイトマネー全額没収準優勝資格および賞金取り消し保有するK-1ヘビー級王座剥奪という処分発表された。ルールブック契約書記載されていないことを理由出場停止処分課されなかった。 2008年12月31日Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜にて、DREAM.6バダ名指し挑発した総合格闘家アリスター・オーフレイムとK-1ルール対戦1ラウンド膝蹴りと左フックコンビネーションダウン奪われ最後アリスターカウンターの左フック受けてKO負け試合後、「(K-1の方がMMAより強いと発言したが、)今日はたまたこういう結果(K-1選手MMA選手全敗になった。K-1vsMMAということはなく、試合2人選手1対1戦いであり、どちらのジャンルが強いということではない」とコメントした。またこの2人対戦はK-1ルール総合ルール1試合ずつ、計2試合行われる事が試合決定前に両者の間で合意されており、アリスターの口からも「勝敗かかわらずMMAルール再戦されることが双方の間で事前に合意していたので次は総合ルールだ。」と語られていた。しかし、その後、K-1がその話を有耶無耶してしまい記者聞かれバダ・ハリも「総合には出ない」と再戦拒否したため、2009年予定されていた総合ルールでの再戦行われることはなかった。 2009年3月28日K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAエロール・ジマーマン再戦予定であったが、調整不足を理由欠場。これは5月シュルト戦の大一番専念するための欠場とみられたが、谷川氏は「一度出場オファー受諾した後、怪我もしていないのに欠場申し出るなんてプロとして失格」と語った5月16日IT'S SHOWTIME初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者決定戦でK-1スーパーヘビー級王者セミー・シュルト対戦序盤から激しパンチ打ち合いとなり、バダ2度ダウン奪って1ラウンド45秒KO勝ち。初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座獲得した12月5日K-1 WORLD GP 2009 FINAL準々決勝ルスラン・カラエフ対戦試合開始同時に激し打ち合い展開し1ラウンド38KO勝利準決勝では大晦日KO負け喫しているアリスター・オーフレイム対戦パンチダウン奪い最後は左ハイキック1ラウンドKO勝ち。続く決勝では5月KO勝利を収めているセミー・シュルト対戦し1ラウンド3度ダウン奪われKO負け惜しくも準優勝となり、試合後は人目はばからず号泣した。なおこの結果1998年ピーター・アーツ同年シュルト並び決勝トーナメント3試合全て1ラウンドKOもしくはTKO終えた選手となり、また準優勝者ではK-1史上初の記録である。 2010年2月13日ムラッド・ボウジディに2ラウンドKO勝ちでIT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座初防衛成功4月3日K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAメインイベントアレクセイ・イグナショフ7年ぶりに再戦し、ダウン奪って判定勝ちでリベンジ成功5月29日IT'S SHOWTIME世界ヘビー級タイトルマッチヘスディ・カラケス対戦。2ラウンドにカラケスが転倒したところにキック放ち反則負けとなり、王座から陥落した試合翌日バダ陣営から「私はキック人生において二度目の同じ過ちしてしまいました。私のやった行動は自分自身のみならず観客皆様をも失望させることになりました考えた末に私は無期限謹慎決めました復帰予定がいつになるかは分かりません。自分自分罰することを決めました」というプレスリリース配信された。しかし、所属するマイクスジムマイク会長は「先日IT'S SHOWTIMEの後は9月K-1 WORLD GP開幕戦までバダ休暇をとることは最初から予定していた。バダ9月K-1 WORLD GP開幕戦復帰する予定だ」とコメントしており、自主謹慎はほとんど無意味なものであった6月8日IT'S SHOWTIME主催するヨーロピアン・ファイティング・ネットワークからバダ・ハリに対してカラケス戦の罰金処分下したことがIT'S SHOWTIME公式サイト発表された。処分決定の経緯については「バダ・ハリ本人失格が妥当な判断であることを認識しており、自ら謹慎申し出ている。また以前にK-1で同様の反則行ったが、この裁定IT'S SHOWTIME関与していない。バダ・ハリIT'S SHOWTIME大会への出場停止処分下すことは簡単だが、バダ最初から今年IT'S SHOWTIME大会にはもう出場しないことが決まっており、我々の管轄外であるK-1には出場できるので意味が無い。彼が反省している25歳若者であることを考慮して2度目チャンス与える」とした。 10月2日開催されK-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16への出場資格はあったが欠場。K-1は「2月起きた暴行事件容疑晴らすために出場辞退した」と公式発表したが、バダ・ハリ実際にオランダ離れてモロッコ休暇をとっており、裁判準備始めたのは10月下旬であった欠場理由についてバダ・ハリ本人インタビューで「K-1側は俺に高額なファイトマネー提示してオファーしてきたが、今はモチベーション低くてやる気出ない来年IT'S SHOWTIMEアムステルダム・アレナ大会でビッグ・カムバックしたい」とも語っている。 12月11日開催されK-1 WORLD GP 2010 FINALリザーブマッチへの出場オファーもあったが、ここでもモチベーション不足を理由欠場した2011年5月14日IT'S SHOWTIME LYONメインイベントで約1年ぶりに復帰戦を行いグレゴリー・トニーに1RKO勝ち。グレゴリーは「世界最強ドアマン」というニックネームを持つことから「(前年事件の)ドアマンリベンジマッチ」との声も一部からは上がったが、試合内容バダワンサイドゲームとなった

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