K-1ヘビー級王座獲得・トップスター入り
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「バダ・ハリ」の記事における「K-1ヘビー級王座獲得・トップスター入り」の解説
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAにて、初代K-1ヘビー級王座挑戦者決定戦でルスラン・カラエフと再戦。2ラウンドにダウンを奪われるも、その直後、カラエフの左に合わせたカウンターの右ストレートで逆転の2ラウンドKO勝ち。後にこの試合はSRSの2007年ベストバウト賞に選ばれた。 4月28日、K-1 WORLD GP 2007 IN HAWAIIで藤本祐介と初代K-1ヘビー級王者決定戦を行い、左ハイキックで1ラウンドKO勝利し、初代K-1ヘビー級王座を獲得。 8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGでピーター・グラハムと再戦。アウトボクシングを展開し、3ラウンドに左ミドルと右ストレートをボディーに喰らわせダウンを奪っての判定勝ちを収めリベンジを果たした。試合後二人はリングで肩を組み合い観衆はそれを讃えたが、その後のコメントで「憎んではいないが、友人として認めたわけでもない」と語っている。 12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝で戦前から舌戦を繰り広げていたレミー・ボンヤスキーと対戦。フルラウンドに渡り好勝負となったが判定負け。試合後のコメントでは相手を認める発言をするも、あくまで「スポーツマンとして敬意を示しただけ。仲直りじゃない」、「レミーは王者になれるような選手じゃない」と述べた。 2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAでレイ・セフォーと対戦。1ラウンドに3度のダウンを奪いKO勝ち。 6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1ヘビー級タイトルマッチでグラウベ・フェイトーザと対戦し、右フックで1ラウンドKO勝ち。初防衛を果たした。 8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのスーパーファイトでドマジョフ・オスタジックと再戦。開始早々にお互いのパンチが相打ちとなり、グラつかされたが、相手のオスタジックもそのままダウンして1ラウンドKO勝ちを収めた。 9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でチェ・ホンマンと対戦。2ラウンドにホンマンの左フックでダウンを喫するも、3ラウンドは左ボディブローやローキックを中心に攻め、判定0-1でドローとなり延長ラウンドへ突入。しかし、延長ラウンド開始時にホンマンが試合を続けることを拒否し、ホンマンサイドのタオル投入によりTKO勝ちを収めた。 12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALでは準々決勝でピーター・アーツと対戦。1ラウンドにダウンを奪ったうえ、2ラウンドにもダウンを奪った直後にレフェリーストップとなりTKO勝ち。準決勝ではエロール・ジマーマンとダウンの奪い合いの末に3ラウンドKO勝ちを収めた。 決勝戦のレミー・ボンヤスキー戦では1ラウンドに左フックでダウンを奪われ劣勢になると、2ラウンドにレミーの足を手ですくうようにして倒し、倒れたレミーに対して審判の制止にもかかわらずパンチを打ち続け、さらにレミーの頭部を足で踏みつけたため、レフェリーの角田信朗がバダ・ハリを引き離して試合が中断。反則攻撃によりレミーがダメージを受けダブルヴィジョン(物が二重に見えること)を訴えて試合続行不可能となったため、バダ・ハリの反則行為がスポーツマンシップに反すると判断されレッドカードが提示された。これによりバダ・ハリは反則負けとなった。 試合後、バダは「感情的になってしまった。仕掛けようとしても攻撃が帰ってこないので、その中で思わず、ストリートファイトのような本能が目覚めてしまった。ファンにはお詫びしたい。審判団の裁定を真摯に受け止めたい。ただ、レミーはダメージが無かったんじゃないか?反則勝ちが告げられるとすぐに立ち上がり、彼なりに素晴らしいスピーチを繰り広げていた。レミーのセコンドからもインターバル中に立ち上がるなといった指示が聞こえた。今日の彼の優勝は、最優秀男優賞として与えられたものにすぎない」とコメントした。その後、12月17日に谷川貞治からファイトマネーの全額没収、準優勝の資格および賞金の取り消し、保有するK-1ヘビー級王座剥奪という処分が発表された。ルールブックや契約書に記載されていないことを理由に出場停止処分は課されなかった。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜にて、DREAM.6でバダが名指しで挑発した総合格闘家のアリスター・オーフレイムとK-1ルールで対戦。1ラウンド膝蹴りと左フックのコンビネーションでダウンを奪われ、最後はアリスターのカウンターの左フックを受けてKO負け。試合後、「(K-1の方がMMAより強いと発言したが、)今日はたまたまこういう結果(K-1選手がMMA選手に全敗)になった。K-1vsMMAということはなく、試合は2人の選手の1対1の戦いであり、どちらのジャンルが強いということではない」とコメントした。またこの2人の対戦はK-1ルールと総合ルールで1試合ずつ、計2試合行われる事が試合決定前に両者の間で合意されており、アリスターの口からも「勝敗にかかわらず、MMAルールで再戦されることが双方の間で事前に合意していたので次は総合ルールだ。」と語られていた。しかし、その後、K-1がその話を有耶無耶にしてしまい、記者に聞かれたバダ・ハリも「総合には出ない」と再戦を拒否したため、2009年に予定されていた総合ルールでの再戦は行われることはなかった。 2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAでエロール・ジマーマンと再戦予定であったが、調整不足を理由に欠場。これは5月のシュルト戦の大一番に専念するための欠場とみられたが、谷川氏は「一度は出場オファーを受諾した後、怪我もしていないのに欠場を申し出るなんてプロとして失格」と語った。 5月16日、IT'S SHOWTIMEの初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者決定戦でK-1スーパーヘビー級王者セミー・シュルトと対戦。序盤から激しいパンチの打ち合いとなり、バダが2度のダウンを奪って1ラウンド45秒KO勝ち。初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座を獲得した。 12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALの準々決勝でルスラン・カラエフと対戦。試合開始と同時に激しい打ち合いを展開し、1ラウンド38秒KO勝利。準決勝では大晦日にKO負けを喫しているアリスター・オーフレイムと対戦。パンチでダウンを奪い、最後は左ハイキックで1ラウンドKO勝ち。続く決勝では5月にKO勝利を収めているセミー・シュルトと対戦し、1ラウンドに3度のダウンを奪われKO負け。惜しくも準優勝となり、試合後は人目もはばからず号泣した。なおこの結果、1998年のピーター・アーツ、同年のシュルトと並び決勝トーナメント3試合全てを1ラウンドKOもしくはTKOで終えた選手となり、また準優勝者ではK-1史上初の記録である。 2010年2月13日、ムラッド・ボウジディに2ラウンドKO勝ちでIT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座の初防衛に成功。 4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAのメインイベントでアレクセイ・イグナショフと7年ぶりに再戦し、ダウンを奪っての判定勝ちでリベンジに成功。 5月29日、IT'S SHOWTIME世界ヘビー級タイトルマッチでヘスディ・カラケスと対戦。2ラウンドにカラケスが転倒したところにキックを放ち反則負けとなり、王座から陥落した。試合翌日にバダ陣営から「私はキック人生において二度目の同じ過ちをしてしまいました。私のやった行動は自分自身のみならず観客の皆様をも失望させることになりました。考えた末に私は無期限謹慎を決めました。復帰予定がいつになるかは分かりません。自分で自分を罰することを決めました」というプレスリリースが配信された。しかし、所属するマイクスジムのマイク会長は「先日のIT'S SHOWTIMEの後は9月のK-1 WORLD GP開幕戦までバダが休暇をとることは最初から予定していた。バダは9月のK-1 WORLD GP開幕戦で復帰する予定だ」とコメントしており、自主謹慎はほとんど無意味なものであった。6月8日、IT'S SHOWTIMEを主催するヨーロピアン・ファイティング・ネットワークからバダ・ハリに対してカラケス戦の罰金処分を下したことがIT'S SHOWTIME公式サイトで発表された。処分の決定の経緯については「バダ・ハリ本人が失格が妥当な判断であることを認識しており、自ら謹慎を申し出ている。また以前にK-1で同様の反則を行ったが、この裁定にIT'S SHOWTIMEは関与していない。バダ・ハリにIT'S SHOWTIMEの大会への出場停止処分を下すことは簡単だが、バダは最初から今年のIT'S SHOWTIMEの大会にはもう出場しないことが決まっており、我々の管轄外であるK-1には出場できるので意味が無い。彼が反省している25歳の若者であることを考慮して2度目のチャンスを与える」とした。 10月2日に開催されたK-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16への出場資格はあったが欠場。K-1は「2月に起きた暴行事件の容疑を晴らすために出場を辞退した」と公式発表したが、バダ・ハリは実際にはオランダを離れてモロッコで休暇をとっており、裁判の準備を始めたのは10月下旬であった。欠場理由についてバダ・ハリ本人はインタビューで「K-1側は俺に高額なファイトマネーを提示してオファーしてきたが、今はモチベーションが低くて、やる気が出ない。来年のIT'S SHOWTIMEのアムステルダム・アレナ大会でビッグ・カムバックしたい」とも語っている。 12月11日に開催されたK-1 WORLD GP 2010 FINALのリザーブマッチへの出場オファーもあったが、ここでもモチベーション不足を理由に欠場した。 2011年5月14日、IT'S SHOWTIME LYONのメインイベントで約1年ぶりに復帰戦を行いグレゴリー・トニーに1RKO勝ち。グレゴリーは「世界最強のドアマン」というニックネームを持つことから「(前年の事件の)ドアマンのリベンジマッチ」との声も一部からは上がったが、試合内容はバダのワンサイドゲームとなった。
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