1978年~1982年
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「トップクラフト」の記事における「1978年~1982年」の解説
1978年 町一番のけちんぼう THE STINGIEST MAN IN TOWN カラー 52分 アメリカ、NBC放映 原作:C・ディケンズ 脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード:山田勝久 演出:山田勝久 作画監督:小林一幸・窪 秀巳 原画:吉田忠勝・佐々木よし子・吉田正広・河田章子 美術設定:吉原一輔 美術:伊藤和子 キャラクター・デザイン:ポール・クーカー・Jr/小林一幸・窪 秀巳 実制作期間:1978年4月~10月 総カット数:500カット 色数:185色 この作品は、日本とアメリカでクリスマスに同時放映された。トップクラフトとランキン/バス合作作品がオンエアーされた初めての作品である。原作は有名なC・ディケンズの『クリスマス・キャロル』で、原作にあるグロテスクな描写は抑えられ、全編ミュージカル仕立てになっている。音楽シーンがアクセントになり、踊ったり、歌ったり、楽しい古き良き時代の物語になっている。主人公のスクルージの声は、ウォルター・マッソーで、キャラクターも似せられている。日本語版での声は財津一郎で、アフレコ前にフィルムを見せて欲しいとの希望があり、スタッフ曰く大変熱心にこの作品に取り組んだ。日本語版でのハンバッグの声は、堺正章で、こちらも作品にアクセントを添えている。この作品はミュージカル・シーンが多いので、声優はみな唄の歌える人たちでキャスティグされている。背景の見せ場としては、タイトル・バックで使われている、ロンドンの街の大俯瞰と、ハンバックが唄う、キリスト誕生の唄でのステンド・グラスのシーンがあげられる。日本語版は5分ほどカットされている。放映時間は4時30分からテレビ朝日放映。視聴率は約11%だった。 1979年 ホビットの冒険 王の帰還 THE RETURN OF THE KING カラー 97分 アメリカ、ABC放映 原作:J・R・R・トールキン 脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード:窪 詔之 スーパー・バイザー:窪 詔之 演出:山田勝久 作画監督:小林一幸・窪 秀巳 原画:小林一幸・窪 秀巳・吉田忠勝 美術設定:西田 稔 美術:伊藤和子 キャラクター・デザイン: レスター・エイブラム/窪 詔之 実制作期間:1978年9月~1979年11月 枚数:4万7千枚 総カット数:1273カット 色数:280色 J・R・R・トールキンの『指輪物語三部作』から『王の帰還』を、『ホビットの冒険』のパートIIという扱いで構成している。原作をかなり省略し、ナレーションと音楽シーンでつないでいる。この作品に入る前のミーティングは、ミドル・アースの歴史的背景の分析から始まり、この作品の内容を徹底して理解するハードなものだった。作画方法は基本的に『ホビットの冒険』の延長ではあるが、前回より線を簡略化し色数も少なくしている。背景は『ホビットの冒険』のとき、キャラクターよりも背景が目立ってしまうところがあったので、若干抑えぎみである。別班で、オランダとの合作『ドクター・スナッグル(不思議博士の冒険)』が進行、22分ものの作品で7本制作された。『フロド』制作後、再び『新ルパン三世』を手がけている。また、『生徒諸君!』のパイロットが作られている。 1981年 最後のユニコーン THE LAST UNICORN カラー 97分 劇場用ビスタ・ビジョン 原作:ピーター・S・ビーグル 脚本:ピーター・S・ビーグル ストーリー・ボード:山田勝久・窪 詔之/ドン・デュガ 演出:山田勝久 原画:小林一幸・窪 秀巳・吉田忠勝 美術設定:西田 稔 美術:吉原一輔・岩崎三雄 キャラクター・デザイン:レスター・エイブラム/窪 詔之 実制作期間:1979年12月~1981年9月 枚数:7万5千枚 総カット数:1187カット 色数:260色 トップクラフト初の劇場用合作作品である。原作者のピーター・S・ビーグル自身が脚本を担当しているが、原作よりもかなり単純になっている。この物語で登場する赤い牡牛は死と恐怖のシンボル、そしてユニコーンは生命と処女を表すことを軸に、余計なエピソードはすべてカットされている。常春のユニコーンの森から始まるこの作品において、画面をいかに美しく構成するかが大きなテーマのひとつであった。ユニコーンの森は、カイ・ニールセンの様式的な画風の背景をモチーフに用いている。タイトル・バックは、中世のタペストリーを模している凝ったものとなった。ロック・グループのアメリカの唄うテーマ曲とよくマッチしていて心地よい。赤い牡牛が存在する場面では、背景に赤い牡牛の炎の照り返しがつけられている。これは背景の上に赤い透過光をダブらせている。赤い牡牛が移動すると、その光も移動するのだが、背景の奥行きやパース、フォルムに合わせてマスクを作っている。この作品では全体に透過光は多いが、画面の効果としてさりげなく使われている。森の中のかすかな木洩れ陽の透過光は、透明感を醸し出している。ラスト近くで、シュメンドリックとモリーが川面に立って話をしているシーンがある。川の流れにふたりの姿が映えて、川底が見えるシーンは、水の透明感を際だたせている。 もうひとつの大きなテーマとして、キャラクターの性格や表情を十分に出すといる問題があった。作画と演出とのディスカッションだけでなく、アクションの研究のため、演劇の役者をよんでリーア王子とアマルシア姫の演技をしてもらい、これを参考にアニメーションを創った部分もある。また、ハガード城は、正確を期するために油粘土でモデルを作り、カラー・ライティングをして写真を撮り、アングルや光の受け方を研究している。この作品にもいくつかの音楽シーンが取り入れられている。作曲は、ジミー・ウェッブ。中でもリーア王子が、アマルシア姫に唄いかける「That's all I've got to say」は、アート・ガーファンクルのアルバム、『シザーズ・カット』のラストに取り上げられている。画面のクォリティを考え、ハンドトレスが多用されているので非常に手間と時間がかかっている。また赤い牡牛が倒され海に入っていくと、波間からユニコーンの大群が現れるモブシーンや、ハガードの城が崩壊するシーンなど、この作品での各セクションのスタッフの努力は並大抵のものではなかった。なお、実際には撮影されているシーンで、公開時にカットされたシーンがあったため、上映時間は若干短くなっている。 1982年 空飛ぶドラゴンたち THE FLIGHT OF DRAGONS カラー 97分 原作:ピーター・ディッキンソン『空飛ぶドラゴンたち』/ゴードン・R・ディクソン『ドラゴンになった青年』 脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード:山田勝久 演出:山田勝久・高山文彦 スーパー・バイザー:窪 詔之 レイアウト:吉田忠勝・窪 秀巳・熊田 勇・白梅 進 原画:佐々木よし子・渡部高志・金子紀男・細谷 満・木上益治・相沢まり子・羽根章悦 美術設定:吉原一輔 美術:西田 稔・岩崎三雄 キャラクター・デザイン:ウェイン・アンダーソン 実制作期間:1981年3月~1982年1月 枚数:5万5千枚 総カット数:1145カット 色数:240色 魔法使いのカロライナスは、自分たちのマジックの世界を、外界(科学の世界)から、目に見えない障壁で覆って保護しようと考える。しかし、同じ兄弟でありながら、悪の魔法を操るオマドンは、これに反対する。カロライナスは、平和のためにオマドンに対抗しようとするが、マジックの永遠の掟は兄弟がおたがいに争うことを禁じていた。アンティキティの神託により現代よりピーターが召喚される。このマジックの世界は、ピーターが夢見たドラゴンと、理想の女性メリサンデの実在する世界だった。しかし、マジックの失敗から、ピーターはドラゴンの体の中に溶け込んでしまう。これが発端になり、物語が展開していく。原作者が違う二つの作品のエッセンスをブレンドして、アニメらしい脚本にまとめられている。この作品の中では、「何故ドラゴンが空を飛べるのか?」という問いに、「石灰石は、炭酸カルシウム、すなわち胃液の酸と混じると水素を発生して…」と説明しており、ファンタジーに科学的な解釈が入り、この作品のテーマにも絡んでくる。この作品の背景は、まず、ポスター・カラーで色をつけておき、その上に色鉛筆で細かくタッチをつけていく方法をとっている。これは、イラストレーターのウェイン・アンダーソンの画風を参考にしている。別班にてオランダとの合作『ボンメルとトンプス』が制作されている。
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1978年 - 1982年
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「トラピーズ」の記事における「1978年 - 1982年」の解説
1978年、ピート・ライトが復帰し、新メンバーのピート・ゴールビーが加入してニューアルバム『ホールド・オン』(Hold On) をリリース。 1979年にホランドがジューダス・プリーストに移籍するためグループを脱退。ついにオリジナル・メンバーはギャレーひとりとなり、新ドラマー、スティーヴ・ブレイが加入して『ライブ・イン・テキサス-デッド・アルマジロ 』(Live in Texas: Dead Armadillos)を発表した。 1981年、ピート・ゴールビーがユーライア・ヒープ移籍のために脱退。ギャレーはマーヴィン・スペンス(ベース)、リチャード・ベイリー(キーボード)を加えてツアーを行うが、結局ギャレー自身がホワイトスネイクに移籍するを決め、1982年にトラピーズは解散した。
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1978年 - 1982年
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「チランジーヴィ」の記事における「1978年 - 1982年」の解説
『Punadhirallu』で俳優のキャリアを始めるが、最初に公開された出演作は1978年の『Pranam Khareedu』だった。同年にバープ(英語版)の『Mana Voori Pandavulu』にも出演し、知名度を上げた。1979年に『Tayaramma Bangarayya』で端役を演じ、『I Love You』『Idi Katha Kaadu』ではアンチヒーローを演じている。同年に8本の映画に出演し、1980年には14本の映画に出演した。この時期には『Mosagadu』『Rani Kasula Rangamma』『47 Natkal』『Nyayam Kavali』『Ranuva Veeran』で主演を務めた。 1982年にはコディ・ラーマクリシュナ(英語版)の『Intlo Ramayya Veedhilo Krishnayya』など興行的な成功を収める作品で主役を演じるようになった。同年にはカシナトゥニ・ヴィシュワナート(英語版)の『Subhalekha』でフィルムフェア賞 最優秀テルグ語主演男優賞(英語版)を受賞している。この他に『Idi Pellantara』『Sitadevi』『Tingu Rangadu』『Bandhalu Anubandhalu』『Mondi Ghatam』『Patnam Vachina Pativrathalu』『Manchu Pallaki』に出演している。
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