1978年~1982年とは? わかりやすく解説

1978年~1982年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:51 UTC 版)

トップクラフト」の記事における「1978年~1982年」の解説

1978年 町一番のけちんぼう THE STINGIEST MAN IN TOWN カラー 52アメリカNBC放映 原作:C・ディケンズ 脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード山田勝久 演出山田勝久 作画監督小林一幸・窪 秀巳 原画吉田忠勝・佐々木よし子吉田正広河田章美術設定吉原一輔 美術伊藤和子 キャラクター・デザイン:ポール・クーカー・Jr/小林一幸・窪 秀巳 実制作期間1978年4月10月カット数:500カット 色数185色 この作品は、日本アメリカでクリスマス同時放映された。トップクラフトランキンバス合作作品オンエアーされた初めての作品である。原作有名なC・ディケンズの『クリスマス・キャロル』で、原作にあるグロテスクな描写抑えられ全編ミュージカル仕立てになっている音楽シーンアクセントになり、踊ったり、歌ったり、楽しい古き良き時代物語になっている主人公スクルージの声は、ウォルター・マッソーで、キャラクター似せられている。日本語版での声は財津一郎で、アフレコ前にフィルム見せて欲しいとの希望があり、スタッフ曰く大変熱心にこの作品取り組んだ日本語版でのハンバッグの声は、堺正章で、こちらも作品アクセント添えている。この作品はミュージカル・シーンが多いので、声優はみな唄の歌える人たちでキャスティグされている。背景見せ場としては、タイトル・バック使われている、ロンドンの街の大俯瞰と、ハンバックが唄うキリスト誕生の唄でのステンド・グラスシーンあげられる日本語版は5分ほどカットされている。放映時間4時30分からテレビ朝日放映視聴率は約11%だった。 1979年 ホビットの冒険 王の帰還 THE RETURN OF THE KING カラー 97アメリカ、ABC放映 原作J・R・R・トールキン 脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード:窪 詔之 スーパー・バイザー:窪 詔之 演出山田勝久 作画監督小林一幸・窪 秀巳 原画小林一幸・窪 秀巳・吉田忠美術設定西田 稔 美術伊藤和子 キャラクター・デザイン: レスター・エイブラム/窪 詔之 実制作期間1978年9月1979年11月 枚数:47千枚カット数:1273カット 色数280J・R・R・トールキンの『指輪物語三部作』から『王の帰還』を、『ホビットの冒険』のパートIIという扱い構成している。原作をかなり省略しナレーション音楽シーンつないでいる。この作品に入る前のミーティングは、ミドル・アース歴史的背景分析から始まり、この作品の内容徹底して理解するハードなのだった作画方法基本的にホビットの冒険』の延長ではあるが、前回より線を簡略化色数少なくしている。背景は『ホビットの冒険』のとき、キャラクターよりも背景目立ってしまうところがあったので、若干抑えぎみである。別班で、オランダとの合作『ドクター・スナッグル(不思議博士冒険)』が進行22分ものの作品で7本制作された。『フロド制作後、再び『新ルパン三世』を手がけている。また、生徒諸君!』のパイロット作られている。 1981年 最後ユニコーン THE LAST UNICORN カラー 97劇場ビスタ・ビジョン 原作ピーター・S・ビーグル 脚本ピーター・S・ビーグル ストーリー・ボード山田勝久・窪 詔之/ドン・デュガ 演出山田勝久 原画小林一幸・窪 秀巳・吉田忠美術設定西田 稔 美術吉原一輔・岩崎三雄 キャラクター・デザイン:レスター・エイブラム/窪 詔之 実制作期間1979年12月1981年9月 枚数:75千枚カット数:1187カット 色数260トップクラフト初の劇場合作作品である。原作者ピーター・S・ビーグル自身脚本担当しているが、原作よりもかなり単純になっている。この物語登場する赤い牡牛は死と恐怖シンボル、そしてユニコーン生命処女を表すことを軸に、余計なエピソードはすべてカットされている。常春ユニコーンから始まるこの作品において、画面をいかに美しく構成するかが大きなテーマのひとつであったユニコーンは、カイ・ニールセン様式的な画風背景モチーフ用いている。タイトル・バックは、中世タペストリー模している凝ったものとなった。ロック・グループのアメリカ唄うテーマ曲とよくマッチしていて心地よい。赤い牡牛存在する場面では、背景に赤い牡牛の炎の照り返しつけられている。これは背景の上に赤い透過光ダブらせている。赤い牡牛移動すると、その光も移動するのだが、背景奥行きパースフォルム合わせてマスク作っている。この作品では全体透過光は多いが、画面効果としてさりげなく使われている。の中のかすかな木洩れ陽透過光は、透明感醸し出している。ラスト近くで、シュメンドリックとモリー川面立って話をしているシーンがある。川の流れにふたりの姿が映えて川底見えシーンは、水の透明感を際だたせている。 もうひとつ大きなテーマとして、キャラクター性格表情十分に出すといる問題があった。作画演出とのディスカッションだけでなく、アクション研究のため、演劇役者をよんでリーア王子とアマルシア姫の演技をしてもらい、これを参考アニメーションを創った部分もある。また、ハガード城は、正確を期するために油粘土モデル作り、カラー・ライティングをして写真撮りアングルや光の受け方研究している。この作品にもいくつかの音楽シーン取り入れられている。作曲は、ジミー・ウェッブ中でもリーア王子が、アマルシア姫に唄いかける「That's all I've got to say」は、アート・ガーファンクルアルバム、『シザーズ・カット』のラスト取り上げられている。画面クォリティ考え、ハンドトレスが多用されているので非常に手間時間かかっている。また赤い牡牛倒され海に入っていくと、波間からユニコーン大群現れるモブシーンや、ハガードの城が崩壊するシーンなど、この作品での各セクションスタッフ努力並大抵のものではなかった。なお、実際に撮影されているシーンで、公開時カットされたシーンがあったため、上映時間若干短くなっている。 1982年 空飛ぶドラゴンたち THE FLIGHT OF DRAGONS カラー 97原作ピーター・ディッキンソン空飛ぶドラゴンたち』/ゴードン・R・ディクソンドラゴンになった青年脚本:ロメオ・ミューラー ストーリー・ボード山田勝久 演出山田勝久高山文彦 スーパー・バイザー:窪 詔之 レイアウト吉田忠勝・窪 秀巳・熊田 勇・白梅原画佐々木よし子渡部高志金子紀男・細谷 満・木上益治相沢まり子羽根章悦 美術設定吉原一輔 美術西田 稔岩崎三雄 キャラクター・デザイン:ウェイン・アンダーソン 実制作期間1981年3月1982年1月 枚数5万5千枚カット数:1145カット 色数240色 魔使いのカロライナスは、自分たちのマジック世界を、外界科学世界)から、目に見えない障壁覆って保護しよう考える。しかし、同じ兄弟ありながら、悪の魔法を操るオマドンは、これに反対する。カロライナスは、平和のためにオマドンに対抗しようとするが、マジック永遠の掟は兄弟おたがいに争うことを禁じていた。アンティキティ神託により現代よりピーター召喚される。このマジック世界は、ピーター夢見たドラゴンと、理想の女性メリサンデの実在する世界だった。しかし、マジック失敗から、ピータードラゴン体の中溶け込んでしまう。これが発端になり、物語展開していく。原作者が違う二つ作品エッセンスブレンドして、アニメらしい脚本にまとめられている。この作品の中では、「何故ドラゴンが空を飛べるのか?」という問いに、「石灰石は、炭酸カルシウム、すなわち胃液の酸と混じる水素発生して…」と説明しており、ファンタジー科学的な解釈入り、この作品のテーマにも絡んでくる。この作品の背景は、まず、ポスター・カラーで色をつけておき、その上に色鉛筆細かくタッチをつけていく方法とっている。これは、イラストレーターのウェイン・アンダーソンの画風参考にしている。別班にてオランダとの合作『ボンメルとトンプス』が制作されている。

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1978年 - 1982年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 05:22 UTC 版)

トラピーズ」の記事における「1978年 - 1982年」の解説

1978年、ピート・ライトが復帰し新メンバーのピート・ゴールビーが加入してニューアルバム『ホールド・オン』(Hold On) をリリース1979年ホランドジューダス・プリースト移籍するためグループ脱退。ついにオリジナル・メンバーギャレーひとりとなり、新ドラマー、スティーヴ・ブレイが加入して『ライブ・イン・テキサス-デッド・アルマジロ 』(Live in Texas: Dead Armadillos)を発表した1981年、ピート・ゴールビーがユーライア・ヒープ移籍のために脱退ギャレーはマーヴィン・スペンス(ベース)、リチャード・ベイリー(キーボード)を加えてツアーを行うが、結局ギャレー自身ホワイトスネイク移籍する決め1982年トラピーズ解散した

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1978年 - 1982年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 18:07 UTC 版)

チランジーヴィ」の記事における「1978年 - 1982年」の解説

『Punadhirallu』で俳優キャリア始めるが、最初に公開され出演作1978年の『Pranam Khareedu』だった。同年バープ英語版)の『Mana Voori Pandavulu』にも出演し知名度上げた1979年に『Tayaramma Bangarayya』で端役演じ、『I Love You』『Idi Katha Kaadu』ではアンチヒーロー演じている。同年に8本の映画出演し1980年には14本の映画出演した。この時期には『Mosagadu』『Rani Kasula Rangamma』『47 Natkal』『Nyayam Kavali』『Ranuva Veeran』で主演務めた1982年にはコディ・ラーマクリシュナ(英語版)の『Intlo Ramayya Veedhilo Krishnayya』など興行的成功を収める作品主役演じようになった同年にはカシナトゥニ・ヴィシュワナート(英語版)の『Subhalekha』でフィルムフェア賞 最優秀テルグ語主演男優賞英語版)を受賞している。この他に『Idi Pellantara』『Sitadevi』『Tingu Rangadu』『Bandhalu Anubandhalu』『Mondi Ghatam』『Patnam Vachina Pativrathalu』『Manchu Pallaki』に出演している。

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