1978年 - 1997年
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「立正佼成会」の記事における「1978年 - 1997年」の解説
この時代を、『普門示現の時代』と呼んでいる。人々に法華経の教えを弘め、それまでの経典・教義教育・指導研鑽による、人間修養を継続しつつ、地域社会・国家・世界平和の実現に向けて貢献していくことが目標となった。これにより全国各地で「一食(いちじき)を捧げる運動」や「アフリカへ毛布をおくる運動」、「ユニセフ街頭募金」などが始まり、これらの市民運動化が目指された。また、WCRP(世界宗教者平和会議)を中心に軍縮や核兵器の廃絶運動など、宗教協力を基盤とした平和活動を展開した。 1978年1月1日 教団創立40周年、『普門示現の時代』を迎える 6月12日 庭野開祖会長がWCRPの名誉議長として第1回国連軍縮特別総会で演説 1979年4月9日 庭野開祖会長が「テンプルトン賞」を受賞(宗教界のノーベル賞とも言われている) 8月29日 第3回WCRP(アメリカ・プリンストン)に参加 10月2日 庭野開祖会長が「一食を捧げる運動」の国民運動化を訴える 1980年6月2日 庭野開祖会長がイランを訪問し、実効指導者である宗教者ホメイニ師にアメリカ大使館員らの人質解放を要請 1981年6月29日 同宗連(『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議)が発足し、加盟 10月5日 平和主義の推進、信教の自由の堅持、政治倫理の確立、行政改革の推進など会の政治理念を鈴木善幸首相(当時)や各党首に表明 11月7日 インドのニューデリーで開催された第2回ACRP(アジア宗教者平和会議)に参加 1982年5月23日 新宗連(新日本宗教団体連合会)の「核兵器廃絶軍縮署名運動」に参加 6月24日 庭野開祖会長がIARF(国際自由宗教連盟)会長として第2回国連軍縮特別総会で2度目の演説 1983年4月7日 第1回「庭野平和賞」贈呈式。受賞者はブラジルのヘルダー・O・カマラ大司教 1984年7月27日 第25回IARF世界大会を開催 8月23日 第4回WCRPをケニアのナイロビで開催 12月15日 官民合同による「アフリカへ毛布を送る会」発足。その後、現在の「アフリカへ毛布をおくる運動」に発展 1986年3月20日 庭野日鑛次代(現)会長がローマ教皇庁立サレジオ大学から名誉哲学博士号を受ける 6月17日 第3回ACRP(韓国・ソウル)に参加 10月27日 「アッシジ平和祈願の集い」(イタリア)に庭野会長が出席 1987年8月3日 「比叡山宗教サミット」に庭野開祖会長、庭野次代会長が出席 1988年3月5日 教団創立50周年記念式典挙行 4月15日 立正佼成会青年部(現:青年本部)が国連平和賞を受賞。伝達式を本部大聖堂にて明石康国連事務次長(当時)臨席の下挙行 6月8日 庭野開祖会長が立正佼成会会長として第3回国連軍縮総会で3度目の演説 1989年1月22日 第5回WCRP(オーストラリア・メルボルン)に参加 1991年1月18日 湾岸戦争の勃発に対し、WCRP日本委員会が庭野日敬理事長名で「緊急アピール」を発表 10月29日 第4回ACRP(ネパール・カトマンズ)に参加 11月15日 「法燈継承式」で庭野開祖会長の長男である庭野日鑛が第2代会長に就任 12月26日 中央学術研究所が脳死臨調に「脳死移植に関する意見書」を提出 1992年2月28日 庭野会長が第2代会長就任後、初の全国巡教がスタート。青年本部に「国際人材塾」「グローバル・ボランティアズ」を開設 6月7日 庭野会長がアメリカ・シカゴのミードビル・ロンバード神学大学院から名誉神学博士号を受ける 10月26日 新宗連全国総会で庭野開祖が名誉理事長に、庭野会長が副理事長に就任 11月15日 庭野開祖がローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受章 1993年7月23日 北海道南西沖地震で佼成ボランティア隊を奥尻島等へ派遣 11月15日 庭野開祖がICCJ(キリスト教・ユダヤ教国際協議会)から「インターフェイス・メダリオン(宗教対話促進賞)」を受賞 1994年1月1日 教団副理事長の内田昌孝が第2代理事長に就任。これにより永年理事長職を務めていた長沼基之は教団特別顧問に退く 6月1日 中央学術研究所が「臓器の移植に関する法律案」への見解発表 11月3日 第6回WCRP(イタリア)に参加 11月17日 庭野会長が長女の光代を会長後継者に指名、法名「光祥」を発表 1995年1月17日 阪神・淡路大震災で教団本部と現地に災害対策本部を設置。医療団とボランティア隊を派遣し、教団施設を避難所として一般開放した。 10月5日 宗教法人法の改正に対する「意見書」を発表 10月9日 田沢智治法務大臣(佼成学園理事)が辞職。佼成会から借用した2億円を政治資金規正法による処理をしなかったことと、当時野党第一党だった新進党に代表質問でこの問題を取り上げないよう裏取引しようとしたことが原因 1996年1月1日 教団理事・教務部長の酒井教雄が第3代理事長に就任 10月15日 第5回ACRP(タイ・アユタヤ)に参加 1997年9月26日 庭野会長がボスニア・ヘルツェゴビナを訪問。ボスニア和平に向け、4宗教の指導者と会談 10月26日 庭野会長が中韓日仏教友好交流会議(京都、奈良)に参加
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