美術大学受験予備校とは? わかりやすく解説

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美術大学受験予備校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:30 UTC 版)

予備校」の記事における「美術大学受験予備校」の解説

一部美大東京工芸大学多摩美術大学など)では一般入学試験出願において「高等学校等コード表」のほかアンケート用に「予備校美術研究所コード表」を作成しており、これによって全国予備校美術研究所等が示されている。以下が該当する予備校の例である。 礒貝文子絵画教室天王寺美術学院 トーリン美術予備校 東京武蔵野美術学美大受験予備校KIKUNAアトリエ 横浜美術学ドルチェ美術研究所 アトリエ新松戸 埼玉美術学湘南美術学院 仙台美術予備校 大阪美術研究所 ASAKAアートスクール KILALA美術学院 専門学校中の島美術学院 新宿美術学院 美術研究所画塾 アトリエエム 九州美術ゼミナール 千葉美術予備校 福岡美術学院 宇都宮メディアアーツ専門学校美大受験美術予備校/美大予備校は、美術大学実技受験指導特化した教育機関として知られる。『日本近現代美術史事典』(多木浩二藤枝晃雄監修東京書籍, 2007年 ISBN:978-4-487-73335-4)で荒木也の著述による 17美術教育】「美術学校大学予備校」によると、日本有名な美術大学入試倍率高く受験には高度な実技能力求められるため、予備校日本の美術教育果たした役割は非常に大きいとし、また受験生講師仲間受験生一丸となって受験に励むことから、社会的紐帯はぐくむ場、友人関係を形成するとしての意義も非常に大きいとし、さらには曲りなりにもデッサン技術という美術基礎を学ぶ場としての実績過小評価されるべきではないとし、また多く美術家学生時代こうした予備校講師となって生計立てていた事実考慮すると、美術予備校教育単なる一段階を越えて美術界全体深く関わる存在意義も非常に大きいとされる。 これらの前身黎明期洋画家経営する西洋画初歩指導していた個人画塾であるとし、東京芸術大学美術学部である東京美術学校設立前から存在していたとされる。そして1896年東京美術学校西洋画科が設立されると、画塾受験対策開始して受験予備校としての性格強めた早くから美術学校予備校としての機能明確にしたのは1891年設立した美術講習所共立美術学館)であり、狩野友信広川三郎らが指導したまた、東京藝術大学百年史:美術学校篇』(ぎょうせい)によると、美術学校教授たちも美術研究所呼ばれる予備教育施設経営積極的に乗り出していったという。こうした美術研究所多くの若い画学生を集め美術予備教育の場に加え受験勉強の場としての発展遂げた第二次大戦期にはこれらの予備校閉鎖されたが、戦後1945年三輪孝が阿佐ヶ谷美術学洋画研究所(現・阿佐ヶ谷美術専門学校)を設立した1953年北海道札幌美術学園が創立され1956年高澤節が美術研究所「すいどーばた洋画会」を設立した。これは1965年すいどーばた美術学院発展するすいどーばた美術学院海外美術留学コース設置したが、2017年4月より姉妹校創形美術学校コース移行した1958年御茶の水美術学院などのデザイナーアーティストだけでなく、芸能人卒業生もいる老舗予備校誕生した。こうして美術予備校新しく登場し東京芸術大学開学すると合格者数競うようになった1960年代美大受験生の数が急増芸術大学美術大学受験教育を行うアトリエとして発足する美術研究所多くみられた。一例として1960年広島的場町にて松本真美術研究所などは各種学校ひろしま美術研究所からさらに芸術大学美術大学受験教育部門ひろしま美大芸大予備校改めている。この時期発足した予備校には首都圏ではふなばし美術学院(1967年、旧・船橋美術研究所)や本郷美術学院(旧・ほんごーアトリエ、1967年)、立川美術学院(旧・立川現代美術研究所1969年)などがある。 都下においても美術予備校台頭著しく神奈川県においては戦前画塾美術予備校へと形を変えることになる県内最大美術予備校湘南美術学院(旧金沢アトリエ)を筆頭に、KIKUNAアトリエ横浜美術学院(旧アカデミー美術研究所)、鎌倉美術研究所(現在閉鎖)、代々木ゼミナール横浜アトリエ(現在閉鎖)などその後90年代美術予備校ピークに向け、絵画教室レベル個人塾を併せる大小様々な美術予備校増えていくこととなった1962年代々木ゼミナールデッサン科を設置1980年代々木ゼミナール造形学校として発展。また河合塾1970年河合塾美術研究所設立し美大受験教育一段産業成長していく。 上記著述荒木は有名美術大学、特に東京藝術大学入試倍率戦前美校時代から今に至るまで非常に高く、その例として絵画油画専攻倍率1967年以降には30倍から45倍の間で推移していることを指摘このため多く受験生浪人強いられており、予備校講師頻繁に講評面接を行うことで受験テクニック指導から精神的なサポートまでを行っているとしている。また指導方法予備校によってさまざまである大手予備校には受験に関する情報多く集まり、また基礎的なデッサン技術から個性的な絵の描き方までを体系的に指導するノウハウ存在し、したがって大手中小予備校との間で指導能力大きな差が生じて名大学の合格者大手独占し必然的に翌年受験生大手集中するという社会構造再生産性が成立しているとしている。さらにこれら予備校芸大や一美大合格者数競うことが大学間の序列発生させ、結果として大学権威支えてきた一面もあるとしている。 こうした影響から荒木は、美術予備校教育内容現代美術教育史を通じて議論の的であったとしており、高倍率の芸大美大入試対応するため、予備校短期間受験生芸術家仕立て上げる効率的かつ表層的受験テクニック教育しているにすぎなく、特に大学試験時間合わせた描き技術や目立つことを目的とした奇抜表現多用するという傾向から「受験絵画」と呼ばれる独特の様式生み出し受験生表現画一化して創造性妨げ要因として強く批判されてきたという。 このため野見山暁治は『藝術新潮38巻10号、「芸大入試はどうあるべきか “石膏デッサン”の功罪1987年によると、1973年野見山自身芸大入試改革試みたが、技術偏重入試システム大きく改善されなかったという。 しかし、荒木美術大学学生らを一人前芸術家として扱って実技指導積極的に行なっていないという現状がある一方で予備校デッサン彩画などの実技基礎技術学べる場として、その存在評価する声もあるとしている。荒木1994年頃から受験生増加ピーク迎えて少子化の影響減少傾向にある美大受験生数から経営難陥る予備校1990年代後半から現れ始め2000年前後から業界再編動き加速しているとしている。

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