受験予備校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:03 UTC 版)
医術開業試験は、その合格のため「前期3年、後期7年」と言われるほどの難関であった(各年の合格率は、前期・後期ともに10〜20%程度であった)ため、受験のため、多くの受験予備校が生まれたが、そのうちのいくつかの予備校が後の私立医学専門学校・私立医科大学に発展した。 最も多くの学生を集め、医術開業試験の合格者を輩出したのが、長谷川泰によって、1876年(明治9年)に設立された済生学舎である。済生学舎は入学にあたり、学歴・性別・年齢を一切問わなかった。このため、女子については唯一の医学修学機関であった。学期は前後期に分かれ、3年で卒業する仕組みであったが、生徒の目的は卒業ではなく医術開業試験の合格であったことから、学期末試験を受ける者は少なく、医術開業試験に合格するまで在校し、合格が事実上の卒業と考えられていた。 1903年(明治36年)に廃校するまで、約2万1000人が在校し、1万2000人弱の医師を送り出したと言われており、医術開業試験合格者総数約2万人の半数以上は済生学舎出身者である。済生学舎の廃校後、関係者が在校生の救済のため創設したのが、後の日本医科大学に発展する日本医学校である。 この他に、医術開業試験の受験予備校から正規の医学教育機関に発展したものとしては、後の東京慈恵会医科大学となる成医会講習所(東京慈恵医院医学校)がある。
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