緑川
豊かな自然の中に歴史・文化・多様な生物が共存する川、緑川
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
緑川は、その源を熊本県上益城郡三方山に発し、甲佐町において津留川を合わせ、城南町及び嘉島町において熊本平野に出て、御船川、加勢川、波戸川及び天明新川を合わせ熊本市及び宇土市において有明海に注ぐ、幹川流路延長76km、流域面積1,100km2の一級河川です。 |
加藤清正の治水工事で代表的な「 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.緑川の歴史 |
"天正16年(1588年)、肥後の国の国主となった加藤清正は、洪水を繰り返してきた緑川下流部の治水と耕地化に取りかかりました。代表的なものとして、清正堤と御船川の掘り替え、鵜の瀬堰、桑鶴の轡塘等があり、これらは今日も治水・利水としての有効な機能を果たしています。" |
緑川の歴史と先人の知恵 |
(加藤清正の治水・利水) 天正16年(1588年)、 ・
清正は加勢川右岸に清正堤と呼ばれる長い堤防を築き、加勢川の氾濫と海水の進入を防ぎました。また、御船川の掘り替え工事を行い、加勢川に流入する水量を減少させました。清正堤は戦略上の必要性もあったとも言われています。これらの工事によって、湿地帯が広大な田畑となりました。 ・ 鵜の瀬堰は緑川が平野部に流れ込む
・ 轡塘は清正が多用した洪水軽減方法で、河川の合流地点や水あたりの激しい部分に作られた河道内遊水装置です。桑鶴の轡塘はその中でも大規模なものでした。通常、河川は本塘の中を流れていますが、水かさが増した時には遊水池が水を蓄え、周辺への出水を押さえました。また、遊水池内には肥沃な土壌が流れ込むため、平常時には生産力の高い水田として利用されました。現在でも轡塘の遊水池が水田として利用されているところもあります。 |
2.地域の中の緑川 |
"緑川では、各市町村で様々なイベントや祭りが行われており、特に「緑川の日」においては、今年で11回目を迎え、毎年約20,000人の方が河川周辺の環境美化に取り組んでいると伴に、「NPO法人緑川流域連携会議」の発足を行い、流域の環境向上・文化の発展に寄与することを目的とし活動しており、川とのつながりが深いことが伺えます。 また、子どもたちが活動する場として3箇所を「子どもの水辺」に登録しています。" |
地域に根付く緑川 ・緑川の河川利用状況 緑川は熊本市郊外を流れ、水質も向上しているため、四季を通して散策や水遊び、釣りを主体とした河川利用がなされています。 緑川ダム周辺は環境基盤整備事業により、運動公園、観光レクリエーション地区、児童公園等があり、中流部の
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3.緑川の自然環境 |
"上流域には、九州中央山地国定公園、矢部周辺県立自然公園などが指定され、豊かな自然が残されており、これを反映して動植物相も豊富です。 中・下流域では、江津湖などが比較的自然環境の残された場所として、多くの動植物相の生息地となっています。 また、有明海に注ぐ河口域の干潟は、ムツゴロウなど干潟を特徴づける海産動物がみられます。" |
緑川流域は、山地の割合が72%で急流部から直ちに低平地(熊本平野)に流下し、途中多くの支川を合わせ有明海に注ぐ葉状流域河川で、年平均降雨量が約2,200mmの梅雨性の河川です。 緑川上流域山地の大半は、植林が占めるが、水源地周辺は、九州中央山地周辺国定公園に指定される程の原始林に囲まれた豊かな自然環境を有しています。 中流域丘陵地は、中小起状丘陵地が広がり、石橋に適した凝灰岩が多く「肥後の石工」により、日本一の数の石橋がつくられ、「 下流域三角州低地は、内外水氾濫の常襲地で、産業・経済の発展の為、中世鎌倉時代から様々な治水事業が行われ、加藤清正隈本入場後大規模な治水事業を施し、現在もその遺構が数多く引き継がれています。 又、熊本県内一の規模といわれているヨシ原が河口域に広がり、河川敷に帯状に連なるメダケ林と相成って、サギ類等鳥類のねぐら・営巣地として利用され、緑川の特徴的な生態系及び景観をなしています。 |
4.緑川の主な災害 |
主要な既往洪水一覧表
注)日雨量は城南上流域の平均雨量、水位・流量は城南観測所の値 流量の( )書きは推定値 |
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
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