登場からさよなら運転まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 03:30 UTC 版)
「一畑電気鉄道デハニ50形電車」の記事における「登場からさよなら運転まで」の解説
デハニ51・デハニ52号となる車両は当初電装されておらず、小手荷物室付制御客車として1928年4月7日付監第985号で設計認可を受け、1928年4月7日付で竣功届を提出した。メーカーである日本車輌製造が1928年に発行したカタログにおいても、本車を「郊外用小手荷物室附附隨電車」と記し、手小荷物室付きの附随車として一畑電気鉄道からオーダーされたものであったことと、既存電動車の設計をベースに区画割りなどの小変更を施すことで、規格を統一した車両製作に努めていることを紹介している。。なお、1928年は北松江線小境灘駅(現・一畑口駅) - 北松江駅(現・松江しんじ湖温泉駅)間が開業した年に当たる。 竣功届については鉄道省が1928年6月4日付監鉄第2503号ノ1で「記号『クハ』トアルヲ『クハニ』ト訂正スルコト」と照会し、さらに1929年5月23日付監鉄第2503号ノ2で至急回答するよう督促したが、一畑電気鉄道は、1929年5月28日付庶第83号で「今年三月三十一日付庶第五二号ヲ以テ電動客車ニ改造方認可申請致置候ニ付御認可ヲ得タル上形式称号及車輌番号変更致度候間左様御諒承被下度此段及御願候也」と回答し訂正を拒んだ。 この小手荷物室付制御客車の竣功図は「BATADEN 一畑電車百年ものがたり」に収録されており、それによれば形式称号および記号番号は3形クハ3 - クハ4号である。 電動客車への改造については、1929年3月31日付庶第52号で「弊社旅客、貨物ノ輸送能力ノ増加ト共ニ車輌ノ利用率ヲ高メル為」との理由から設計変更認可申請をし、1929年6月13日付監第1939号で認可を受け、1929年7月1日付庶第100号で竣功届を提出した。この竣功届では3形クハニ3 - クハニ4号からデハニ50形デハニ51 - デハニ52号に改造したことになっている。 また、1929年(昭和4年)には大社線の開業に備えてデハニ53・デハニ54が増備された。 1951年(昭和26年)10月にはデハニ51が手小荷物室を撤去し、窓配置を1D(1) 14 (1)D1へ変更、扉間の座席をロングシートとクロスシートの組み合わせによる セミクロスシートへ変更の上、デハ20形デハ21となった。また同じ年にはデハ1形、デハ20形とともにデハニ50形に弱め界磁機能を取り付ける改造が行われ、認可最高速度が75km/hから85km/hに向上した。もっとも、高速域での運転性能の向上には弱め界磁の付加だけでは不十分であったらしく、1955年7月7日付で歯数比が4.96から3.55へ変更されている。 1967年(昭和42年)9月には、デハニ54が荷物室と片側の運転台を撤去し、客用扉にドアエンジンを付加して自動扉化した上でデハ11(2代)に改番された。デハ11はデハ1形デハ7を改造したクハ111(2代)と2両編成を組成したが、90系入線のため1986年(昭和61年)3月24日をもって廃車となった。 デハニ52前面。窓枠が木製で車体色に塗られているほか、窓柱の上下にもリベットが続いている デハニ53前面。窓枠がアルミ製無地で、窓柱の上下にリベットがない デハニ50形は自動化された客用ドアを最後まで装備しなかった。一畑電気鉄道ではこのような車両を「在来車」と呼び、車体塗装を他の車両と変えることで区別していた。他の旧型車が黄色(カナリア色に近い)で塗装されていたのに対して、デハニ50形の車体色がオレンジであるのはこのためである。デハニ50形は“在来車”として最後の車両で、自動化された客用ドアを持たない営業用の電車としても日本で最後の車両である。 一畑電車の近代化が完了した1998年(平成10年)以降は、数少なくなった昭和初期の車両として団体列車などに運用されていた。デハニ52は、新型2100系の入線を控えた1994年(平成6年)9月、松江市の定期観光コースに使用するためにお座敷列車「ふるさと号」に改装された。この際に形式称号から荷物室を持つことを表す「ニ」が消えてデハ52となっているが、その後も「デハニ52」と表記されていることが多い。観光コース自体は利用が伸び悩んだために1996年(平成8年)9月30日に中止となっている。一方のデハニ53はラッシュ時の増結用となっていたが、北松江線の近代化が進んだために1996年10月1日に定期運用を外れた。3年後の1999年(平成11年)6月には畳敷きに改装され、デハ52同様ビール列車などの団体運用に従事するようになった。両車とも、工事列車の牽引車としても使用され、無蓋車ト60を牽引して保線に従事することがあった。冬季にはスノープラウを装着して除雪作業にもあたったほか、救援用にも使用された。なお、1995年(平成7年)にはエバーグリーン賞を受賞している。 しかし年を追うに従って交換部品の確保の観点から保守が難しくなった上、さらにブレーキシステムが単一系統であること・手動扉・ATS未設置・不燃化対策も未施工と、車両の安全基準を満たすことが出来ず、新たに更新を行うことさえ出来なくなったことから、2009年(平成21年)3月29日に実施されたさよなら運転をもって営業運転を終了した。 普段はデハニ53が雲州平田駅構内に留置され、デハニ52が出雲大社前駅で展示されている。ただ、車籍は残されており、映画撮影時(後述)には本線を走行したほか、飯野公央島根大学准教授らで構成される「デハニ50形活用検討協議会」により、動態保存を推奨する提言の原案がまとめられる方向で、時期や区間は限定されるものの復活運行される可能性が高くなっていることが報道されている。
※この「登場からさよなら運転まで」の解説は、「一畑電気鉄道デハニ50形電車」の解説の一部です。
「登場からさよなら運転まで」を含む「一畑電気鉄道デハニ50形電車」の記事については、「一畑電気鉄道デハニ50形電車」の概要を参照ください。
- 登場からさよなら運転までのページへのリンク