デハ20形
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24(旧阪急3) - 1914年に汽車会社で製造。1926年に田中車輌でステップを改良した。全長14,324mm。前出の24に改造名義で車体振り替えを行い消滅。車籍を継承した。
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デハ20形
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「上信電気鉄道デハ20形電車」の記事における「デハ20形」の解説
デハ20は1926年(大正15年)汽車会社製の元鉄道省デハ33500形のデハ33535が、鶴見臨港鉄道モハ301を経て、1945年(昭和20年)に戦災廃車になったものを1950年(昭和25年)に譲り受け、1951年(昭和26年)に台枠と台車を利用して、三和車両で新製名目の鋼製車として復旧したものである。客用扉部分を除く車体の裾部分が外から台枠が見えるほどに大きく切り欠かれた腰高な車体と両正面共に非貫通型の運転台であることが特徴であった。 デハ21は1925年汽車会社製の自社の木造車デハニ1を1958年(昭和33年)に三和車両にて鋼体化したものである。この際台車はブリル27-MCB-2からTR14に、主電動機はシーメンスDJ11B(端子電圧750V 定格出力50kW)から国鉄制式のMT4(端子電圧675V 定格出力85kW)に変更された。 デハ22とデハ23は改軌、電化に合わせ1924年(大正13年)に新製したデハ1形4・5を1960年(昭和35年)に、それぞれ西武所沢車両工場と東洋工機にて鋼体化を行った。この際デハ21の時と同様に、台車・主電動機の変更が行われた。またデハ22のみ後年歯車比の変更(1:3.2→1:3.42)が行われている。
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デハ20形
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1951年(昭和26年)から1953年(昭和28年)にかけデハ1形デハ1・デハ2・デハ5とデハニ50形デハニ51を改造した2扉クロスシート車。いずれも手動扉のままで運用されたが、デハ24は1981年(昭和56年)に、デハ21は1994年(平成6年)に、残る2両も1996年(平成8年)に廃車。
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デハ20形
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デハ20形電車(デハ20がたでんしゃ)は池上電気鉄道が1927年に10両導入した電車(木造2軸ボギー電動客車)。1934年、池上電気鉄道が目黒蒲田電鉄に合併されるとモハ30形へ改番された。のちに全車が鋼体化改造を受け、1936年に4両がサハ1形へ、1937年から1940年にかけて6両がモハ150形となった(両形式とも東急3300系電車参照)。なお、目黒蒲田電鉄は1939年に東京横浜電鉄へ商号変更している。 20 - 29の10両。1927年に鉄道省から木造省電デハ6310形6310 - 6317・6320・6321の払い下げを受けたもの。全長16m級で、池上初の中型車となった。目蒲による買収後はモハ30形(2代)30 - 39となり、後の鋼体化により1936年に36 - 39がサハ1形1 - 4に、30 - 35が1937年、1940年の2回に分けてモハ150形152・154・155・159 - 161となった。
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