目蒲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 15:01 UTC 版)
目蒲への院電の払い下げは、3形式22両に及んだが、大半は短期間の内(一部は全く使用されず)に他社に譲渡されてしまっていたため、モハ150形の種車では少数派となった。 デハ20形→モハ20形 / 21 - 2521 - 24は1924年に鉄道省デハ6260形の払い下げを受けたもので、元は1909年製のホデ6110形(→ナデ)の一部。25は1925年にデハ6285形の払い下げを受けたもので、払い下げ当初はデハ40形42であったが、デハ40形の他車が再譲渡されて以降本形式に編入されて25となった。 デハ30形 (初代) / 31 - 38デハ20形と同じデハ6260形の払い下げ車だが、払い下げはデハ20形の翌年の1925年である。本形式は1927年に33・34・36・37が駿豆鉄道に、1929年に35が芝浦電気に、31・32・38が駿豆に再譲渡され、形式消滅している。このため、モハ150形・サハ1形の種車となったものはない。 デハ40形 / 41 - 5041 - 47は1925年にデハ6285形の、48 - 50は翌1926年にデハ6250形の払い下げを受けたもの。1927年に43・44が福武電気鉄道へ、1930年に41が芝浦電気へ譲渡され、また45 - 50は全く使用されずに阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)へ譲渡され(鉄道省から直接入線したとされる)同社90形となった。残った42は上述の通りモハ20形に編入された。
※この「目蒲」の解説は、「東急3300系電車」の解説の一部です。
「目蒲」を含む「東急3300系電車」の記事については、「東急3300系電車」の概要を参照ください。
- >> 「目蒲」を含む用語の索引
- 目蒲のページへのリンク