目蒲電鉄から大東急へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 01:31 UTC 版)
「東急バス中延営業所」の記事における「目蒲電鉄から大東急へ」の解説
1939年(昭和14年)10月1日、目蒲電鉄は東京横浜電鉄と合併、中延営業所は東横電鉄バスの拠点となる。 大東急発足直前には陸上交通事業調整法による旧東京市内路線の調整が行われ、この中には中延管下の路線も含まれていた。1942年(昭和17年)2月1日、五反田駅 - 品川駅間を一度は東京市電気局(現・東京都交通局)に譲渡した。 詳細は「東急バス#東横・目蒲の合併 - 大東急へ」を参照 そして1942年5月1日、東横電鉄は京浜電気鉄道、小田急電鉄、城南乗合自動車を合併して東京急行電鉄(大東急)となる。中延営業所も大東急のバス営業所となるが、戦局の悪化、さらには1945年(昭和20年)4月から5月にかけての2度の空襲で沿線が焦土と化し、全路線が休止になるという壊滅的被害を受けた。
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