登場から冷房化まで
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「小田急2600形電車」の記事における「登場から冷房化まで」の解説
1964年11月5日のダイヤ改正より運用を開始した。当時はホーム延伸工事が完了していなかったため、付随車を除いた5両編成での運行開始となった。しかし、粘着限界に近い加速度の設定であったため、雨や雪などで粘着条件が悪化すると空転が多発し、運転士は苦労したという。また、電力回生ブレーキは早朝の出庫では失効してしまい、大変だったという。なお、鉄道友の会により毎年優秀な車両を表彰する制度として制定されているローレル賞の1965年(第5回)投票では得票率が2位となったが、次点ではなかった。 なお、1966年には将来の8両編成運転のため、ABFM車2両編成と連結する試験が行なわれているが、このときは実現には至っていない。 1967年10月よりホーム延伸工事の完了に伴い、付随車を新造して組み込む6両固定編成化が開始された。当初は新宿側から2両目に付随車を組み込むことになっていたが、ラッシュ時の混雑は新宿側の車両の方が激しいことから、少しでも粘着重量を稼ぐ目的で、組み込み位置が小田原側から2両目に変更された。この時点ではNHE車は5両固定編成が20編成用意されていたが、付随車についてはサハ2751から2758までと、サハ2767から2770までの12両が別途製造され、12編成について6両固定編成化が行なわれた。なお、同年11月には、小田急百貨店の本館が完成したことを記念して、2661×5と2662×5の2編成が白をベースとして赤と金色の帯が入る特別塗装に変更され、同年11月23日より運用を開始した。 1968年7月には2671×5と2672×5が入線、5両固定編成のままで運用を開始したが、付随車については同年10月にサハ2759からサハ2766までと、サハ2771・サハ2772の10両が製造され、同年11月に残る5両固定編成も6両固定編成化された。このとき、サハ2761・サハ2762の2両については、特別塗装で新造されている。同年中には全編成に対してOM-ATSが設置された。 1969年4月から、ケイプアイボリーの地色にロイヤルブルーの帯が入る新標準色に変更されることになり、現車による最終確認のために2655×6の編成に対して塗装変更された。その後、順次新標準色に変更されることになり、特別塗装の2編成とも同年5月に新標準色に変更された。 1970年には、空転対策の試験として再粘着装置を2651×6の編成に装着した。空転が始まるとノッチ進段を停止すると同時に空気ブレーキをかける仕組みで、結果が良好だったことから1972年には全編成に対して再粘着装置を装着した。 1972年から1981年にかけて全編成に対して冷房化改造が開始された。1974年までに冷房化改造を受けた編成はCU-12B形集約分散式冷房装置を搭載し、補助送風装置として扇風機を残したが、その後の改造では冷房装置をCU-12C形に変更し、送風装置もラインデリアに変更された。また、冷房化改造と同時に前面の行先・種別表示装置の自動化と側面表示装置の新設を行なったが、1977年までに改造された車両は側面表示器は種別のみで、それ以降に改造された車両では種別と行き先を表示する仕様に変更された。
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