登場から主力へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 08:47 UTC 版)
「南海11001系電車」の記事における「登場から主力へ」の解説
1954年に第1陣が竣工し、同年10月のダイヤ改正より運転開始した南海本線難波〜和歌山市間の特急(龍神(1955年4月21日のショートカットで駅名を堺に変更)・泉大津・岸和田・貝塚・泉佐野に停車)・急行(従来より設定)で華々しくデビューを飾った。 静かで乗り心地の良い本系列の就役開始は、並行線であり、かつて南海鉄道時代には同一資本の下で運営されていた国鉄阪和線利用客の不満を増大させた。このため、戦時買収線に対するものとしては異例の措置であったが、当時の最新鋭車である70系電車の直接新製配置という緊急対策を講じることを強いるなど、絶大な影響を国鉄に与えた。 この成功に気を良くした南海は、特に好評であった11001形の増備を決定し、1956年には4両固定編成として第2次車の投入を開始した。 また、同年に和歌山港線和歌山市〜和歌山港(後の築港町、現・廃止)間が開業すると、本系列の運転区間も難波駅〜和歌山港駅間に延長された。これにより、和歌山港〜小松島港(現在は徳島港)の航路に接続することで関西〜四国間の最短ルートが形成され、対四国連絡優等列車用をはじめとする南海本線の代表車種として、11001系と12001系は隆盛を極めることとなった。 更に1962年4月12日には、それまで18m級のモハ1201形を出力強化したモハ1551形が同系のクハ1901形と共に充当されていた四国連絡急行「あわ号」を特急に格上げの上で11001系に置き換え、同時に高知連絡特急「とさ号」を新設し、そちらにも同系が充当された。また、1963年12月1日にはこれらの列車に特別料金を徴収する座席指定車を設定、和歌山港寄り1〜2両をこれに充てた。 1964年12月1日には、南海汽船に就航したカーフェリー「きい丸」に連絡する「きい号」を新設し、こちらにも11001系が充当されている。 かくして「あわ」「とさ」「きい」が出揃い、殷賑を極めた四国連絡特急であったが、1968年10月1日のダイヤ改正で特急「四国号」に名称統合され、停車駅も新今宮(1966年12月1日開設)・堺・岸和田・和歌山市に整理・変更されている。
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