演奏様式
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「カルロス・ディサルリ」の記事における「演奏様式」の解説
ディ・サルリの演奏様式は、鋭いスタッカートと美しいレガートが弦楽器群で妖しく繰り返されるものである。単に「鋭い」だけではなく強拍はP<Fで迫ってくるため、音色の質はどこの楽団も真似出来ないものに変わっていった。後年はこの表現がくどくなりPP<FFまで迫ってくることもあったが、楽団員はメンバー入りすると必死にこの技法を真似た。日本では「ヤッ・チャッ・チャッ・チャッ、ヤッ・チャッ・チャッ・チャッ」と表現されることが多い。 1940年代に確立されたそのスタイルは、タンゴの本質である激しさと悲しみを簡潔に表現するため、年代を経るにつれて次第にテンポが遅くなる傾向にある。また、スタッカートとレガートの対比を極限にまで強調するため、1950年代の極めて円熟した時代の演奏でさえ、タンゴの聴かせどころであるバンドネオンのバリアシオンが聴かれることがほとんどない。彼の録音中、おそらく唯一バンドネオンのバリアシオンが聴かれるものとして有名なのが、「エル・チョクロ」である。 ディサルリ・スタイルもダリエンソ・スタイルと同じようにタンゴ界に遺された。ディサルリ・スタイルを標榜する現役の楽団には、Orquesta Gente de Tangoが含まれる。
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演奏様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 15:51 UTC 版)
アースと同世代のフランス人ピアニストは、マルグリット・ロンに関連した演奏様式(流麗な演奏技巧や堅く鋭い音色)から離れつつあった。アースの場合は、古いフランス・ピアノ楽派の明晰さや正確さと、コルトーの影響力を物語る暖かな音色とを両立させている。 アースの情緒に溺れない解釈は、とりわけドビュッシーやラヴェルにおいて、作品の多様な解釈を表し、現代的な要素と、クープランら18世紀クラヴサニストの伝統の後継者という要素とを打ち出している。 ラヴェルの《ピアノ協奏曲ト長調》の2つの録音において、アースは魅力的な違いを示している。1948年に作られた古い録音では、ジャズや20世紀の音楽との結びつきが重んじられているのに対し、1965年に作成された録音では、ラヴェルが作曲時に打ち明けたところの「モーツァルト的」な性格が映し出されている。
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演奏様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:38 UTC 版)
当時のアルゼンチン人にしては珍しく、音の間違いや読譜ミスを徹底的に嫌うタイプであった。 ダリエンソ独特の演奏方法で、フォルティッシモのスタッカートからいきなりピアニッシモに行くときに、音をかすかに残す楽団が多い中、ダリエンソはまったく音を聴かせない。まったく演奏していないにもかかわらず、まるでリズムを刻んでいるような感覚になるので、「音無しのリズム」と呼ばれている。これはたとえば「La cumparsita」(ラ・クンパルシータ)や「El huracán」(エル・ウラカン(台風))の演奏が始まってすぐの部分に見られる。 この音無しのリズムは最初期からダリエンソが備えていたものではなく、ダリエンソ楽団が成長する過程で達成された表現である。確かに1930年代ではすべての音符を叩いているが、旋律からの部分省略と言った形で示されることが目立ち、1940年代からPPとFFのコントラストが極端になり、1943年11月23日録音214作目の「ラ・クンパルシータ」でこの「音無しのリズム」がテイクに残された。それ以前の1939年の101作目Derecho Viejoや81作目Leliaに「音無しのリズム」に近い表現が、すでに聞かれている。これ以外にも、目立たないが「音無しのリズム」である瞬間は379作目のPampaほかでも見られ、リズム感を際立たせている。ただし、この「音無しのリズム」を達成するためにアレンジが本来の楽想を曲げてまでFFで提示されることも多く、多くの評論家から「ダリエンソ外し」をされるという差別も受けていた。 ダリエンソスタイルを決定づけるものとして高速テンポを指摘する評論家は多いが、LocaやDon Alfonsoでもテレビあるいは映画撮りとスタジオ収録音源では異なっており、メンバーの調子を見て柔軟に変えていたようである。ビアジのいた時代に極限まで上げ、その後のピアニストはビアジのテンポで演奏できることを条件に雇用していたようで、必ずしも毎度全速力というわけではなかった。 ダリエンソも稀にコミカルな表現や効果音を用いることもあった。1950年5月15日録音358作目Nueve de Julioでは44秒前後に拳銃の発射のような音が入っていたり、1968年8月27日録音816作目Mi Japonではメンバー全員に「SA YO NA RA!」と歌わせている。ただ、全創作史を通じて逸脱の少ないマスターであった。
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演奏様式
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「イグナーツ・フリードマン」の記事における「演奏様式」の解説
フリードマンの冷静沈着で淀みない演奏様式は、リズムや音色の感覚に満ち溢れており、圧倒的な技巧に基づいている。フリードマンの解釈は、卓越した権威によっても認められ、特にショパン作品の申し分ない解釈については多くのことが論じられてきた。演奏技巧の力量は、モーリッツ・ローゼンタールやレオポルド・ゴドフスキー、ヨーゼフ・レヴィーンと同様に印象深いものだった。デュナーミクやアゴーギクの多様さにさえ恵まれており、そのために音楽的な均衡を損なうことがなかった。バスの重奏のようなテクスチュアの処理は、しばしば時代がかっている。研ぎ澄まされたリズム感覚やしなやかな構成力によって、例えばメンデルスゾーンの《無言歌》やショパンの《マズルカ》のような小曲でさえ、本当に偉大なものにしている。とりわけショパンのマズルカの解釈は、同時代の同胞ローゼンタールの場合と同じく、多くの人々から比類ないと認められた。 後年アメリカ合衆国において、デュナーミクやアゴーギクのロマンティックな解釈を取り除いたモダンな解釈に馴れ親しんでいる若手の評論家によって、生温い評価を受けることもあった。(セルゲイ・ラフマニノフはフリードマンの演奏を称賛したが、「あまりにもギャラリーに向かって弾きすぎる」と考えていたらしい。) 同時代の多くの偉大なピアニストと同じく放送番組に出演したが、オーストラリアやニュージーランドで数時間のラジオ番組の収録を含めて、音源の大半が散逸している。それでも20世紀の偉大な巨匠ピアニストという立場は不動である。
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演奏様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 05:16 UTC 版)
「私は19世紀の人間であり、ヴィルトゥオーソと呼ばれるタイプの演奏家に属している」と自認していたように、鮮やかな超絶技巧と芝居っ気たっぷりの演奏、濃やかな情緒表現と強靭なタッチが特徴的で、一夜で3つのピアノ協奏曲とソナタ1曲を弾き切ったこともある。スクリャービンやプロコフィエフを除いて近現代の音楽の演奏にはさほど興味を示さず、いきおい19世紀のロマン派音楽がレパートリーを占めた。リスト作品、とりわけ『超絶技巧練習曲』の比類ない解釈で、1977年にはハンガリーよりフランツ・リスト賞を授与されている。 19世紀のたいていの作曲家のピアノ曲をレパートリーにしていたが、ショパン作品だけはなかなか弾こうとしなかった。「もちろん以前は弾いたのだが、何年間もワルシャワのショパン国際ピアノコンクールに参加したけれども入選しなかったんだ。自尊心がひどく傷つけられてね、それからは二度とショパンを弾かないって誓ったのさ」と語っている。ただし1970年代には、ドイツ・グラモフォンにポロネーズ集の録音を残しており、また当時の演奏会の映像にもショパン作品の演奏を認めることができる。 ソフロニツキーの薫陶を受けたにもかかわらず、イン・テンポで粛々と演奏を進め、アゴーギクをほとんど崩さないのも特徴的である。ベルマンは楽譜に示されたペダルの長さを厳格に守る傾向もあった。
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演奏様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 03:17 UTC 版)
多くの録音は賛否に分かれ、その演奏について技巧的な曲に関しては「受け狙いで実質に乏しく、音楽的とはいえない」と論じる向きもある。小品では、抒情性に富み味わい深い演奏も多数残されている。実際のところ、生演奏ではシフラの豪快な演奏に酔いしれた聴衆が、演奏の途中でやんやの大喝采を送ることも稀ではなかった。いずれにせよ、シフラが不世出のヴィルトゥオーソであり、即興演奏の達人であった事実はほとんど疑いようがない。
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