演奏様式と音源
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「ラウール・プーニョ」の記事における「演奏様式と音源」の解説
プーニョはモーツァルトのピアノ独奏曲やピアノ協奏曲の専門家であった。また、ショパンやフランクの解釈にも秀でていた。おそらくプーニョは、録音によって世界的な成功を収めた最初のピアニストの一人である。1903年の4月から11月まで、当時51歳の巨匠は、パリでグラモフォン社のために何度か録音を行ない、ヘンデル、スカルラッティ、ショパンの作品に加えて、自作の《即興的円舞曲》を録音した。ショパンのワルツでは、名高い「パール奏法」を披露している。11月の録音セッションでは、スペイン旅行で知り合った女声歌手マリア・ゲー(Maria Gay, 1879年–1945年)を伴奏して、とりわけビゼーやサン=サーンス、それに自作のロマンスを録音した。 プーニョのショパンの録音は、ほかに《即興曲 第1番》作品29や《華麗なる円舞曲》作品34-1、《子守唄》作品57、《ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調》より第3楽章「葬送行進曲」がある。しかしながら最も重要な録音は、ショパンの《夜想曲 嬰ヘ長調》作品15-2である。標準的な演奏よりも明らかに遅めのテンポで演奏しているが、このような解釈は、ショパンの高弟であった恩師ジョルジュ・マティアスからの遺産であった。録音から確認される通りであるが、ただし傷だらけの盤面に一定しないスピードで録音されたため、音はひずんで録られている。プーニョの最も長い録音は、フランツ・リストの《ハンガリー狂詩曲 第11番》の演奏である。劇的で刺戟的な演奏でありながらも、プーニョは統率力を失うことなく自分の能力を極限まで発揮している。
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