沿革詳細とは? わかりやすく解説

沿革・詳細

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:54 UTC 版)

神戸市」の記事における「沿革・詳細」の解説

かつて、神戸海岸地域には京・大坂の外港経由地として栄えた兵庫津」(ひょうごのつ)と呼ばれた港があった。遣隋使時代には、すでに港は開かれていたが、平清盛により経が島近くに都である福原京計画され前後貿易拠点として整備され大輪田泊おおわだのとまり)と呼ばれたことがその発展始まりとされる律令制では、畿内西部五畿内のひとつ摂津国属していた。現在の垂水区西区北区北神)の淡河町須磨区神戸総合運動公園神戸流通業務団地区域播磨国であった兵庫津には戦国時代の短い期間、兵庫城存在していたが、安土桃山時代豊臣氏直轄地となり、兵庫陣屋呼ばれるようになった大坂の陣後尼崎藩立藩されると、西摂政治拠点尼崎移り兵庫陣屋には同藩の兵庫津奉行所置かれた。1769年の上知によって、同じく尼崎藩領だった西宮とともに兵庫津幕府直轄領となり、兵庫陣屋には大坂町奉行兵庫勤番所が置かれた。港は北前船尾州廻船中継地の一つ廻船問屋が軒を連ねていた。北西部には西国街道通っており、西宮宿(現在の西宮市)と大蔵谷宿(同じ兵庫県明石市)とを繋ぐ宿場があった。兵庫津宿場町の岡方と港町浜方から成り浜方築島付近を境に北浜南浜分かれ、岡方・北浜南浜三方自治組織存在した本陣は岡方に存在したが、諸藩大名との関係が密接な有力商人たち南浜競って建てた浜本陣」の利用江戸時代中期以降漸増した。 江戸幕府欧米締結した条約では兵庫港外国船に開港することが規定されていたが、実際に3㎞東の神戸村開港場となり、1868年外国人居留地や港が造られ1879年勅令により「神戸港となったその後日清戦争第一次世界大戦経て上海香港シンガポールと並ぶアジア主要な貿易港として発展続けた1874年には新橋駅 - 横浜駅間に次ぐ日本2番目の鉄道として大阪駅 - 神戸駅間東海道本線現在のJR神戸線)が開業した一方、港と共に造船鉄鋼機械中心とした工業発達し阪神工業地帯中核を担う日本有数重工業都市成長した。「兵庫」と「神戸」は元来別々の町村であったが、神戸拡大発展に伴い兵庫神戸飲み込まれる形で一つ都市として一体化していった。当時市内で最も繁華であった新開地は「東の浅草、西の新開地」と称されるほどの繁栄であった1922年には六大都市指定された。 太平洋戦争末期、他の諸都市同様に米軍重要な戦略目標であった神戸B29による度重なる空襲を受け、当時市街地工業施設港湾施設大半破壊焼失し多く犠牲者出した神戸大空襲)。 戦後高度経済成長期には、市街後背部の山地より削り取った土砂用いてポートアイランド六甲アイランドなどの人工島臨海部埋立造成し商工業住宅港湾用地として整備するとともに埋立用土採取後の西区北区丘陵地西神ニュータウンなどの住宅地産業団地として開発した。この一連の施策は「山、海へ行く」と呼ばれ都市インフラ拡充整備大きく進むことになった1981年ポートアイランド第一期竣工時には地方博ブーム先駆けとなる「神戸ポートアイランド博覧会ポートピア'81)」を開催して成功させるなど、これらに代表される都市経営手法は、「株式会社神戸市」と称され全国市町村から自治体経営の手本とされた。また、高度成長期以降複数鉄道路線集結するターミナル駅三ノ宮駅三宮駅周辺次第商業機能県庁市役所といった行機能集積していき、三宮新開地抜いて市内最大繁華街成長した神戸港商業工業集積する大阪に近いこともあり、近代以降国際貿易拠点として規模拡充し結果1970年代には阪神工業地帯輸出港として海上コンテナ取扱個数世界一になるなど世界有数港湾として知られていた。 阪神・淡路大震災1995年1月17日発生し神戸市内は甚大な被害受けた震災での被害による港湾機能麻痺や、震災以前からの製造業生産拠点海外移転によって、国際貿易としての相対的地位低下した震災復興によるインフラ再整備により貿易額回復する傾向にあり、日本代表する港湾都市一つとして存在感維持している。その一方中国をはじめとしたアジア大都市急激な発展により港湾都市としての国際的な影響力は低下しており、2018年度における世界港湾取扱貨物量ランキング50位(国内5位)となっている。 また、人口においても震災直後に7%余り減少したものの、新長田駅前・JR六甲道駅前での震災復興再開発事業ポートアイランド二期事業神戸医療産業都市構想などの事業によって呼び戻され2011年には1549000人に達したしかしながらその後首都圏大阪府への流出など人口減少続き2015年福岡市2019年には川崎市下回り政令市で7位となっている。また、2019年1月時点日本人住民人口1489820人と150万人割り、さらに前の年と比べて6235人の減少人口減少数で全国ワースト記録した神戸市営地下鉄海岸線神戸空港利用者数が需要予測大幅に下回り、またウォーターフロント開発である神戸ハーバーランド核テナント相次いで撤退、かつて小売業日本一地位築いたダイエー神戸市発祥)の不振、市主導新長田駅再開発失敗など、戦後から震災まで好調に成長してきたのと対照的に震災以降暗雲垂れ込めていた。しかし、近年都心地区である三宮エリア再開発ハーバーランドメリケンパーク新港町等をはじめとするウォーターフロントエリアの再開発市内主要駅周辺リノベーション等が進行しており、これらによる街全体活性化期待されている。

※この「沿革・詳細」の解説は、「神戸市」の解説の一部です。
「沿革・詳細」を含む「神戸市」の記事については、「神戸市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「沿革詳細」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「沿革詳細」の関連用語

沿革詳細のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



沿革詳細のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの神戸市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS