本名以外の登録名の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 04:38 UTC 版)
旧姓を用いる場合改姓した後も、登録名としては旧姓の使用を継続する場合がある。土佐礼子(村井、マラソン選手)、上村愛子(皆川、モーグル選手)、守屋美穂(山口、競艇選手)、藤田伸二(小川)・宮下瞳(小山、いずれも騎手)、加瀬加奈子(渡邊、ガールズケイリン選手)など。スポーツ以外の例では将棋棋士の沼春雄。 また、競技によってはオリンピックなどの国際大会では身分証明としてパスポート提示が義務付けられるため、田中美音子(平井、ハンドボール選手)や栗原三佳(藤高、バスケットボール選手)のように国内大会と国際大会で使い分ける場合もある。一方、小磯典子(バスケットボール選手)は結婚後も旧姓である濱口でプレーを続けたが、日本代表復帰を機に登録名も現姓に変更した。 蔵本英智(プロ野球選手)は婿入りし説田姓となった後も旧姓を使用していたが、2004年より「英智」に登録名を変更、コーチ就任後も引き続き使用している。 矢崎拓也(プロ野球選手)は2018年1月に結婚して姓が加藤から矢崎に変わったが、2018年シーズンの登録名は旧姓の「加藤拓也」のままであった。2019年からは登録名も矢崎拓也に変更している。 変わった例として、池田浩美(サッカー選手)は結婚した2007年はそのシーズン終了まで限定で「池田(磯崎)浩美」として現姓と旧姓を併記していた。 本名の表記を変える場合読みやすい漢字表記に変える他、縁起担ぎや姓名判断などによる場合もある。宝来眞紀子(旧名・麻紀子、バレーボール選手)、浜村健史(孝)・加藤英司(秀司)・山本浩二(浩司)・梨田昌孝(昌崇)・角盈男(三男)・松井稼頭央(和夫)・津田恒実(恒美、いずれもプロ野球選手)、石川巧(康)・黒崎比差支(久志)・古橋亨梧(匡梧)・遠藤雅大(昌浩、いずれもプロサッカー選手)、尾崎将司(正司)・中嶋(中島)常幸・近藤共弘(智弘、いずれもプロゴルファー)、四元奈生美(直美、プロ卓球選手)など。 姓名のいずれか、あるいは両方を仮名表記にする場合もあり、岩本ツトム(勉)・濱中おさむ(治、いずれもプロ野球選手)、塩屋トオル(透、バスケットボール選手)、わたり(和足)哲也・たにひろえ(谷弘恵)・ささきしょうこ(佐々木笙子)・かねだひろみ(金田裕美、いずれもプロゴルファー)、三星マナミ(眞奈美、プロスキーヤー)などが該当する。 中央競馬の騎手・調教師の場合、戸籍上の本名に常用外漢字が使われている場合であっても、JRA(日本中央競馬会)の規定で認められていない為、常用漢字に修正される。戸崎圭太の場合、地方(大井競馬場)所属時代は常用外漢字を含む本名(戸﨑圭太)で登録されていたが、JRA移籍に際しJRAの規定に従い常用漢字に変更している。 本名の一部を用いる場合姓(名字)がありふれている(鈴木、田中、佐藤など)、同姓の選手が同じチームにいる、フルネームが長すぎる、ファーストネームが珍しいなどの理由による場合が多い。上述のイチローのほかには、カツノリ(野村克則、プロ野球選手)、ロナウド、リバウド(プロサッカー選手)などがある。また外国人のスポーツ選手はミドルネームなどを持つことが多いが、登録名でミドルネームを省略するのも広い意味でこの例に含まれると考えられる。さらにプロ野球選手が本名の一部をアルファベット表記とした例では、SHINJO(新庄剛志)、MICHEAL(マイケル中村)、TSUYOSHI(西岡剛)がある。 この変形になるが、オリックス・バファローズでは近鉄・ブルーウェーブ時代から、本名のイニシャルを登録名にすることがある。主な例はダグ・ジェニングスの「D・J」、クリス・ドネルスの「C・D」、ジェレミー・パウエルの「JP」など。前述のジェレミー・ゴンザレスの「GG」もこのパターンである。また、名(ファーストネーム)のみをイニシャルとした例では、M.中村(マイケル中村)、T-岡田(岡田貴弘)、K-鈴木(鈴木康平)がある。 変わった例としては、アメリカ人を父に持つ友利結が、アメリカ名と日本名それぞれの名字を取って「デニー友利」を登録名としていた。 2016-2017年に巨人に在籍したギャレット・ジョーンズは同時期に同じジョーンズ姓の選手は在籍していなかったが登録名はギャレットであった。 ジョーダン・ノルベルトは2017年オフの中日ドラゴンズから東京ヤクルトスワローズへの移籍を機に登録名をミドルネームのアルメンゴとした。 阪神のメル・ロハス・ジュニアはロハス・ジュニアを登録している。ジュニアはアメリカで偉大な父の名前にジュニアと付けて区別するもので、MLBではケン・グリフィー・ジュニアが有名。NPBではアレックス・ラミレスの義理の息子のラミレス・ジュニア、ゲイリー・バーナム・ジュニア、ルルデス・グリエル・ジュニアの3例がある。日本バスケットボール界ではミルトン・ヘンダーソン・ジュニアがジュニアの略表記であるJr.の読みから登録名をジェイアール・ヘンダーソンとし、日本国籍取得後に桜木ジェイアールとしている。 愛称を用いる場合本名の一部が変化したものから、容姿等を由来とするものまで様々である。ペレ、ジーコ、ロナウジーニョ、カカなど、ブラジル人のサッカー選手に多く見られる。 日本では佐藤和弘(プロ野球選手)が初の例といえる。入団当初、同姓の選手が4人いたため髪型を由来とする愛称「パンチ」と呼ばれていたが、鈴木一朗選手がイチローに改名の際、一緒に登録名とした。 阪急ブレーブスがグレッグ・ウェルズを「ブームを呼ぶ男」の意味からブーマー・ウェルズ、ブラッド・レスリーを「野獣のようなプレースタイル」からアニマル・レスリー、近鉄バファローズが「タフな奴」という意味からカール・デリック・ローズをタフィ・ローズとするなど愛称と本名の姓を組み合わせた例もある。このパターンは古くはアメリカプロ野球のベーブ・ルースやサチェル・ペイジにまでさかのぼる。日本人選手にも「爺(=G.G.)臭い」に由来するG.G.佐藤の例がある。プロバスケットボールにおいてもNBAのマジック・ジョンソンや、松井啓十郎が日本バスケットボールリーグのレラカムイ北海道において名乗ったKJ 松井(「KJ」はNCAA時代に呼ばれた愛称)がこれに該当する。 巨人は2007年に獲得したジェレミー・ゴンザレスの登録名をGGとした。当時、巨人にはコロラド・ロッキーズから移籍した、ルイス・ゴンザレスと、オリックスから移籍した、ジェレミー・パウエルが在籍しており、どちらの選手とも被らない措置。 愛称をミドルネームとして組み込んで登録名とすることもある。特にプロバスケットボールに多く、「ヘリコプターのようなプレースタイル」に由来するジョン・ヘリコプター・ハンフリーがひとつの例とされる。 プロゴルファーの中嶋常幸は、外国でのトーナメントに参戦する場合には本名である「常幸」(TSUNEYUKI)が外国人には発音しづらいという事情から、『Tommy Nakajima(トミー・ナカジマ)』を使用している。同様の理由で青木宣親はMLB在籍時『Nori Aoki(ノリ・アオキ)』と呼ばれており、2014年の1シーズンのみ登録名としていた。 尾崎三兄弟(尾崎将司、尾崎健夫、尾崎直道)の場合も中嶋と同じく本名(日本名)が呼びにくいという事情から、それぞれニックネームを用いて全米プロゴルフ協会(PGAツアー)に登録している(長男:将司=「JUMBO OZAKI」、次男:健夫=「JET OZAKI」、三男:直道=「JOE OZAKI」)。 変名を用いる場合本人や家族の意思、あるいは興行上の観点などから、本名とも一般に知られた愛称とも異なる登録名を用いることがある。上述の四股名やリングネームはほとんどこの例に含まれる。また、同じく上述のすし石垣も本名の聡志(さとし)が海外で発音しにくいため、日本食の中でも世界的に広く知られている「寿司」から取って「すし」に改名している。 F1ドライバーのネルソン・ピケやアイルトン・セナのように、母方の姓を登録名とした例もある。ピケの場合は、モータースポーツに反対する父親に隠すため母方姓を使った。 1940年、プロ野球巨人のヴィクトル・スタルヒンは、反英米感情の激化により横文字表記が自粛されたことにより、須田博(すた・ひろし)と改名した。ただし、スタルヒンはロシア生まれで(日露関係も緊張状態にあった。なおスタルヒンは白系ロシア人でソ連政府とは敵対する立場)、亡命者のために国籍がなく、幼い頃より暮らしていた日本国籍の取得を希望していた。 日本プロ野球では1942年に小鶴誠が、「飯塚誠」の名前で名古屋軍に入団している。それまで小鶴が所属していた八幡製鉄は軍需工業だったため、プロへの入団が認められていなかった。そこで小鶴は大学受験を名目に退団、出身地である福岡県飯塚市から名字を取って、偽名で入団した。 新聞紙面上などでの体裁に配慮して本名を変形させた登録名が用いられることもある。阪神タイガースのランディ・バスは好調・不調にかかわらず、新聞の見出しがバス事業(阪神電鉄バス)も手がけていた(現在は分社化)親会社の阪神電気鉄道にとって不吉なものとなる恐れがあったことから、登録名では「ランディ・バース」と伸ばしている。2016年に北海道日本ハムファイターズに入団したアンソニー・バスは、上記ランディにあやかり、「アンソニー・バース」として登録された(綴りは同じ「Bass」)。 大毎オリオンズに入団したフランク・マンコビッチは放送コード上の配慮から登録名を「フランク・マニー」とした。ロッテに入団したブライアン・シコースキーも発音としては「シコルスキー」がより近く入団当初はこの呼び方であったが、語感が好まれなかった。 主に在日コリアンにおいては日本名(通名)で選手登録を行うケースが多く、これも登録名の一種とみなされる。プロ野球での金田正一、張本勲、新井宏昌、金城基泰、金石昭人、金村義明、中村武志、桧山進次郎、金城龍彦など。バスケットボールの岩本栄子、梁川禎浩。女子プロゴルフの滝浪愛。オートバイレースの片山敬済。 郭源治は中華民国から1989年9月帰化し日本人としての本名「佳久源治」となったが、引き続き旧名を登録名とした。 女子バスケットボール選手の岳婷は中華人民共和国から2010年帰化し日本人としての本名「中岳晴香」となったが、旧名のファーストネーム表記を変えた「岳亭」を登録名とした。 陳大豊・陳大順の兄弟は大豊泰昭・大順将弘、母国・台湾でのファーストネームを日本プロ野球における登録名でのラストネームにしていた。 台湾プロ野球(中華職業棒球聯盟・台湾職業棒球大聯盟)では、かつて外国人選手の登録名としてスポンサーの商標を使用していた。主な例としてホセ・カノ投手(ロビンソン・カノの父)が統一ライオンズ時代に球団の母体である統一企業から当時発売されていたカップラーメンの商品名から登録名を「阿Q」としている。類似する例として社会人野球の茨城ゴールデンゴールズでも選手毎にスポンサーを募り、練習試合に限り「企業(またはブランド)名+名前」を登録名として使用している。 ジンクス、移籍、ポジションなどの変更での変更。読売ジャイアンツの片岡治大は、本名は片岡保幸だが、2001年東京ガスに入社した後、ケガが多かったため、片岡易之(読みは同じ)で登録した。その後、西武ライオンズに入団。2012年、7月10日のソフトバンク戦で手首を痛め、9月16日に三角靭帯複合体損傷修復を受けたことから、12月30日に片岡治大に登録を変更した。 大洋、横浜、広島で活躍した石井琢朗の本名は石井忠徳だが、大洋に入団して4年目、野手転向を機に石井琢朗に登録名を改めた。1997年に石井義人が入団したことにより、スコアボードなどの表記は石井琢、ユニホームの背ネームはT.ISHIIとされた。石井義人が2003年に移籍し、琢朗自身も2008年オフに横浜を自由契約となり広島へ移籍した。2003年以降、チームメイトに石井姓は居なかったが、引退し広島にコーチとして所属している間まで石井琢、背ネームもT.ISHII表記だった。 前述の通り、巨人でも改名や漢字表記変更に伴う登録名の使用は認められているため、片岡、石井ともに巨人入団後もそれまでの登録名を使用している。
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