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郭源治

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 20:36 UTC 版)

郭 源治(クォ・ユェンツ、かく げんじ、1956年10月5日 - )は、台湾中華民国)の台東県台東市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。台湾原住民アミ族で、1989年9月に日本帰化。現在の本名佳久源治(読み同じ)[1]


注釈

  1. ^ 10.8決戦で郭の起用を控えた理由として、郭の性格的なことなどから、高木は「勢いに乗せて出すと、非常にいいピッチングをするんですが、負けている場面で出すと、というところもありましたから。タイトルがかかっているのに、負け試合の気分の乗らないところでマウンドに上げるのは、ちょっと可哀想だなという気持ちが私の中にあったんです」と述べている[50]
  2. ^ 最も前述通り3000万円以上の契約金(1980年当時、一部の目玉選手を除いたドラフト上位指名選手の契約金に匹敵)を提示した他球団を蹴って中日を選んだのは郭源治自身の判断であった。また郭泰源は第27回IBAFワールドカップロサンゼルスオリンピックの出場で日本のみならずメジャーリーグの球団も獲得を検討した事が契約金高騰の要因となった。

出典

  1. ^ a b c d 「セカンドキャリアの球人力 郭源治」『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、P.88-89
  2. ^ a b c d 郭源治 人生を懸けて来日した竜のクローザー/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE. 2020年8月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 木村元彦「現代の肖像 郭源治 元中日ドラゴンズ投手 海を超えた『山の子』の快速球。」『AERA』、1999年5月10日号、P.62-66
  4. ^ a b 「守護神伝説 クレバーなストッパー、郭源治の知られざる真実」『Sports Graphic Number』、1988年10月5日号、P.19
  5. ^ 森哲志『不屈のプレイボール―元プロ野球選手、球場去りし後の「負けない人生』、河出書房新社、2002年、ISBN 430926543X、P.56
  6. ^ 森哲志、2002年、P.57
  7. ^ a b c 森哲志、2002年、P.58
  8. ^ 森哲志、2002年、P.54
  9. ^ a b 『朝日新聞』、1981年7月30日付朝刊、P.16
  10. ^ 『朝日新聞』、1981年3月27日付朝刊、P.17
  11. ^ 『朝日新聞』、1981年8月31日付朝刊、P.18
  12. ^ 「台湾プレーヤーのパイオニア 郭源治 『人生を賭けた大きなチャレンジ。日本で成功することは僕の使命だった』」『週刊ベースボール』、2002年7月8日号、P.32
  13. ^ a b c 『週刊ベースボール』、2002年7月8日号、P.33
  14. ^ 別冊宝島『プロ野球名選手読本』(宝島社)P.100
  15. ^ 『朝日新聞』、1982年6月28日付朝刊、P.19
  16. ^ 『朝日新聞』、1982年8月30日付朝刊、P.19
  17. ^ 日本野球機構 1982年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)
  18. ^ 森哲志、2002年、P.59
  19. ^ 『朝日新聞』、1984年3月14日付朝刊、P.16
  20. ^ 『読売新聞』、1984年8月30日付朝刊、P.17
  21. ^ 『読売新聞』、1985年12月6日付朝刊、P.17
  22. ^ 1986年12月9日付朝刊、P.17
  23. ^ a b c 『Sports Graphic Number』、1988年10月5日号、P.16
  24. ^ 「記録の手帳 1420回 ライバルたちと比べても抜群の安定度 史上最強の守護神・郭源治」『週刊ベースボール』、1988年8月22日号、P.40
  25. ^ a b 『毎日新聞』、1987年12月23日付朝刊、P.17
  26. ^ a b 「日台合作的超優良龍組棒球隊投手 郭源治、8年目の大躍進!」『週刊ベースボール』、1988年7月21日号、P.27
  27. ^ a b 『週刊ベースボール』、1988年7月21日号、P.24
  28. ^ 『毎日新聞』、1988年7月7日付朝刊、P.19
  29. ^ 『読売新聞』、1988年10月8日付朝刊、P.18
  30. ^ 『読売新聞』、1988年10月3日付朝刊、P.18
  31. ^ 日本野球機構 1988年度日本シリーズ 試合結果(第2戦)
  32. ^ a b 『読売新聞』、1988年10月28日付朝刊、P.19
  33. ^ 『読売新聞』、1988年10月30日付朝刊、P.18
  34. ^ 「今やジョーシキの1億円プレーヤーたちの金銭感覚とリッチ度」『週刊ベースボール』、1989年1月9日号、P.37
  35. ^ 『朝日新聞』、1989年3月15日付朝刊、P.23
  36. ^ 『朝日新聞』、1989年8月12日付朝刊、P.17
  37. ^ 『朝日新聞』、1989年9月7日付朝刊、P.22
  38. ^ 『読売新聞』、1989年12月10日付朝刊、P.19
  39. ^ 『読売新聞』、1990年4月13日付朝刊、P.19
  40. ^ 『読売新聞』、1990年6月9日付朝刊、P.18
  41. ^ 『読売新聞』、1991年7月6日付朝刊、P.19
  42. ^ 『読売新聞』、1991年12月28日付朝刊、P15
  43. ^ 『読売新聞』、1992年4月5日付朝刊、P.18
  44. ^ 『読売新聞』、1992年7月30日付朝刊、P.19
  45. ^ 『毎日新聞』、1993年12月9日付朝刊、P.20
  46. ^ 『読売新聞』、1993年4月28日付朝刊、P.23
  47. ^ 『朝日新聞』、1993年12月25日付朝刊、P.21
  48. ^ 『朝日新聞』、1994年5月22日付朝刊、P.21
  49. ^ 『読売新聞』、1994年10月7日付夕刊、P.3
  50. ^ 鷲田康『10・8―巨人vs.中日史上最高の決戦』文藝春秋、2013年、ISBN 978-4163756400、P.139
  51. ^ 『朝日新聞』、1995年1月18日付朝刊、P.25
  52. ^ 『朝日新聞』、1996年1月21日付朝刊、P.26
  53. ^ 『朝日新聞』、1996年10月18日付朝刊、P.27
  54. ^ 『朝日新聞』、1996年11月23日付朝刊、P.19
  55. ^ 『読売新聞』、1997年3月19日付朝刊、P.16
  56. ^ a b 『毎日新聞』、1999年6月22日付夕刊、P.2
  57. ^ 『朝日新聞』、1999年9月8日付朝刊、P.20
  58. ^ 『読売新聞』、1999年9月17日付朝刊、P.22
  59. ^ a b 「決断 郭源治」『AERA』、2000年11月6日号、P.74
  60. ^ 『朝日新聞』、1999年9月26日付朝刊、P.27
  61. ^ 『読売新聞』、2001年9月13日付朝刊、P.33
  62. ^ 『朝日新聞』、2009年10月15日付夕刊、P.9
  63. ^ “郭源治氏「実力がないとできない」中日柳の好投喜ぶ”. 日刊スポーツ. (2019年5月12日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905110000922.html 2019年8月4日閲覧。 
  64. ^ 伝説のプレーヤー郭源治、中華プロ野球の首席顧問に - exciteニュース、2012年12月25日配信
  65. ^ 『毎日新聞』、2013年3月16日付朝刊、中部本社版、P.29
  66. ^ アジア・シリーズ中止危機 台湾側から連絡「開催できない可能性」 - スポーツニッポン、2014年9月2日
  67. ^ 研修コーチの受け入れに関して. 東北楽天ゴールデンイーグルス. 2018年1月29日配信
  68. ^ 元中日の郭源治氏、台湾野球殿堂入り 日本時代末期に活躍した洪太山氏も”. フォーカス台湾. 中央通訊社 (2019年1月22日). 2022年11月28日閲覧。
  69. ^ a b c 『Sports Graphic Number』、1988年10月5日号、P.18
  70. ^ a b c d 『Sports Graphic Number』、1988年10月5日号、P.20
  71. ^ 星野中日V1の立役者、あのイチローも少年時代に憧れた“踊る守護神”郭源治/昭和助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年9月15日閲覧。
  72. ^ 『週刊ベースボール』、1988年8月22日号、P.43
  73. ^ 『朝日新聞』、1988年5月14日付朝刊、P.23
  74. ^ a b c 「来季こそ監督を日本一にするために 涙にこめられた密かな決意」『Sports Graphic Number』、1988年11月20日号、P.43
  75. ^ a b 別冊宝島『プロ野球名選手読本』(宝島社)P.98-99
  76. ^ 『朝日新聞』、1985年1月26日付 夕刊、P.3
  77. ^ 森哲志、2002年、P.64
  78. ^ a b c 「海外取材特集 郭“先生”のがい旋 大フィーバー」『週刊ベースボール』、1988年12月5日号、P.4
  79. ^ 別冊宝島『プロ野球名選手読本』(宝島社)P.101-102
  80. ^ 森哲志、2002年、P.60
  81. ^ “「矢場とん」野球部 抑えは中日OB郭源治の長男”. 日刊スポーツ. (2015年4月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1464794.html 2019年3月24日閲覧。 
  82. ^ a b “元中日投手・郭源治氏、次男の俳優・佳久創と涙のテレビ初共演”. スポーツ報知. (2019年9月6日). https://hochi.news/articles/20190906-OHT1T50202.html 2019年10月14日閲覧。 
  83. ^ 【ヴェルブリッツ】2014年度 引退選手インタビュー WTB 佳久 創”. トヨタヴェルブリッツ TOYOTA VERBLITZ (2015年3月24日). 2019年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月2日閲覧。
  84. ^ So Kaku 佳久 創”. ACROSS ENTERTAINMENT. 2019年3月24日閲覧。


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