本名の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/16 09:52 UTC 版)
この源良清は本文中で「良清」と表記されている(但し昇進していくに従って「少納言」・「近江守」などと他の多くの人物と同じように官職で記されるようになる)ため同じく光源氏の家来の一人である藤原惟光と並んで数多の登場人物の中で本名の判る数少ない人物の一人である。 この源良清の場合、若紫巻において「播磨守の子」とのみ表記されて明石の方の存在を光源氏に告げる人物として初めて現れ、続いては花宴巻において光源氏の従者「良清」として現れるが、この両者が同一人物であることは須磨巻になって初めて明らかにされる。もう一人の「本名で表記される人物」である藤原惟光が最初から「惟光」と表記され、他の人物と混同される余地がないのと比べると極めて変則的な形をとっているこれについては江戸時代末期に萩原広道の著した『源氏物語評釈』の惣論下「此の物語に様々の法則のある事」において特に取り上げられるなど、古くからさまざまな議論が存在している。
※この「本名の人物」の解説は、「源良清」の解説の一部です。
「本名の人物」を含む「源良清」の記事については、「源良清」の概要を参照ください。
本名の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 15:20 UTC 版)
竹取物語やうつほ物語といった源氏物語に先行する多くの物語では、主人公を始めとして少なくない登場人物が本名と思われる固有の名前が明記されていた。これに対して源氏物語では大部分の登場人物は単に官職名で記されていたり呼び名のようなものしか記されておらず、本名が明らかにされていない。そのような中でこの藤原惟光は、同じく光源氏の家来の一人である源良清と並んで、数多くの源氏物語の登場人物の中で本名が明らかにされている数少ない人物の一人である。このようにごく一部の人間のみが本名を記されていることについて、本名を記されているこれらの人物は、「低い身分ながら物語の中でしばしば活躍するためである」とする玉上琢弥の説や「信頼できる主従関係が有る人物を実名で記すという原則が存在する」とする稲賀敬二の説などが存在する。 なお、「惟光」という名前について、室町時代の公家・学者・歌人四辻善成の注釈書『河海抄』は、当時の漢文日記の例を挙げて源氏物語が書かれた当時としてはありふれた平凡な名前だったとしているが、「惟光」という名前には常に光源氏の忠実な家来であることを示す「光(源氏)を惟(おも)う」という意味が込められているとする見解がある。 四辻善成は『河海抄』の序文において自身のことを「はるかに惟光・良清が風をしたふ賤しき翁なり」と記し、また「従五位下物語博士源惟良」という名前で署名しているが、この「惟良」という名前は惟光と良清を合わせたものであると考えられている。
※この「本名の人物」の解説は、「藤原惟光」の解説の一部です。
「本名の人物」を含む「藤原惟光」の記事については、「藤原惟光」の概要を参照ください。
- 本名の人物のページへのリンク