敦賀風景八ツ乃詠とは? わかりやすく解説

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敦賀風景八ツ乃詠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:04 UTC 版)

敦賀八景」の記事における「敦賀風景八ツ乃詠」の解説

景色冒頭柿谷半月が「雁返舎」の名で狂歌添え、ゆかりの歌人俳句和歌合わせて載せられている。 表紙には敦賀津の全景載せ北前船などが入港する当時賑わい描いている。 「もろ国の船玉神の御幸浜 問屋は塵にまじる賑わい常宮夜雨じょうぐう の やう)北緯3541分24.7秒 東経136度1分48.6秒 / 北緯35.690194度 東経136.030167度 / 35.690194; 136.030167 (常宮夜雨) 「姫神よなよなのかよへども のみさほのいろはかはらじ」 雁返舎 社頭花多 「けおされ見ゆ日本さくら このみやしろの花軍にも」 二松庵倭文 龍燈大三十日夜此龍宮より神燈を献る 「龍の火を 見に行垢離除夜風呂半月 「潮そまる ますほの小貝 拾ふとて 色の浜とや いふにやあらん」 西行法師 敦賀半島にある常宮神社姫神とは祭神神功皇后を指す。往時拝殿海辺にあり、浮御殿知られていた。春は、秋は紅葉包まれ、海に映え壮観であった。現在でも四季折々草花鑑賞できる神社である。かつて、拝殿のそばには「龍燈」と呼ばれる老松があり、大晦日夜に神燈海上現れ、このにかかると伝えられていた。現在は、拝殿前に県道走り老松枯れたために1968年昭和43年)に伐採されている。常宮から北へ行くと、西行の歌にあるますほの小貝拾おうと、芭蕉訪れた色ヶ浜である。 気比秋月(けひ の しゅうげつ北緯3539分17.4秒 東経136度4分29秒 / 北緯35.654833度 東経136.07472度 / 35.654833; 136.07472 (気比秋月) 「盃を手にうけもち月見酒 のあひよりさすも又よし」 雁返舎 遊行上人 砂持ちの例あり 「月清遊行のもてる 砂のうへ」 芭蕉 寅卯のかた天筒山あり 行幸山ともいふ 社家河端氏の林泉にのぞみて 「萬代もすむべきをせき入れて むかふ御幸の山しづかなり」 加茂 越前一宮氣比神宮主神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)、別名 保食神うけもちのかみ)とも呼ばれる1301年正安3年)、遊行二世上人他阿真教)が、参道ぬかるみ参詣者が難渋していることから、自ら砂を運び整備行った故事にちなみ、現在も時宗大本山遊行寺藤沢市清浄光寺)の管長交代する毎に砂持ちの神事行っている。氣比神宮東北東方角南北朝戦国時代戦い舞台となった天筒山があるが、祭神仲哀天皇が行幸されたと伝えられており、行幸山とも言われる金前寺晩鐘こんぜんじ の ばんしょう北緯3539分48.2秒 東経136度4分33.8秒 / 北緯35.663389度 東経136.076056度 / 35.663389; 136.076056 (金前寺晩鐘) 「くれかきり帰りてあすも金前寺 入相の鐘にちる花の友」 雁返舎 芭蕉の亭ともいふ 当津名物干瓢てふ妓をいざなひ遊て 「笄やちり行 はなのおもしとも」 其角 此ほとり石灰多しちる 此下陰石灰は そらにしられぬ白妙半月 金前寺高野山真言宗寺院で、本尊は袴掛け観音として知られ桜の名所でもある。芭蕉来訪した後年芭蕉門人宝井其角遊女伴い訪ね、歌を詠んだ干瓢夕顔の実からつくるが、その花が夕刻に花を咲かせ、遊女夕べに顔をさらすことから干瓢呼ばれていた。金前寺のある金ヶ崎周辺古くから石灰岩産出され、これを焼いて得られる生石灰から消石灰とし、白壁漆喰として利用した。現在では、セメント工場操業している。 栄螺ヶ岳暮雪(さざえがだけ の ぼせつ)北緯3543分29.7秒 東経136度0分45.4秒 / 北緯35.724917度 東経136.012611度 / 35.724917; 136.012611 (栄螺ヶ岳暮雪) 「金掘りともし火よりもあかるきは さゞいがたけの夕ぐれ」 雁返舎 地紙栄え行みなとのさまをあふぐべし 扇の形に消え残る半月 言葉石 いせのあふむ石に ひとしき岩也 「これやかの小町の歌の言葉石 あふむかへしに答えこそすれ大津乙栄螺ヶ岳は、西方ヶ岳連なる敦賀半島の山である。日本海からの季節風影響で、毎冬積雪がある。春を迎え残雪時期には雪形入船多寡占ったという。また、花崗岩地質であり登山道沿いにも巨岩散在している。常宮神社からの西方ヶ岳への登山道途中オーム岩という岩があり、25m手前離れた特定の場所(聞く石、呼び石という)からオーム岩に向かって声を掛けると、反響し近く答えているように聞こえる。宝暦年間見出され言葉石と名付けられ小浜藩主も見に来るほど有名であったという。 今橋夕照(いまはし の ゆうしょう北緯3539分23.7秒 東経136度3分57.4秒 / 北緯35.656583度 東経136.065944度 / 35.656583; 136.065944 (今橋夕照) 「夕日影 天の岩戸のむかしより 今はし同じ西にこそ入れ」 雁返舎 此ほとりを商ふ家多し太刀はさや治る御代名物は 袋に入て弓のつるが半月 「見るたびに富士かとぞおもふ野坂消えぬが上にのふれれば」 小松重盛1635年寛永12年)、小浜藩主の酒井忠勝が、敦賀の町の振興のため、笙の川け、商売始めるように命じたという。新たにけたという意味から今橋名付けられた。この今橋周辺北国出荷するための問屋多く立ち並ぶようになり、やがて茶町現在の川崎町)と呼ばれた。なお、笙の川は、昭和初期に付け替えられ西側移動しており、現在の今橋付近船溜まりとなっている。敦賀ランドマークである野坂岳は、敦賀富士と言われる平清盛長子平重盛は、琵琶湖敦賀湾を結ぶ運河建設命じられ現在の敦賀市付近の歌ヶ谷に居を構え先の歌を詠んだという。 花城落雁(はなじり の らくがん北緯3539分31.6秒 東経136度2分28.5秒 / 北緯35.658778度 東経136.041250度 / 35.658778; 136.041250 (花城落雁) 「花城のそらにつながる雁かねは 長蛇のそなへ見せて落けり」 雁返舎 「雁啼て 寒さ帰る 浜辺哉」 大坂 奇淵 継子落としといへる所にてよめる 「のまゝ子ときけば あはれなり うなひ小鳥のおちかへりなく」 松前城下 畑の物也 花城とは気比松原西端あたりの地名である。織田信長越前攻めの際に陣を敷いた山城があったと言われる。現在、この付近は、井ノ口川に花城がかかり、敦賀半島海岸沿いの県道へと続いているが、昔は急崖に道があり、継子落としという危険な場所があったとみられる。奇淵は大坂出身俳人菅沼奇淵すがぬまきえん)である。 白鷺晴嵐しらさぎのまつ の せいらん北緯3539分21.8秒 東経136度2分55.8秒 / 北緯35.656056度 東経136.048833度 / 35.656056; 136.048833 (白鷺晴嵐) 「吹なびく はた手にまがふ浮雲も はれて行衛しらさぎの」 雁返舎 一夜松といへりければ 「よしつみにこずとも此けしき なつかしみねむ ひと夜松原」京 繁雅 「家もとのわれもおよばじ此浜の 砂の物なる一色六角池坊専定翁 昔、敦賀蒙古襲来したときに、一夜にして松林現れ多数白鷺頂き留まり、それを軍勢の旗と見た蒙古逃げていったという。この故事から、現在の気比松原は、一夜松原白鷺呼ばれていた。古くから景勝地として有名であり、多く文化人愛で賞されてきた。繁雅は京都狂歌宗匠山田繁雅、また池坊専定いけのぼうせんじょう)は華道家元である。 金ヶ崎帰帆(かながさき の きはん)北緯3539分58.4秒 東経136度4分26.6秒 / 北緯35.666222度 東経136.074056度 / 35.666222; 136.074056 (金ヶ崎帰帆) 「吹き付ける風は敦賀の宝ふね まうけて帰るかねか崎かな」 雁返舎 海中に鐘あり 「月いつこ 鐘は沈める うみの底」 芭蕉 安玉庵 「安玉の由来はとまれ春けしき これは天下に伝へてもよし」 団部 福田轍 夜漁遠景鞠山にかゝるともなくありありと くれに数ある沖のいさり火半月 南北朝時代戦い舞台となった金ヶ崎で、足利軍敗れた新田軍が、陣鐘を海に沈めたという。この故事聞いた芭蕉先の俳句残した。この句碑現在の金前寺境内にある。南北朝の頃は、金前寺観音堂現在の金ヶ崎宮社務所付近にあったと言われ後世そこに安玉庵と言われる建物ができ、町民遊山場所であったという。金ヶ崎の北に鞠山呼ばれる地域があり、小浜藩酒井氏分家治めた鞠山藩があったところである。敦賀藩とも呼ばれ小藩ながら寺社奉行若年寄といった要職に就くものもいた。現在の金ヶ崎周辺は、開発進み海岸埋め立て港湾施設設けられセメント工場火力発電所フェリーターミナルもあり、往時風景偲ぶよすがもない。 節内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示

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