影響・エピソード
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東京都品川区南品川の御木裕樹が生まれた病院から距離にして数百メートル、生まれ育った家からも数百メートルの距離(隣の町会)に、テレビドラマ『西部警察』(石原プロモーション・テレビ朝日)の「警視庁・西部警察署」庁舎として建物外観が使用されていたロケ地「旧:東洋現像所・品川ビデオセンター」(現:㈱IMAGICA Lab.・品川プロダクションセンター)があり、毎日この庁舎や付近地域でロケーションが行われ、よく撮影シーンを見学しており、「ドラマ『西部警察』が大好きなのは言うまでもないのだが、なんと言ってもロケ地が地元でセリフも生で聞こえるし、結果的にオンエアされずにカットされてしまうシーンもあるが撮影はカメリハも含めて、かなりの時間を要する事も小学生ながらに知った。カースタントや爆破、銃撃戦などのアクションシーンも目の前で見て迫力があったが、何よりも小学校低学年の段階で、素晴らしい俳優の演技を頻繁に拝見出来た事は幸せな出来事だった。当時すでにバリバリ和太鼓をやっていたし、演奏の“演”は演技の“演”でもあり、“演”じて“奏”でる事が演奏でもあるし、演奏はある意味お芝居でもあるから物凄く勉強になった。」と石原裕次郎、渡哲也、舘ひろしなどの演技を生で頻繁に観ていた事が、自身の演奏や音楽活動の表現においてもとても参考になり影響を受けた、というエピソードをインタビューで明らかにしている。 「中学を卒業して15歳でプロ和太鼓奏者になるまでは最大の趣味が『和太鼓』であったが、和太鼓のプロになった時から新たな最大の趣味が『マジック(手品・奇術)』になった。ちょうど中学卒業間近の1989年(平成元年)に『Mr.マリック 超魔術』がブームになり、見せ方やエンターテイメント性にも感動した。マジックにおける演技やセリフ、手順や演目の組み立て方など、演奏や音楽活動と共通している部分が沢山あって本当に勉強なる。主にクロースアップマジックと言われるテーブルマジックのカードマジック・コインマジックにハマって、気がついたらマジックの参考書・解説書・カード・コインなどのマジック道具で本棚が埋まった。」と話しており、その時の心境を「それまで『職業:中学生・趣味:和太鼓』だったから、和太鼓ばかりに没頭していると結局それは『趣味ばかりに没頭している』中学生な訳で、なんか悪い事をしているような、なんか遊んでばかりでいけない事をやっているように見られる部分もあったが、中学校卒業後に『職業:和太鼓奏者・趣味:マジック』と変わり、『今日から堂々といくらでも和太鼓に時間を費やしてもいいし、どれだけバチを削っていてもチャッパを磨いていても太鼓のお稽古をしていてもいいんだ!』と、この瞬間から劇的に目の前の霧がなくなるかのように視界がパーっと開けて、今までと同じ様に太鼓の事に時間を費やしていたとしても今日からは『仕事に精を出す青年(少年)』になった訳で、プロになったという誇りと期待と自信に満ち溢れた。」と語っている。また、「プロデビューした最初の頃は和太鼓だけで食えないからアルバイトをしていて、バイトで稼いだお金をマジック用品に注ぎ込み自宅でも鏡の前でお稽古するなどかなり研究していたが、本職である和太鼓の演奏活動でのコンサート終了後の打上げや宴会、日頃のパーティーや人が集まる席などで色々な人にマジックを披露した時に、その場で演技を観ている“マジックの観客”が差し出す『ご祝儀(おひねり)』が毎月のバイトの給料を遥かに上回り、『人を感動させる“芸道”という世界は本当に素晴らしい』と思ったし、正に『芸は身を助ける』という事を実感した。マジック披露時のご祝儀が毎月入る事で、実際にその後バイトを辞めてさらに本業の音楽活動に必要な楽器なども買っていた。」と話しており、御木裕樹のマジックを何度も観ている芸能業界関係者は「本職並みの腕前」とコメントしており、本人も「マジシャンとして出演依頼をされて正式にギャラをもらってマジックの仕事をした事が何度もある。」とインタビューで語っている。 実話を元に作られたテレビドラマ『スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~』は御木裕樹の“人生のバイブル”であると話しており、「小学校5年生の時にこのドラマを見たが、この『スクール☆ウォーズ』を見ていなかったら今の自分ではないし、和太鼓を続けてはいなかっただろう。落ち込んだ時や悩んだ時、寂しい時やムカついた時、悲しい時や切ない時、いつも劇中の滝沢先生の声が聞こえてきて励まされ勇気づけられる。『One for all, All for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)』、『愛とは相手を信じ、待ち、許す事』、『信は力なり』など数々の名言や、生きる意味や命の大切さ、人を思いやる気持ちの大事さや仲間を愛する気持ち、道徳的な事から人を信じる事、励まし合う事、そして『何事も一生懸命にやらなければ意味が無い』といった“やる気”や、人間誰しも“やる気”になって『やればできる!』という“勇気”を与えてくれた。そんな人間の一番弱い心の部分や人間として生きるために必要な基本的精神を教えてくれたような気がする。」と話しており、プロ音楽活動においても人生においても重要な“正義の奥義”でもあると話している。また、ドラマの中で川浜高等学校 体育教師で同校ラグビー部監督・滝沢賢治 役を演じた山下真司(俳優)と実際に会った際、「山下さんがドラマで見せる涙は全て本物で正に迫真の演技そのものであり演奏家・舞台演者としても共通点が沢山あり、かなりの影響を受けた事や、このドラマに対する“想い”や“情熱”をお話させて頂き本当に喜んで下さり、『こういう人が居る事が嬉しいし、また男性だというのが嬉しい。』ともおっしゃって頂いた。また、撮影当時のお話や山下さんの“想い”なども聴かせて頂き本当に有り難く、小学生時代から胸に刻まれ自分の和太鼓人生にも大きく影響を与えた山下さん本人と談笑出来ている事こそ、本当に『信は力なり』だと思った。」と、その時の様子をインタビューで話している。 御木裕樹の和太鼓を最大限に生かすオリジナル曲の中の一曲「金四郎」は、杉良太郎が演じる名奉行「遠山の金さん」こと遠山金四郎をイメージして作曲し、「まだ“お奉行様”とはわからない“遊び人の金さん”が、桜吹雪の刺青を見せながら悪者と戦う姿を曲にした」という。 全身を使っての演奏はかなりハードで「2時間のコンサートで3キロくらいやせます。リハーサルから汗だくです(笑)」とインタビューで語っている。 インタビューの中で“音楽活動での面白い経験”を聞かれ、「ライブの打ち上げでみんなで高級クラブに飲みに行った時に、マジックはやらされるわモノマネはやらされるわで、大汗かいて全然打ち上がれなくて(笑)、挙句の果てに帰り際にホステスから「ありがとう!本当に楽しかったです!」って言われて、どっちが客だか分からなかった事(爆笑)」と答えている。 ナムコの音楽ゲーム『太鼓の達人』が出た頃、「ゲームセンターに“マイ桴(バチ)”を持っていってプレイした(笑)」と語っており、「元々筐体に設置されている2本のバチが短いヒモで結びつけて固定してあり自由にバチを振り上げられず演奏が困難な事と、和太鼓で言う“捨てバチ”(ゴーストノート・装飾音)や“アドリブ”を入れると点数が下がるのは“太鼓の達人道”に反している(笑)」と語っている。また同時に“痛い経験”として「この時プレイ中に、後ろで次の順番待ちの為に並んでた女子高生2人組に『チョ~マジで上手くな~い!』と、語尾上げで誉められた事(笑)」とインタビューで答えている。 御木裕樹が小学生の頃から“自分が演奏するリズムやビート、唄い方やフレーズに幅をつける為に勉強した”のは、大好きなヒップホップミュージックのラップである。同時にそれを包み込むドラムビートやグルーヴも同様である。また「15歳からヒップホップダンス・ブレイクダンスにハマり、プロに教えてもらいながら毎日練習してディスコやクラブに通った。」と話しており、インタビューの中で「今まで影響を受けたアーティスト」の一つとして『パブリック・エナミー』(ニューヨークのヒップホップ グループ)と答えている。
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