寿命
『今昔物語集』巻26-19 赤ん坊が生まれた時、鬼神が「年は8歳、自害」と言うのを、その家に泊まった旅人が聞く。それから9年目、旅人は再びその家に宿り、「あの時生まれた子が、鎌が頭に突きささる事故で去年死んだ」と聞かされる。
*鑿(のみ)が落下して子供を殺す→〔落下〕1aの『捜神記』巻19-9(通巻448話)。
『古事談』3-52 「性信親王の寿命は十八歳」との宿曜の勘文が奉られたため、親王十八歳の春に、尊勝の法を修した。すると、ある人が「閻魔王宮の火事により寿命を記した札の『八』の字だけが焼け残った」との夢を見た。そのゆえか、親王は八十歳まで生きた。
『今昔物語集』巻24-21 夜、表を通る男が吹く笛の音を聞いた僧登照は、その男の余命いくばくもないことを察知する。ところが翌日の夕方、同じ男が吹く笛の音からは、寿命がはるかにのびたことがわかる。男は普賢講で笛を吹き仏縁を結んだ功徳で、命がのびたのだった。
『三国伝記』巻2-1 生まれた男児が「余命2年」と予言される。父婆羅門は薬師如来像を造って供養し、50年の寿命が男児に与えられる〔*『三国伝記』には、この他、巻4-2・巻5-23・巻8-4・巻8-5・巻9-16・巻9-25・巻9-26・巻10-19など、『三宝感応要略録』を出典とする延寿の説話が多く見られる〕。
『三宝絵詞』下-9 大勢の人相見たちが牛飼う童を見て「7日後に死ぬ」と占う。童は砂で小さな仏塔を作り、たちまち7年の命が延びる。
『三宝絵詞』下-26 羅漢が弟子の沙弥を見ると、7日後の朝に死ぬとの相がある。沙弥は暇を請うて家に帰るが、途中、水に流される多くの蟻を救う。7日後、羅漢の所に戻った沙弥には死相がなかった。
『雑宝蔵経』 短命と占われた長者の子に、釈尊が「城下に出入りする人々を礼拝せよ」と教える。婆羅門僧の姿になってやって来た鬼神に対しても、その子は心から深々と礼拝する。鬼神は子供の純粋な心に感じ、「汝に長寿をさずけよう」と言う。
『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」 サーヴィトリー姫はサティヤヴァットを婿に選ぶが、聖仙ナーラダが、「彼には今日から数えてあと1年の寿命しかない」と教える。サーヴィトリー姫はそれを承知でサティヤヴァットと結婚し、1年後に訪れた死神ヤマに懇願し議論をして、サティヤヴァットの命を守り通す。
*→〔死神〕2。
*→〔経〕1b。
★2b.来世で授かる寿命のうちの何年かを借りて、現世の寿命を延ばす。
『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」54「来世の寿命」 某家に奉公する女がいた。老後に息子に先立たれ、飢えこごえて死ぬ定めだった。ところがこの女が善行をしたので、神々が相談し、運命を変えた。まもなく死ぬはずの息子を、来世の寿命を前借りして延命させ、女(=母)を養わせることにしたのである。それから9年、女は息子の世話を受けて、死んでいった。葬式がすむと、息子も死んだ。
『パンチャタントラ』第4巻第13話 妻が死んでしまったので夫のバラモンが泣いていると、空中から「お前の生命の半分を与えるなら、妻は生き返るだろう」との声が聞こえる。バラモンは生命の半分を妻に与え、妻は蘇生する。しかしその後、妻は愛人を作り、夫のバラモンを殺そうとする。バラモンは「私の生命の半分を返せ」と要求し、妻は「与えられた生命を私は返す」と唱えて、息をひきとる。
*毒蛇に噛まれた妻に、寿命の半分を与える→〔毒蛇〕1の『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」。
『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の3 禅源寺の住職の総崎さんは、村人たちによくこんなことを言っていた。「おらは76歳の寿命をもろうて来たが、人の命乞いをして10年縮めたから、66歳の何月何日の何時に死ぬ」。村人たちは、誰一人として本気で聞く者は無かった。しかし予告したとおりの日に、総崎さんは亡くなった(高知県土佐清水市上の加江村)→〔死期〕1e。
『正法眼蔵随聞記』第6-3 釈尊は自らの寿命を20年縮めて、その福分を、後世の仏弟子のために遺した。この善因は、いつまで受用しても尽きない。だから出家者は衣食などを求めず、専一に修行すべきである〔*釈尊は本来、百歳の寿命を有していたが、20年を自ら用いることなく、80歳で入滅した。これを「20年の遺因(ゆいいん)」、または「20年の遺恩(ゆいおん)」という〕。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)105「人間の寿命」 ゼウスは人間を造った時、寿命を短く定めた。人間は、馬・牛・犬に宿を貸し、彼らの寿命を分けてもらった。それで人間は、はじめは純真で善良だが、馬の年になると高慢になり、牛の年に達すると厄介者になり、犬の年に入ると怒りっぽくなる。
『寿命』(グリム)KHM176 神から与えられた30年の寿命を、ろば・犬・猿は「長すぎる」と言い、人間は「短かすぎる」と言う。神は、ろばの18年・犬の12年・猿の10年を人間に加える。それで人間は70年生きるが、最初の30年だけが健康で楽しく、後の40年はろば・犬・猿のごとく辛いのである。
『年定め』(昔話) 神様は、馬や犬や人間の寿命を30歳と定めた。人間が「それは短すぎる」と文句を言ったので、神様は、馬の10年・犬の20年を人間に与えて、寿命を60歳とした。それで人間は、若い時の30年は良いが、30歳から10年は、馬のように重荷を負い、40歳から20年は、犬のように夏は暑苦しく冬は寒さがこたえて、難儀が続くのだ(鹿児島県)。
『あら皮』(バルザック) 無一文になり身投げしようと考える青年ラファエルは、老骨董商から、不思議なろばのあら皮を得る。あら皮は、あらゆる願いを成就するが、そのたびに皮は縮み、それとともに所有者の寿命も縮める。ラファエルが伯父の遺産を得て金持ちになり、いくつかの願望を叶えるにつれて、あら皮は小さくなる。科学者の手を借りて皮を引き伸ばそうとしても、できない。ラファエルはしだいに衰弱し、愛するポーリーヌを抱いて、その乳房を噛んだまま死ぬ。
『閲微草堂筆記』「槐西雑志」巻12「定命」 酒好きの張子儀は50余歳で病死し、棺に納められる時に蘇生した。彼は冥土で見たことを語った。「『張子儀』と書いた酒の大甕が3つあった。1つは封が開いていたが、まだたくさん酒は残っていた。あれを飲み尽くしてから、私は死ぬのだろう」。彼はその後20年以上、飲みたい放題に酒を飲んだ。ある日、「昨夜、夢で冥土へ行ったら、3つの甕は空っぽだった」と言い、数日後に死んだ。
『太平広記』巻98所引『宣室志』 宰相李徳裕は、かつて夢で数多くの羊を見、「汝が一生の間に食べる羊だ」と告げられた。後、僧が李公を占い、「閣下は一生に1万匹の羊を食べるはずだが、今までに9千5百匹食べたので、あと5百匹残っている」と告げる。李公は「まだしばらく生きられる」と安堵するが、10日後に部下から5百匹の羊が届けられ、李公は自らの命数が尽きたことを知る。
『聊斎志異』巻7-280「禄数」 方士が某高官を見て、「貴方はあと米20石・麺40石食べると、天寿が尽きる」と占う。高官は、「人が1年に食べるのは麺なら2石ほどゆえ、まだ20年以上天寿がある」と喜ぶ。すると翌年、高官は除中(糖尿病の類か?)を病み、いくら大食しても空腹で、日に10数回も食べて、1年足らずで死んだ。
*食分は尽きたが、寿命は残っている→〔食物〕10の『正法眼蔵随聞記』第6-3。
『金銭と悩み』(星新一『ご依頼の件』) 紳士(=実は悪魔)が男に「一生遊んで暮らせる金をやろう」と言って、札束と宝石の詰まった箱を与える。男は喜んで豪遊乱費するが、やがて、「箱がカラになった時が自分の死期だ」と気づく。男は生活を一変し、金を使わないように、近所の川で毎日釣りをして暮らす。まったく面白くない。しかし長期的に見れば、悪魔に「ざまあみろ」と言ってやれるかもしれないのだ。
『源氏物語』「絵合」 光源氏は31歳の時、次のように述懐した。「昔の例を見聞きすると、若くして高位高官に達し、世に抜きんでた人は、長寿を保てない。私は身に余る地位を得たが、途中で苦境の時期(*→〔貴種流離〕1)があったから、その代償で今も生きていられるのだ。今後も栄華を望んでは命が危ないので、来世のための勤行をしつつ、寿命をのばしたい」〔*彼は50代半ばまで生きた〕。
『和漢三才図会』巻第4・時候類「五十六億七千万歳の事」 仏説では、釈迦の没後56億7千万年の後、弥勒菩薩がこの世に出現するという。その間、人間の寿命は長短増減を繰り返して、長いときは8万4千歳にいたり、短いときは10歳にまで減じる。
寿命。と同じ種類の言葉
Weblioに収録されているすべての辞書から寿命。を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から寿命。を検索
- 寿命。のページへのリンク