右翼のテロと出版界その他の自主規制
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「菊タブー」の記事における「右翼のテロと出版界その他の自主規制」の解説
右翼団体による右翼テロの標的は政治家のみに留まらない。 1960年(昭和35年)、深沢七郎の小説「風流夢譚」が『中央公論』12月号に掲載された。その小説の中における皇太子妃が民衆に殺される部分や民衆が皇居を襲撃した部分が描かれたことなどについて、一部の右翼団体が不敬であるとして中央公論社に対して撤回と陳謝を要求。右翼を名乗る少年が1961年(昭和36年)2月1日に嶋中鵬二・中央公論社社長宅に押し入り、家政婦1名を殺害、嶋中鵬二の妻に重傷を負わせる事件を起こした(嶋中事件)。この後、中央公論社は「風流夢譚」の掲載自体が誤りだったとし、世間を騒がせたとして全面的な謝罪を行った。後に中央公論社は、発刊予定の『思想の科学』天皇制特集号(1962年1月号)を自ら発売停止にしている。 1980年(昭和55年)には月刊誌『噂の眞相』が皇室ポルノ記事(今で言うフォトコラージュ)を掲載したことに対し一部の右翼団体が印刷所を襲撃したり、広告主に抗議活動を行なったりしたが編集長が謝罪文を掲載することで決着。 同じく1980年に東映の映画『徳川一族の崩壊』での孝明天皇暗殺の描写が荒唐無稽で不敬だとして、一部の右翼団体が街宣車で東映に押しかける抗議活動を展開。プロデューサーが平安神宮と泉涌寺にお参りすることで手打ちとなり、公開されたが、興行不振に加えてこの件が原因で東映の大作時代劇路線は打ち切りとなった。再上映では孝明天皇暗殺シーンはカットされ、ソフト化もされていない。 1982年(昭和57年)から1985年(昭和60年)にかけて製作された連作版画「遠近を抱えて」全14点(大浦信行・作)の一部に、昭和天皇の写真がコラージュとして用いられていた為、右翼団体から“不敬である”として抗議が行われ、所蔵していた富山県立美術館は全点を非公開化・売却し、図録も焼却処分した。大浦は“作品を提供させながら不当”と美術館を提訴し最高裁まで争うも敗訴する。 1983年(昭和58年)に桐山襲の小説「パルチザン伝説」が『文藝』10月号に掲載された。作品は左翼による昭和天皇へのテロ計画を描いたため、『文藝』を発行する河出書房新社に右翼団体の街頭宣伝車が大挙して押しかけた。右翼団体の抗議が「パルチザン伝説」掲載直後ではなく、『週刊新潮』が「天皇暗殺」を扱った小説として嶋中事件を引き合いに出した記事を掲載したのと同期していたのを桐山は問題にしている。 タレントのタモリは昭和天皇の物真似を持ちネタの一つにしていた。1985年5月14日、作家の筒井康隆の全集の完結記念パーティーでも昭和天皇の物真似を披露し、最後に「皇太子にまだ渡さぬ」という台詞をオチにした。パーティーを終え、二次会、三次会でも昭和天皇のネタを続け、 この模様は翌週の「週刊読書人」に掲載された。それ以降、タモリは一部の右翼から脅迫を受けることとなり、最終的には所属事務所、田辺エージェンシーの社長田邊昭知が半監禁状態で一部の右翼から抗議される事態に至った。筒井康隆もエッセイ「笑犬樓よりの眺望」(『噂の眞相』1985年8月号掲載分)や日記『日日不穏』にこのパーティーの様子を書いているが、差し障りのある名詞を伏字にしている。この後、6月26日に筒井が製作する映画『スタア』に昭和天皇役でオファーがかかったが、タモリ側の希望でアドルフ・ヒトラーに変更になった。以降、タモリは昭和天皇ネタを封印した。 1988年(昭和63年)にはメディア批評誌『創』が、テレビ朝日が作成した天皇崩御Xデーに関する内部資料をスクープしたところ、右翼団体から「不敬である」と抗議されてテレビ朝日と創出版が入っているマンションに街宣がかけられた。 1992年(平成4年)5月には、ロック調にアレンジされた「君が代」をCMに使用しようとした日本家庭教師センター学院の学院長・古川のぼるに対し、右翼団体「仏心団」から脅迫状と“自殺勧告状”が送りつけられた。CMは放送局の自主規制により中止される。 1993年(平成5年)には宝島社本社と文藝春秋社長宅に対して反皇室報道(主に第125代天皇上皇明仁とその皇后美智子の生活態度に対する批判)に抗議するとして拳銃弾が撃ち込まれた。 2006年(平成18年)11月には、雑誌『週刊金曜日』主催の集会において、皇室を批判した劇が演じられたが、週刊新潮は「内容は誹謗中傷にあたる」との記事を書いたことから、ブログ等々から批判が殺到した。週刊金曜日は最終的に不適切だったとして謝罪した。 テレビ局を中心としたマスコミ報道では、大統領や他国の君主の日本における行動の表現は常体だが、日本の皇族についてのみ最高敬語(される・なさる)を用い、天皇の死を天皇・三后などにのみ使われる表現である崩御と表現するほか、他の皇族にも(ご)逝去ないし薨去(三后には崩御)と用いるなどしている。また、敬称は「陛下」、皇族なら乳幼児であっても「さま」といった表現が用いられる。
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