右翼の離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/13 16:46 UTC 版)
ここでメンギバルの戦闘に変化が生じた。ようやく川の北岸を占領してフランス軍を撃退したレディングがおそらく自軍の孤立を恐れて突如南岸へ撤退したのである。同じごろ、ヴァルデカーニョス中佐のゲリラ軍はデュフォア軍の前に現れ、その哨兵を撃破して王の道を脅かした。デュフォアにもそれが分かっていたので、彼はグアロマン(英語版)とラ・カロリーナに進軍、スペイン軍と対峙した、このため、ヴィーデルが夜中の行軍の末、戦略的な要地であるバイレンに到着した時、そこには敵も味方もいないという奇妙な状況に直面した。 グアダルキビール川への偵察部隊が敵に遭遇しないまま戻ってくると、ヴィーデルはレディングが別の場所に移動したと結論づけた。ここでデュフォアがグアロマンからヴィーデルに「1万人のおそらくはレディング師団であろうスペイン軍が山の方から行軍して我が軍の背後を突こうとしている」と報告し、ヴィーデルは寡兵のデュフォア軍に1万人のスペイン軍が襲ったらデュフォア軍はひとたまりもないと考え、行軍の連続で疲れている師団をまとめ上げて7月17日に再び出発、翌日にはサン・カロリーナまで急いで行軍した。デュフォアの失策はすぐにバレた。デュフォア軍を襲っている非正規軍はデュフォアの報告のような脅威とは程遠く、しかもスペイン人が3度もフランス軍を避けて未だにメンギバル近くのどこかに隠れていた。さらにデュポン軍とヴィーデル軍の間に巨大な隙が生じ、レディング軍が中央位置の戦術(英語版)を採用してフランス軍両翼の中央(つまり、バイレン)に移動することを阻む術はなくなった。
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