右翼と街宣活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:38 UTC 版)
警察庁は、昭和35年(1960年)の安保闘争による共産主義革命への危機感を背景に行動右翼団体が誕生したとしている(任侠系の所謂「反共抜刀隊」である)。同庁は、平成11年(1999年)の調査で、街宣活動を行っている右翼は約900団体約1万人とみなしている。『知恵蔵』平成2年(1990年)版には約50団体2万2000人とあるという。ただし、右翼の看板を掲げているだけで実際に活動をしていない暴力団の存在や所在不明な右翼団体、1人で複数の団体を名乗ったり逆に1人で複数の団体に加盟したりで、公安当局が右翼の正確な数字を把握していないとの指摘がある。さらに当局は一度右翼として記録したら、右翼活動をやめても資料から抹消されないことも指摘されている。 街宣車で街宣活動を始めた右翼の元祖は、戦前には国会議員も務めた大日本愛国党総裁の赤尾敏とされている。 民族派右翼団体「一水会」の代表を務めた鈴木邦男は、右翼なら必ず街宣車を持ち、街宣活動を行なうとしている[要出典]。右翼団体数の900団体はほぼ街宣車の数と一致する。なお、新右翼の維新政党・新風や、財界系の日本会議なども街宣活動を行なっている。 一口に「右翼団体」と言っても数多の組織が存在し、そのすべてが「極端な愛国思想」「暴力団の隠れ蓑」などであると一括りにはできない。
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