対華21カ条要求
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対華21カ条要求(たいか21かじょうようきゅう)は、第一次世界大戦中の1915年1月18日に日本が中国に対して行った満蒙における日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題をめぐる21か条の要求と希望のこと[1]。対支21ヶ条要求、二十一か条の要求とも呼ばれる(中国語版では「二十一条」)。
注釈
- ^ 1917年8月14日にドイツ・オーストリアに宣戦布告。
- ^ 伝統的国際法においては、交戦国以外の中立国には一連の義務があり、中立国の領域および領水は、交戦国の敵対・作戦行為が禁止された非交戦区域であり、中立国には交戦の防止や排除の役割が求められる。陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約第一条には「中立国の領土は不可侵とす」と、中立国のみならず交戦国も拘束される内容になっている。しかし実際の戦史ではこの中立国の権利義務はしばしば有効に機能せず、第三国の領域が攻撃対象とされ、あるいは交戦区域に取り込まれるかはほとんど武力紛争当事者の判断に委ねられている[6]。
- ^ 中立国には公平義務があり、交戦当事国の一方に便宜を提供しない回避義務を負う[7]。ただし、陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約第7条によれば、中立国に武器弾薬を含む物資の輸出や通過を阻止する義務は無い。
- ^ 1898年に「旅順(港)大連(湾)租借に関する条約」でロシアに租借、1905年のポーツマス条約で日本に譲渡。
- ^ 加藤外相によれば「自分が要求の眼目としたのは、第二号、就中、旅順・大連の租借地期限延長と、同じく満鉄及び安奉線の期限延長とであった。それから、満蒙の鉄道・鉱山に関する利権問題についても、後日紛糾の種子となるようなものを全部解決する積り」であり大隈内閣が達成しようとした目標であった[12]
- ^ モーゲンソー日記によれば、ルーズベルト大統領は「結局、イタリアと日本が宣戦布告せず交戦する技術を進化させてきたとすれば、なぜ我々は同様の技術を開発できないのか」と語ったとされる[24]。
- ^ 『中学社会 歴史』(文部省検定済教科書。中学校社会科用。教育出版株式会社。平成10年1月20日発行)p 224には、『21か条の要求』と表記されている。『新しい社会 歴史』(文部科学省検定済教科書。中学校社会科用。東京書籍株式会社。平成16年2月10日発行)p 156、『社会科 中学生の歴史』(文部科学省検定済教科書。中学校社会科用。株式会社帝国書院。平成20年1月20日発行)p 188には、『二十一か条の要求』と表記されている。『日本史B 新訂版』(文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用。実教出版株式会社。平成14年1月25日発行)p 288には、『二十一か条要求』と表記されている。
出典
- ^ a b 江口圭一「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座 日本通史 第18巻 近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X、18~22頁。
- ^ a b 櫻井良樹「近代日中関係の担い手に関する研究(中清派遣隊) ―漢口駐屯の日本陸軍派遣隊と国際政治―」『経済社会総合研究センター』第29号、麗澤大学経済社会総合研究センター、2008年12月、1-41頁、doi:10.18901/00000407、NAID 120005397534。
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『対華二十一か条要求』 - コトバンク
- ^ 山東問題ニ関スル条約公文書集 [1]P.4(アジア歴史資料センター)
- ^ 白井勝美「日本と中国-大正時代」、近代日本外交史叢書7、原書房1972年、P.45。直接は胆紅2007.03、PDF-P.2
- ^ 森田桂子「武力紛争時の第三国領域使用の帰結--武力攻撃への該当性の観点から」『防衛研究所紀要』第8巻第2号、防衛研究所、2006年2月、31-46頁、CRID 1523669555342651904、ISSN 13441116。
- ^ 倉頭甫明「国際的中立の一考察」『研究論集』第4号、広島経済大学、1971年1月、225-240頁、CRID 1050014282714196992、ISSN 0387-1401。 PDF-P.6。
- ^ (参考)日独戦争と俘虜郵便の時代39 占領後の山東鉄道(その1)。
- ^ 胆紅2007.03、PDF-P.3。また胆紅によれば、1917年の中華民国の参戦によりドイツ中華民国間の条約は無効となっており、租借地は中華民国に直接返還されなければならないというのがパリ講和会議における中華民国の主張であったとされる。
- ^ タイムズ 1922年4月19日 ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース著 『日本に気をつけろ』
- ^ 日支共同防敵軍事協定で連携が強化された。
- ^ 伊藤正徳「加藤高明」(昭和4年下巻P.205)、直接の引用は、(岡俊孝 1965)。
- ^ a b c d 渡辺明『満洲事変の国際的背景』国書刊行会、1989年。doi:10.11501/13331077。NDLJP:13331077 。
- ^ a b 大阪朝日新聞 1915.1.28[2]神戸大学デジタルアーカイブ
- ^ 大阪朝日新聞 1915.1.21-1915.1.22[3]神戸大学デジタルアーカイブ
- ^ a b 岡俊孝 1965, p. PDF-P.7
- ^ 岡俊孝 1965, p. PDF-P.9.
- ^ 岡俊孝 1965, p. PDF-P.19.
- ^ 山上正太郎 『第一次世界大戦 : 忘れられた戦争』 講談社<講談社学術文庫>、2010年、pp.70-71 ISBN 978-4-06-291976-0
- ^ a b 伊東六十次郎『満洲問題の歴史』原書房〈上下巻〉、1983年。国立国会図書館書誌ID:000001654465 。
- ^ 「山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文學報』第68巻、京都大学人文科学研究所、1991年3月、doi:10.14989/48355、ISSN 0449-0274。
- ^ 西尾林太郎「「満蒙」問題と貴族院 : 第46議会の議論を中心に」『愛知淑徳大学論集. 交流文化学部篇』第2号、愛知淑徳大学交流文化学部、2012年、77-88頁、hdl:10638/5158、ISSN 2186-0386、NAID 120005038700。
- ^ 米国人の観たる満洲問題(太平洋問題調査会、1929年)
- ^ 高橋文雄「経済封鎖から見た太平洋戦争開戦の経緯--経済制裁との相違を中心にして」『戦史研究年報』第14号、防衛省防衛研究所、2011年3月、27-56頁、ISSN 13455117、NAID 40018877832、NDLJP:10366917“国立国会図書館デジタルコレクション”
- ^ 山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文學報』第68巻、京都大学人文科学研究所、1991年3月、doi:10.14989/48355、hdl:2433/48355、ISSN 0449-0274。, PDF-P.5及びP.137,PDF-P.10脚注5
- ^ 満洲日日新聞1915.5.18-5.21[4]神戸大学デジタルアーカイブ
- ^ 大阪朝日新聞1915.4.24-7.2[5]神戸大学デジタルアーカイブ
- 1 対華21カ条要求とは
- 2 対華21カ条要求の概要
- 3 その後の展開
- 4 名称について
- 5 脚注
- 二十一ヵ条の要求のページへのリンク