上部構造とは? わかりやすく解説

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上部構造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 15:02 UTC 版)

宇治橋 (伊勢市)」の記事における「上部構造」の解説

欄干男柱の上取付られた16基の擬宝珠装飾される。西詰北側擬宝珠には、の安全を願う萬度麻(まんどぬさ)という御札納められている。この擬宝珠仏教的な名称を嫌う神宮内部では葱花金物呼ばれている。造替にあたり他の部材全て新調されても、擬宝珠だけは磨き上げられるのみで、擦り切れるまで繰り返し使用される近年宇治橋橋板厚さを15cmにしているが、年間400万人前後参拝客が通行するため橋板摩耗激しく20年間では約6cm摩耗する。靴ではなく草履での通行大部分であった明治以前これほど摩耗しなかったという。

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上部構造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:50 UTC 版)

リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「上部構造」の解説

イギリスからの回航時、マスト船体後部設置され単脚式の大檣1 本のみで、前部艦橋後ろには信号燈のための簡素な支柱装備されていた。しかし、リューリクの元の設計では船尾以外にグロモボーイのように戦闘司令塔前部前檣を持つ、2 本マストになっていた。これには重量軽減という目的があったが、それ以上に、日露戦争直後起こったマストは1 本で必要かつ十分である」という当時一世を風靡していた思想よるものであった。この考え従い日露戦争後一時期艦隊装甲艦ツェサレーヴィチ巡洋艦グロモボーイとボガトィーリは実際に後部大檣1 本のみを装備していた。また、リューリク同時期に建造されアドミラール・マカーロフ船体中央部に1 本の大檣持っていた。このほか、1907年時点でのアンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌイの設計や、1909年から1910年にかけて改装され小型巡洋艦ジェームチュクも1 本マスト採用していた。前者アドミラール・マカーロフ式で中央に1 本、後者リューリク式で後のみであった。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 1908年夏、ヴィッカース工場での作業終えロシアへ向かって出航するリューリクマストが後1 本のみの状態。 1908年9月23日、ビヨルケズントにて皇帝ニコライ2世視察を受けるリューリク前部艦橋部に信号灯用の支柱設置されている。 1912年停止速度を取るリューリク大檣と同じ高さの前檣追加されており、大檣上にはバルト海海軍司令官旗が掲げられている。帆桁前後ともに同じで、下の主帆桁が上より長い1915年から1916年の冬にレーヴェリにて撮影された、越冬中のリューリク。後は上だけになっており、前檣残された主帆桁大幅に短縮されている。 1917年リューリク前檣三脚式に改修されており、継ぎ目大型化した着弾観測用の前檣望楼設置されている。 リューリクもこの時期潮流合わせて1 本マスト大型艦として建造されたが、この時期ロシア巡洋艦についてはマストの数が設計段階右往左往しており、元の設計ではリューリクアドミラール・マカーロフとも従来通りの2 本マスト予定であった。それが、1905年7月28日新しく海軍大臣就任したA・A・ビリリョーフ海軍中将指令によって、リューリクアドミラール・マカーロフ、それに改修工事中のオレークのマストは単とされることになった同年8月23日海軍技術委員会はオレークのマストを1 本の低い軽量マスト変更する決定採択した続いて、バヤーンとパルラーダについての疑問出されたが、これらは2 本マストのまま完成されることになった。こうなると、今度リューリクアドミラール・マカーロフ、それにオレークのマストを2 本に戻すべきかという疑問生じた1907年1月11日I・M・ジコーフ海軍大将海軍大臣就任すると、1905年7月28日決定無効であるという決定下された1908年初頭には、海軍総司令部は2 本マストへの方向転換始めた。「射撃管制便宜のため、2 本マスト」とし、「それぞれに高さ100 ft位置長距離射撃管制のための観測所設置する」という基本方針定められた。さらに、同年6月26日付け海軍総司令部から海軍大臣への報告書では、「すべての軍艦について同一シルエットを得ることと射撃管制のため、艦船に2 本の軽量マスト設置するということへの、海軍大臣承認請願する」と記された。この請願承認されリューリクアドミラール・マカーロフ、オレークともに1 本のマスト追加して2 本マストとすることになった1909年1月8日海軍大臣S・A・ヴォエヴォーツキイ海軍中将交代し同年2月I・Kグリゴローヴィチ海軍中将がその副大臣就任すると、グリゴローヴィチマストは1 本式採用する確認した同年3月17日にクルィローフ技師は、アドミラール・マカーロフ船体中央部に1 本の大檣リューリクとオレークは船尾に1 本の大檣持ち、後2者はさらに戦闘司令塔付近に信号燈用の支柱を持つ、という報告をした。結局、これらの艦は単式で竣工したのである。 しかし、大型艦は単とするという風潮長くは続かなかった。実際に運用してみると、第2マスト廃止はまった失敗であったということ明らかになった。大檣航法艦橋から離れていたため、艦隊での航海におけるタイムリーな信号発信について困難が生じ場合があった。リューリク信号燈用の支柱持っていたものの、アドミラール・マカーロフにおいてこの不具合は特に顕著で、しばしば的確な信号発信がまったく不可能ですらあった。第2マスト欠如また、射撃補正必要な第2の観測所を艦に設置できないという問題生じた報告書によれば、「空中電線容量」の減少のために「無線連絡縮小された」。また、問題マストだけではなかった。上層甲板設置され艦橋も「完全な役立たずであった至る所ひびが入り至る所甲板から剥がれており、半年ほどのあいだ、艦橋の下へ自由に出入りするのを防ぐため、錆を促進するために部分的に塗料塗られていた。 一方、2 本マスト完成されたバヤーンとパルラーダでは、それぞれのマスト固定式観測所設置され活用されていた。このような設備リューリクアドミラール・マカーロフにもあるべきだと考えられたが、その理由のひとつには、皇帝自身がそれを命じたということもあった。1909年夏には、海軍副大臣リューリクアドミラール・マカーロフの上甲板上の艦橋を、バヤーンやパルラーダのような寄木式の」木製艦橋換装するという指令出した数々問題解決ためにリューリクアドミラール・マカーロフ前檣設置する改修工事施されることになったリューリクでは、1910年修理の際に戦闘司令塔後部に単式の軽量マスト設置された。その喫水線からマスト先端までの高さは、大檣と同じ45.7 mに合わせられた。中程には、小さいながら観測所設けられた。この改修工事は、大した困難は生じなかった。後年1917年修理受けた際には前檣三脚式に改修され左右に脚を広げた2 本の支柱追加された。その構造はるかに頑丈になり、新し空間にはより正確な着弾補正計算を行うための前檣望楼設置された。 マスト変更が行われた関係で、その帆桁変更受けた当初、艦は両長い帆桁と上持っていた。その後戦時中に上無線アンテナのために残されたが、主帆桁前檣望楼下の1 本だけに変更された。短縮され前檣の主帆桁は、信号旗可動風船掲揚のために使用された。 なお、リューリク大檣後部艦橋とのあいだには1 基の探照燈設置されていた。のちには、前部戦闘司令塔横のウイング上に左右に1 基ずつ探照燈設置された。

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上部構造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 08:18 UTC 版)

キーファーマルクトの祭壇画」の記事における「上部構造」の解説

精巧に彫られた上部構造には、マリアアレクサンドリアのカタリナバルバラの各聖女描かれており、上部には預言者胸像挟まれ聖アグネス彫像位置しその上に聖ヘレナ彫像冠されている。丁寧に作られ彫像は、個別デザインされ衣服属性大きな違いがある。上部構造自体中央パネルの各聖人の上そびえ立つ3本主要な小尖塔を含む11本の小尖塔構成されている。何度変更されており、他の祭壇画要素取り入れられている。もともとは純粋に建築的構成であり、植物的要素含まれていなかった。また、人物像がもともと上部構造の一部だったのか、それとも別の方法配置されたのかについても疑問残されている。

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上部構造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 10:15 UTC 版)

」の記事における「上部構造」の解説

上部構造は、床構造と主構造から成り立つ。床構造床版しょうばん)や床組ゆかぐみ)によって形成され通行する交通支え役目を持つ。主構造主桁など、床構造支えて荷重下部構造伝達する役割がある。吊橋斜張橋では主塔ケーブルも上部構造に含まれる。さらに、車両や人などがから落下するのを防ぐ高欄こうらん欄干らんかん)や自動車防護柵照明柱などの付加物、下部構造とをつなぐ支承ししょう)や道路と橋の境にあたる伸縮継手も上部構造に含まれる

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