日本における文学論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 23:31 UTC 版)
1955年(昭和30年)、高橋義孝は、「文学は上部構造か」という論考を発表し、文学は普遍的な人間性を描くもので、上部構造とはいえないのではないかという問題提起をおこなった。これは、ハンガリーの美学者、ルカーチ・ジェルジの1954年の論考、『上部構造としての文学』に触発されてかかれたものであった。それに対して、本多秋五や小田切秀雄たちが反論した。このとき、マルクスが『経済学批判への序言』で書いたとされる、ギリシア文学に対する言及が焦点のひとつとなった。
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