「高貴な野蛮人」という用語の起源
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「高貴な野蛮人」の記事における「「高貴な野蛮人」という用語の起源」の解説
英語における「高貴な野蛮人(Noble Savage)」の語の初出は、ジョン・ドライデンの英雄劇『グラナダの征服』(1672年)である。 自然が初めて生み出した人間のように、私は自由だ、服従の法が始まる前、野生の森に高貴な野蛮(noble savage)が走り回っていた頃。 ドライデンの戯曲で上記のセリフを言う主人公は、このシーンでは「自分は王子の臣下ではないが故に、王子を死に至らしめる権利を持つことを拒否する」と言う意味のことを言っている。ウォルター・スコットはこれらの詩行を『モントローズの伝説』(1819年)第22章の見出しとして引用した。なお、ここでいう「Savage」は「野蛮」というより「野獣」という意味で捉えたほうがよいため、この詩文における「noble savage」という語句は、「他の野獣や人間らを超越した野獣」を意味する詩的表現だと考えるべきである。 音楽民族学者の Ter Ellingsonは、ドライデンはフランス人探検家マーク・レスカーボットが1609年に記したカナダ旅行記から「高貴な野蛮」という表現を見つけ出したと考えている。その本には「The Savages is Truly Noble」と言う皮肉的な見出しの章があり、その意味を簡単に言うと「彼らは狩猟の権利を享受していた、フランスではその特権は世襲の貴族だけに与えられていたのに」と言うものである。レスカーボットが狩猟という貴族の娯楽に対するモンテーニュの批判を知っていたかどうかは不明であるが、一部の研究者はレスカーボットがモンテーニュに詳しかったと考えている。レスカーボットがモンテーニュに精通していたかどうかについては、Ter Ellingsonの著作『The Myth of the Noble Savage』において検討されている。 ドライデンの時代において、「savage」という言葉に現在のような野蛮な意味が含まれているとは限らなかった。そうではなく、形容詞として、例えば「野生の花」などと言う場合に、「wild(野生)」と同じ意味で使われた場合もある。したがって、ドライデンの1697年の著作から引用すると「the savage cherry grows(野生の桜が成長する)」 オードリー・スメドレー(アメリカの学者)の説によると、「英国における「野蛮人」の概念は、領土拡張主義におけるアイルランド人の牧畜民との対立に依拠しており、そしてより広い視点で見た場合には、ヨーロッパ大陸から隔絶されていることによる、近隣のヨーロッパ諸人種に対する侮蔑に依拠していました」。そしてエリンソンは「民族誌的な文献を当たれば、そのような論点を支持する気持ちがかなり大きくなるでしょう」とする 英語で「高貴な野蛮人(noble savage)」と呼ばれているストックキャラクターは、フランス語においては単に「le bon sauvage」、すなわち「良き未開人」であり、英語のような矛盾語法的な語感はない。「le bon sauvage」の語を生み出したのはモンテーニュであると一般に信じられており、特に彼の『随想録』(1580)に収録された『Of Coaches(鍛練について)』および『Of Cannibals(人食い人種について)』(1580年)に由来するという伝説がある。「自然の中の紳士」として理想化されて描写されるこのキャラクターは、例えば「善良な乳搾り女」、「主人より賢い召し使い」(サンチョ・パンサやフィガロを筆頭に、フィクション作品の中に無数にある)、などと同じく、「卑しい人物が高い徳を備えている」という普遍的なテーマのストックキャラクターであり、これは18世紀に隆盛した感傷主義の一つの表れであった。特に演劇において、道徳的な真実を表現するためにこのようなストックキャラクターを使用することは古典時代に由来し、テオプラストスの『人さまざま』にまでさかのぼることができるが、古典時代にキャラクター類型を描いた有名な作品である『人さまざま』はジャン・ド・ラ・ブリュイエールによって17世紀当時の現代フランス語に翻訳され、17世紀から18世紀にかけて大いにもてはやされた。この流れは19世紀の写実主義(リアリズム)芸術運動の出現によって途絶えることとなるが、冒険小説、西部劇、そしてSF小説などの特定のジャンルにおいてはかなり長く続いた。「自然の中の紳士」と言う存在はこれらの小説の中で、ヨーロッパ人の血を引くのか異国の人間なのかはともかくとして、「賢きエジプト人」、「ペルシア人」、「謎の中国人」などと言った登場人物たちに交じって登場する。「しかし今や、『良き未開人』の傍で、『賢きエジプト人』がおのれの立場を主張しています。」これらのキャラクター類型のいくつかについては、ポール・アザールの『ヨーロッパ精神の危機』において論じられている。 『ギルガメッシュ叙事詩』においても、動物と一緒に暮らす野生だが善良な男、エンキドゥが登場し、『良き未開人』のキャラクターはこの時代から常に存在した。もう1つの例としては、無知だが高貴な中世の騎士、パルジファルが挙げられる。聖書に登場する羊飼いの少年ダビデはこのカテゴリーに入る。社会から隔絶した者と美徳の関連、とりわけ都会から隔絶した者と美徳の関連は、宗教文学ではおなじみのテーマであった。 12世紀のアンダルス出身のイブン・トゥファイルが記したイスラーム哲学小説(もしくは思考実験) 「ヤクザーンの子ハイイ」は、宗教と世俗の分水嶺に跨っている。この哲学小説はニューイングランドの清教徒神学者、コットン・マザーに知られていたという点で興味深いものである。この哲学小説は1686年および1708年に(ラテン語から)英語に翻訳されたものであるが、これはインド洋の無人島でカモシカによって人間との接触なしに育てられた野生児ハイイの物語である。 ハイイは自身の理性の利用のみを通じて、人間社会に現れる前にその知識の全ての段階を通過し、その時点で彼は自然神学の信仰者であることが明らかになる。この自然神学とは、キリスト教神学者としてのコットン・マザーが原始キリスト教と同一視したものである。ヘイイの造形は「自然の人間」かつ「賢きペルシア人」でもあるが、高貴な野蛮人ではない。 以下の一節は、アレキサンダー・ポープの『人間論』(1734年)の有名な言葉で、18世紀のアメリカインディアンを描写したものである。 見よ、貧しきインディアンを!無知なる精神は雲間に神を見、あるいは風の中に声を聞く。彼の心より誇る科学は、太陽の運行の遠さ、天の川の遠さを決して教えず。然れどもただ、彼の頼む自然は、雲の被さる丘の裏側、慎ましき天国を与えたり。木々に囲まるる安全な世界、汚水に浮かぶ幸せな島、奴隷が再び自らの故国を見る場所、彼らを苦しめる悪魔はおらぬ、金に渇えたクリスチャンもおらぬ!彼の自然の欲求が満たさるるように。彼は天使の羽根を求めず、熾天使の火を求めず、されど、同じ天に入ることを求む、彼の忠実なる犬に伴われて。 上記の詩を1734年に書いたポープにとって、インディアンと言うものは純粋に抽象的な存在であった。「貧しい(poor)」とは、無学かつキリスト教を知らない存在としてのインディアンの姿を言い表したものであるが、同時に、自然の近くに住んでいるが故に幸せであるインディアンの姿を皮肉的に示したものであった。この物の見方は、「人はどこに居る人でもいつ何時でも悔い改めなければならない」(使徒行伝 17章30節に由来)という典型的な啓蒙時代の思想を反映していると同時に、自然神学における理神論の思想をも反映していた(ポープとドライデンはともにカトリックだった)。ポープの「Lo the Poor Indian」というフレーズは、Drydenの「高貴な野蛮人」と同じくらい有名になり、そして19世紀に入り、より多くの人々がインディアンと接して直接的な知識を持ち、さらに紛争を起こすようになると、同様の皮肉的な効果を狙って嘲笑的に使われるようになった。
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