画像データの伝送標準化と回線開放
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「ファクシミリ」の記事における「画像データの伝送標準化と回線開放」の解説
FAXの普及が急速に進んだのはFAX画像データ伝送の全世界標準化と電話回線のデータ通信への開放である。 CCITT(現 ITU-T)において国際的なFAXの画像データ伝送方法(プロトコル)についての標準化が審議された。 最初に、1960年(昭和35年)に前述のコルンやベラン、小林らが開発した円筒・機械式走査の『写真電送装置の標準化』が行われた。 円筒の直径は66・70・88mmの3種が選定され、走査ピッチ(円筒軸方向の移動幅)は円筒直径を協約数(264または352)で除した数値(直径66mmで協約数264の場合の走査ピッチは0.25mm)とした。この規定により協約数が同一であれば、円筒径が異なる送受信機間でも画像乱れの無い通信が可能となる。その他、ドラムの回転速度(60・90・120・150rpmの4種)とその誤差、同期や位相、振幅変調や周波数変調等について勧告が出された。 1970年代までは、ファクシミリ通信というのは高価な装置を用いる通信手段で、使用するのは報道会社、鉄道会社、警察組織、軍の組織、特定の企業など限られていて、業務用であり、あくまでひとつの組織の内部の通信のために使われていた(基本的に、2つの異なる組織の間の通信には使われていなかった)。 G1 平面走査タイプのスキャナや新しい記録方式の開発に対応して、1968年(昭和43年)G1規格(電話回線、データ圧縮無しでA4サイズ原稿を6分で送信)が勧告された。 G1規格は走査線密度は3.85本/mm、電話回線での走査線周波数は180本/分(3本/秒)、振幅変調(AM : Amplitude Modulation)と周波数変調(FM : Frequency Modulation)について規定している。スキャナで得られる画像信号はアナログで、振幅変調で送信する場合は、搬送周波数1,300 - 1,900Hzの範囲内で白を最大振幅、黒を最小振幅と定めている。周波数変調で送信する場合は、白が搬送周波数-400Hz、黒が搬送周波数+400Hzの範囲内と規定され、交換回線経由での搬送周波数は1,700Hzと規定されている。 1971年(昭和46年)の特定通信回線、1972年(昭和47年)の公衆通信回線を利用した通信の自由化(第1次通信回線開放)とともに、電話回線がデータ通信やFAX通信に広く利用され、東方電機(後の松下電送)・NEC・東芝・東京航空計器・日本無線等が競ってFAXのG1適用機を商品化した。 G2 さらに、1976年(昭和51年)にA4サイズの原稿を3分で送信するG2規格が勧告された。 走査線密度はG1規格と同じ3.85本/mmで、走査線周波数を360本/分にし、2倍の速度の標準化をしている。 G3 画像信号のデジタル化と伝送時間を短縮するデータ圧縮技術が実用化されて、1980年(昭和55年)にA4サイズの原稿を1分で送信するG3規格が勧告された(数回の改訂があり最新版は2003年7月)。対象とする用紙はA4・B4・A3・レターサイズ・リーガルサイズで、その短辺幅を考慮して、走査幅は215・255・303mmの3種を規定している。走査の送り方向の走査線密度(垂直方向)は3.85本/mm(G1・G2を踏襲)、オプションとして7.7本/mm・15.4本/mmを規格化している。走査方向(水平方向)の信号はG1・G2規格ではアナログであるが、G3規格では細かく分割した画素単位(8画素/mm)で白と黒の2値にデジタル化される。オプションとしてインチ系の規格もあり、走査の送り方向(垂直方向)は100・200・300・400・600・800・1,200本/1インチ(25.4mm)の7種が、走査方向(水平方向)は100・200・300・400・600・1,200画素/1インチ(25.4mm)の6種が規格化されている。画像データのデジタル化にともない、データ圧縮や誤り訂正の技術やFAXにメモリーを内蔵しての種々の機能(一斉同報、機密保護通信、ポーリング受信、時刻指定通信、マルチドロップ、メモリー間通信等)が開発された。 G3規格ではオプションとして1次元符号化と2次元符号化、拡張2次元符号化によるデータ圧縮やECM(Error Correction Mode)などを規定することにより、1分送信を実現している。 G3規格の登場により、ファクシミリの市場が一気に活性化。その結果日本の電機メーカー・通信機メーカー・事務機器メーカーなども開発・製造に乗り出し、特に、欧米と違い漢字といった象形文字の文化を持つ日本では図像電送へのさまざまなニーズがあり、ファクシミリの性能向上への要求も強く、それらの要求にこたえるための技術開発・商品開発に各社がしのぎを削り、質や機能や使い勝手の向上が図られ、そのおかげでファクシミリは同一企業内だけでなく不特定多数との交信にも使われる通信手段、情報通信の要(かなめ)として広く普及し、日本のメーカーのファクシミリは世界市場を席巻する情況になった。オフィス用途では高スピード、高解像度、大量送信、大量受信に対応できるファクシミリ機器が採用され、家庭用やスモールオフィス用には低価格で省スペースのファクシミリ機器が販売された。このような経緯で一般家庭にもFAX機の普及が進んだ。 G4 1984年(昭和59年)にFAXデータを高速デジタル回線で送信するための標準化、G4規格が勧告された。 G4規格はG3規格を拡張して回線交換公衆データ網(CSPDN)、パケット交換公衆データ網(PSPDN)、ISDNに対応した規格である。 以上の規格の制定や回線開放と共に量産とコストダウンが進み、官庁や新聞社から大企業、さらに中小企業や個人へと使用が拡大した。 1981年には日本電信電話公社(電電公社)により、通信料金の安いファクシミリ通信網(Fネット)が開始された。同時に日本電気、日立製作所、富士通、松下電送、東芝が分担開発したミニファックスMF-1が電電公社から発売され、ヒット商品となった。1984年にはG3規格摘要の改良機MF-2を開発・販売を開始した,。 その間、現在の主力であるG3ファクスが開発され、また1985年に電話機を始めとする端末設備の接続が自由化(端末の自由化)されると、中小企業や商店などで急速にファクスが普及し始めるとともに、パーソナルコンピュータなどのFAX内蔵モデムが登場する。 1988年に開催されたソウルオリンピックを目前に高解像度のカラーイメージスキャナーが登場し、同時に日本の主要都市に光ファイバーが敷設され、デジタル通信回線により高解像度の電送された写真が地方新聞社に送られカラー写真が紙面を飾った。 1990年代に入ると、コードレス留守番電話機と結合された形で、一般家庭でも使われるようになった。また、ファクシミリの機能を活用しあらかじめ決められたコード番号を入力することで様々な情報を受信することが可能なFAXサービスの提供が主な企業より行われた。 日本では1990年代半ばまでファクシミリの通信網契約数は右肩上がりで増えつづけ、たとえば1984年に1万8千件ほどだった契約数は、5年後の1989年には36万9千件ほどになり、1994年には67万8千件ほどに達していた。
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