瓦
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瓦(かわら、英: roof tiles)は、屋根葺きに用いられる代表的な建材である[1]。
概要
瓦は屋根葺きの材料の一つで、一般的には粘土瓦を指す[2]。
「瓦」という漢字は、もともとは屋根[3]の建材に限らず、粘土を素焼きしたもの全般を意味している[注 1][注 2]。
一方、広義で「瓦」と称されるものには、粘土系の陶器瓦などのほか、セメント系のプレスセメント瓦やコンクリート瓦、金属系のアルミ瓦などがある[5]。
ドイツでは、粘土製のものをZiegel(ツィーゲル=煉瓦)またはDachziegel(ダッハ・ツィーゲル=屋根の煉瓦)、セメント製のものをDachstein(ダッハ・シュタイン=屋根の石材)と呼んでいる。
世界の市場
世界での主たる販売業者としては、Braas Monier Building Group、Etex、IKO、Wienerbergerなどが挙げられる[6]。
ホテル建設市場では、世界的に見るとホテルが高級志向になってきており瓦屋根で施工されることが増えてきており、瓦の需要が増している[6]。
瓦の素材
この節では粘土系の陶器瓦以外の素材を含めて述べる。
- 粘土瓦
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→詳細は「粘土瓦」を参照
- 粘土を混練、成形、焼成してできた瓦[7]。一般的には粘土瓦のことを「瓦」という[2]。形状では和瓦や洋瓦に分類される[5]。また、製法により、釉薬瓦、いぶし瓦、無釉瓦に分類される[5]。
- 金属瓦
- 金属板を使用した屋根とともに金属屋根に分類される[8]。具体的にはアルミ瓦などがある[5]。寒冷地域では割れてしまう粘土瓦の代わりに葺かれることがある[9]。金属瓦としては名古屋城や大阪城などで銅が、金沢城で鉛瓦が使用された[10]。
- 日本ではチタン製の瓦も登場している[11]。アルミに比べ高価だが、メンテナンスがほぼ不要で補修費用がかからないため、長期的には低コストであるという[11]。
- 石瓦
- 石製の瓦。福井県の丸岡城に使用例がある[10]。
- セメント瓦
- モルタル製の屋根瓦である[12]。日光や風雨にさらされると塗装がはがれてしまう性質があるため、定期的に塗装をし直す必要がある[13]。大半のメーカーが製造から撤退しており、2017年時点で工場は沖縄の1軒だけである[14]。
- プレスセメント瓦
- モルタルを型枠に入れてプレス成型した後に塗料で表面処理したものである[7]。プレス成形後の寸法精度が高い事により特殊な形状の役物[15]部品が作りやすく、施工の省力化簡易化が図られている[注 3]。
瓦の系統
瓦の起源
この節では粘土瓦を中心に述べる。
瓦は、洋の東西を問わず古くから用いられている[1]。しかし、瓦が誰によっていつごろ発明されたかはよくわかっていない[17]。
起源については地中海東部と中国と考えられ[18]、エーゲ海沿岸発祥のものは「レルナ・プロセス」、中国内陸部の周原発祥のものは「鳳雛プロセス」と称されることがある[19]。瓦の起源地については、ギリシャ、インド、中国の三地域とする説もある[20]。
従来の通説では陝西省宝鶏市岐山県鳳雛村で発見された西周時代(紀元前11世紀頃)の平瓦状の瓦が最古とされた[19][17]。夏で陶製の瓦が作られていたという記録があり、春秋戦国時代の瓦は遺物として残っている[1]。
しかし、2000年以降の考古学調査により河南省の鄭州商城などの事例が報告され[19][21]、少なくとも約4000年前の新石器時代(龍山文化期)には瓦が出現していたと考えられるようになっている[21]。
西洋における瓦
地中海東部を起源地とする系譜のものは、比較的平らであり、ルーフ・タイルの名にふさわしいものとなっており、その東限はインドとされる[18]。
ローマ式瓦はギリシアやイタリアなど多くの地域で採用されており、インドでも主流の瓦の一つとなっている[22]。
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東洋における瓦
本瓦
陝西省周原遺跡の西周時期の宮殿建築では筒瓦(丸瓦)と板瓦(平瓦)の使用が確認されている[21]。湾曲の程度の少ない幅広のものを平瓦、湾曲が大きく幅の狭いものを丸瓦という[23]。
西周前期には平瓦と丸瓦は未分化であったが、西周中期になると丸瓦と平瓦は明確に分化し、半円形の瓦当(半瓦当)を付した軒丸瓦も出現した[19]。そして丸瓦の凸面や半円形の瓦当(半瓦当)の面に紋様を施すようになった[19]。
この平瓦と丸瓦を組み合わせて屋根を葺く方法を本葺きといい、これらの瓦を本瓦という[23]。
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平瓦
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丸瓦
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筒瓦、軒先にある瓦当も確認できる。
桟瓦
瓦は飛鳥時代には日本に伝来した[18]。日本でも平瓦と丸瓦を組み合わせた本葺き(本瓦葺き)が寺院や城郭に採用されたが[18][23]、この葺き方は平瓦が重なる部分が多く重くなるため、一般住宅ではこの重量に耐える屋根を作ることは難しかった[23]。しかし、1674年(延宝2年)に三井寺の瓦職人だった西村半兵衛が、平瓦と丸瓦を一体化して軽量化した桟瓦(さんがわら)を考案し、日本では後世に住宅用として広く普及することとなった[23]。
桟瓦には以下のような種類がある。
- 並桟(なみさん) - 右下部に切込みがある。[要出典]
- 切込桟(きりこみさん) - 左上部と右下部に切り込みがある。[要出典]
- 引掛桟(ひっかけさん) - 表は切込桟瓦と同じであるが、裏面に瓦桟に引掛けるための突起がある。[要出典]
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並桟
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切込桟
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引掛桟(裏面)
日本産業規格(JIS A 5208)では、J形、S形、F形に分ける[25]。
- J型 - 従来からある日本独特の瓦[25]。
- S型 - 平瓦と丸瓦を一体化させたような形状の桟瓦。大正期に輸入されたスペイン瓦から発想を得て開発された。[要出典]
- F型 - 桟瓦の一種。平板瓦ともいう。接合部以外は起伏が少なく、平坦である。明治期にフランス人のアルフレッド・ジェラールによって開発された。[要出典]
役瓦
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中国由来の本瓦、日本の桟瓦、西洋の瓦のいずれも、基本の瓦だけで屋根を葺き上げることはできず、特殊な部分に用いる役瓦(やくがわら)が必要となる[23]。
東洋
- 掛瓦(かけがわら)
- 破風の上部に作られる蓑甲(みのこう)に葺く瓦のこと。
- 掛巴瓦、掛巴(かけどもえ) - 蓑甲部分の先端を飾る軒丸瓦のこと
- 掛唐草瓦、掛唐草(かけからくさ) -蓑甲部分の先端を飾る軒平瓦のこと
- 袖瓦(そでがわら)
- 蓑甲でない破風上部に葺かれる瓦。けらば瓦、妻瓦(つまがわら)ともいう。
- けらば平瓦 - 本瓦葺のけらばに葺く瓦。
- けらば桟瓦 - 桟瓦葺のけらばに葺く瓦。
- けらば唐草 - 巴と唐草を瓦の妻側面に施した袖瓦。掛瓦を葺いた蓑甲のようになる。
- 軒瓦(のきがわら)
- 軒瓦の装飾部は 瓦当(がとう)と呼ぶ。軒先で雨などが内側に入らないようにする遮蔽機能を持ちながら、軒先で見えることから美化的な装飾が施された。中国では秦漢時代に彫刻された瓦が見られ、漢の時代には「長楽未央」「長生無極」などの縁起の良い文字入りの物も出るようになった[26]。また、日本の瓦当や琉球王国時代にも独自の文様が見ることができる[27][28]。


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軒丸
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軒平
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滴水瓦
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桟唐草
- 棟瓦(むねがわら。大棟・平降棟・隅降棟)
- 棟飾(むねかざり。おもに装飾のための瓦)
西洋
- アンテフィクサ
- Wolfsziegel - 南ドイツに見られる屋根の上に設置される笛のような音が鳴るよう加工された瓦。特定方向の風で笛が鳴り、山に餌が無くなったオオカミの到来を告げる。フランス語では、tuile à loup と呼ばれる。
瓦の葺き方
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- 本瓦葺き
- 丸瓦と平瓦を交互に積む葺き方。 ドイツでは、Tegula und Imbrex と呼ばれる。
- 桟瓦葺き
- 波型の瓦を交互に積む葺き方。ドイツでは、Hohlpfanne、英語では Pantile で行われる。
- モンク・ウント・ナン
- 修道士と修道女の意。古い地中海側の教会や近代以降の住居に見られる。丸瓦を互い違いに積む葺き方。
- Biberschwanz
- ビーバーの尻尾の意。ビーバーの尾のような形状をしている平瓦を用いる。葺き方は3種類ある。
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ドイツ連邦共和国シフドルフの教会の屋根。Hohlpfanneが使用されている。
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モンク・ウント・ナン
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Biberschwanzで葺かれた屋根。Kronendeckung 法
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Kronendeckung
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Doppeldeckung 法
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Einfachdeckung 法
日本における瓦
瓦が葺かれた屋根を「瓦葺き(かわらぶき)」、「瓦葺屋根」、「甍(いらか)」と言う。
形や用途、焼成法、色、等級、産地など様々な分類法があり、数え方によっては1000を超えるほどの種類がある。特に鬼面が施された「鬼瓦(おにがわら)」や瓦当(がとう=軒丸瓦先端の円形部分)の文様は、芸術品としての評価もある[29]。
2006年現在で、日本国内で稼働している最大の瓦窯は、容積としては長さ110m×幅F形12列1段のトンネル窯である。最長は、125mのトンネル窯(幅、F形9列1段)である[30]。
瓦は日本では、その本来の屋根建材としての用途のみに限らず、平瓦を壁に用いて漆喰で継ぎ手を板かまぼこ状に盛り固めた「海鼠壁(なまこかべ)」や、瓦や石などを粘土で接着し固めて造る「練塀(ねりべい)」などの壁材[9]、寺院の基壇のタイルのような役目や、雨落ちや溝の一部としても用いられる[29]。
日本での歴史
古代〜中世

『日本書紀』によると日本には西暦588年に百済から仏教と共に伝来したとされている[17]。百済からは麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝弥の4人の専門家(瓦博士)が派遣され、飛鳥寺の創建で初めて使用されたとされる[31][17]。
寺院以外で使用された最初の例は7世紀末に建設された藤原京とされている[17]。大極殿などの宮殿は瓦葺きで建てられていることが考古学的に確認されていることから、初めて寺院以外で瓦が使用されたとみられている。藤原京の建設では瓦生産が周辺地域だけでは追い付かず、近江、淡路、讃岐などでも生産が始まった[17]。この頃の瓦窯遺構としては宗吉瓦窯(現在の香川県三豊市三野町吉津)の17号窯[32]がある。しかし、地方においては、8世紀中頃以前は瓦葺きは寺院に限られると見てよい[33]。
近世


江戸時代になっても一般庶民の家屋は板葺きが一般的で瓦葺きが普及したのは江戸時代末期のことである[17]。
当初、幕府は「奢侈禁令」により庶民が屋根瓦を使うことを禁じていたが、江戸などでは火事対策の観点から屋根瓦の使用を奨励するようになり葺き替えに助成金を出すようになったことで次第に普及した[17]。また、江戸時代には近江の三井寺の瓦師である西村半兵衛が平瓦と丸瓦を合わせたような形状の桟瓦を開発したと言われている[17]。
近現代
従来の桟瓦は明治時代の初期に改良され引掛桟瓦が開発された[17]。1926年以降、引掛桟瓦は当時の内務省の奨励もあったことから瓦葺きに用いる標準的な瓦となり広く普及している[17]。
一方、明治時代になると横浜でフランス人のアルフレッド・ジェラールが洋風建築用としてフランス型の瓦(ジェラール瓦(フランス瓦))の製造を始めた[17]。 1909年(明治42年)には、国内でスレート瓦を製造する業者も現れている[36]。また大正時代にはスペインからスパニッシュ瓦が輸入され、これを参考に三州瓦の産地の三河では「S形瓦」が誕生した[17]。これらの新たな瓦は「洋瓦」と呼ばれている[17]。
寺院や城など文化財となっている近世以前の建物に使われる瓦は、現代の一般的な瓦とは大きさなどが異なることが多い。こうした文化財の修復時には、その建物で使われている瓦の形や大きさ、材質などを調査して、なるべく近い瓦を新たに焼き、破損した瓦と交換する。こうした研究や瓦葺き技術の継承を行う「日本伝統瓦技術保存会」が1991年から活動している[37][38]。
1990年代からは不況による住宅建築の初期費用の削減に加え、瓦屋根は地震に弱いという誤解が1995年の阪神・淡路大震災を切っ掛けとして広まった事等により、陶器瓦は1980年をピークに2014年は4分の1まで、いぶし瓦は1993年をピークに2014年は6分の1まで低下した[39][40]。
しかし、防災性を向上させた軽量防災瓦や、ガルバリウム鋼鈑の表面を自然石粒でコーティングした自然石粒付鋼鈑も登場している[41]。
2020年、国土交通省は瓦屋根について建築基準法の告示基準を改正し、従来の告示基準を上回る自然災害に強いガイドライン工法を義務とすると発表し、2022年1月1日より施行された。ガイドライン工法は業界団体が独自に定めていたものであるが、義務化の背景には自然災害の激甚化や多発がある[42][43][44]。ガイドライン工法により震度7クラスの地震、50年に一度発生する可能性のある強風に耐えることが可能であることが確認されている[45]。
-
近年の桟瓦の屋根
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瓦。(兵庫県明石市にて)
日本の瓦産地
以下が日本三大瓦産地とされる[46]。
また、他に以下の主産地がある[46]。
- 安田瓦 - 新潟県阿賀野市[46]
- 藤岡瓦[46]
- 茨城瓦 - 茨城県[46]
- 埼玉瓦 - 埼玉県[46]
- 深谷瓦 - 埼玉県深谷市[47][48][49]
- とやま瓦 - 富山県[46]
- 能登瓦 - 石川県[46]
- 加賀瓦 - 石川県
- 越前瓦 - 福井県[46][50]
- 若狭瓦 - 福井県
- 岐阜県産瓦 - 岐阜県[46]
- 清水瓦 - 静岡県
- 伊賀瓦 - 三重県[46]
- 奈良瓦 - 奈良県[46]
- 打田瓦 - 和歌山県[46]
- 京瓦 - 京都府京都市伏見区[46][51]
- 播州瓦 - 兵庫県[46]
- 西条瓦 - 広島県[46]
- 備前瓦 - 岡山県備前市
- 讃岐瓦 - 香川県[46]
- 安芸瓦 - 高知県[46]
- 伊予瓦 - 愛媛県伊予市
- 菊間瓦 - 愛媛県菊間町[46]
- 城島瓦 - 福岡県久留米市[46][52]
- 宮崎瓦 - 宮崎県[46]
- 日置瓦 - 鹿児島県日置市[46]
- 鹿屋瓦 - 鹿児島県鹿屋市[46]
- 沖縄赤瓦 - 沖縄県[46]
- 生産者・関連人物
機能性瓦
FRPを使った「軽量瓦」、ヒートアイランド現象の緩和のための「Eco Kawara」[57]、強風や地震に強い「防災瓦」など機能性をもたせた瓦が開発されている[17]。
建築以外での利用
建築以外では、空手道や中国拳法の試割り(瓦割り)にも用いられる[要出典][注 4]。
瓦そばのように、瓦が調理器具、食器として使われる事例もあるが、そういった用途には専用の瓦が製造されている[58]。
慣用句
- 瓦解(がかい)
脚注
注釈
- ^ 瓦という字、概念が用いられているのは、他にも煉瓦(れんが)など。
- ^ 英語では屋根瓦は「(roof)tiles」と呼ばれる。「tile」は「cover 覆い」という意味のラテン語: tegulaを語源としておりそれが古英語でtileとなったものであり[4]、tileも主として粘土を焼いて作られており、屋根や壁を覆うことに使われているわけである。英語では屋根瓦を指す場合にも「tile」と言うだけでも大丈夫だが、「屋根覆い」という分類をはっきりさせる場合に「roof tile」と言う。
- ^ 参考:JIS A5402:2002[16]
- ^ ただし、その際は桟瓦や本瓦は用いず、試し割り専用の瓦、又は棟積みに用いる熨斗瓦を使う。
出典
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- ^ 沖縄で普及した「セメント瓦」 今や工場は1軒だけ 最後の職人「需要ある限り作り続ける」
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- ^ 京瓦とは 浅田製瓦工場
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- ^ 創業218年 石州瓦の窯元が造る「直火用耐熱瓦」 しまね浜田市の特産ガイド(浜田市役所産業振興課)、2024年11月2日閲覧。
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関連項目
外部リンク
瓦製造業
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利根川の氾濫原野に位置していた東淵江には、瓦や煉瓦に向いた良質な原土が採集できた。これにより1909年(明治42年)頃から、中川沿岸で瓦製造が始められた。その後瓦産業は興隆し、1926年(大正15年)には中川沿岸を中心に、東淵江全体で14軒の瓦製造業者が操業していたという。 しかし、日中戦争や太平洋戦争が始まると、戦時統制や日立工場の拡大による用地買収などで瓦製造業は中断を余儀なくされ、戦後は建築様式の変化などから瓦の需要も減ってしまった。近傍の原土も採り尽くしてしまい、遠方から輸送するため採算も取れなくなったことも重なり、戦後復興期のなかで多くの瓦製造業者が廃業した。最後まで操業していた「杉本鬼瓦店」2代目の尾本正一が、鬼瓦を初め特殊瓦を製造する技術を認められ、1982年(昭和57年)12月10日、足立区登録無形文化財の鬼瓦工芸技術保持者に指定されたが、1993年(平成5年)に廃業した。これにより、東淵江の瓦製造業の歴史は終焉した。 主な瓦製造業者は以下の通り。※現在これらの製瓦工場は存在しない。 尾本家(杉本鬼瓦店)
※この「瓦製造業」の解説は、「東淵江」の解説の一部です。
「瓦製造業」を含む「東淵江」の記事については、「東淵江」の概要を参照ください。
- 瓦製造業のページへのリンク