藤戸達吾
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藤戸 達吾(ふじと たつご、1872年5月10日(明治5年4月4日) – 1920年(大正9年)7月27日)は、日本の新聞人。地方政治家。
経歴
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1872年(明治5年)[西暦年要検証]4月4日高知県安芸郡土居村(現在の安芸市土居)に堀内弁次の子に生まれた。1895年(明治28年)東京専門学校(現在の早稲田大学)英文科卒業。黒岩涙香の万朝報社に入社。
安芸の瓦製造業藤戸家の養子となり帰郷。土陽新聞に入社。以後松月の号で南海文壇に重きをなした。1905年(明治38年)高知新聞創設に参加し、文筆を持って活動する。岡本社長亡き後は野中楠吉、杉駸三郎とともに新聞社の元老格となる。
1919年(大正8年)県会議員に当選した。1920年(大正9年)7月27日没、49歳。
参考資料
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- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
固有名詞の分類
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