藤戸達吾とは? わかりやすく解説

藤戸達吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 04:42 UTC 版)

藤戸 達吾(ふじと たつご、1872年5月10日明治5年4月4日) – 1920年(大正9年)7月27日)は、日本新聞人。地方政治家。

経歴

1872年(明治5年)[西暦年要検証]4月4日高知県安芸郡土居村(現在の安芸市土居)に堀内弁次の子に生まれた。1895年(明治28年)東京専門学校(現在の早稲田大学)英文科卒業。黒岩涙香万朝報社に入社。

安芸の瓦製造業藤戸家の養子となり帰郷。土陽新聞に入社。以後松月の号で南海文壇に重きをなした。1905年(明治38年)高知新聞創設に参加し、文筆を持って活動する。岡本社長亡き後は野中楠吉、杉駸三郎とともに新聞社の元老格となる。

1919年(大正8年)県会議員に当選した。1920年(大正9年)7月27日没、49歳。

参考資料





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤戸達吾」の関連用語

藤戸達吾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤戸達吾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤戸達吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS