林譲治 (政治家)とは? わかりやすく解説

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林譲治 (政治家)

(林鰌児 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 14:59 UTC 版)

林 譲治
はやし じょうじ
1932年頃における林譲治の肖像写真
生年月日 (1889-03-24) 1889年3月24日
出生地 高知県幡多郡宿毛村
没年月日 (1960-04-05) 1960年4月5日(71歳没)
出身校 京都帝国大学
所属政党 立憲政友会→)
無所属→)
日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章(没後受勲)
子女 長男・林迶(元労働大臣
次男・林遉
親族 父・林有造(元逓信大臣
娘婿・岩動道行(元科学技術庁長官
従兄・岩村通世(元司法大臣

第41代 衆議院議長
在任期間 1951年3月13日 - 1952年8月1日
天皇 昭和天皇

内閣 第3次吉田第1次改造内閣
在任期間 1950年6月28日 - 1951年3月13日

副総理
第17-18代 厚生大臣
内閣 第2次吉田内閣
第3次吉田内閣
在任期間 1948年10月19日 - 1950年6月28日

内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1947年5月3日 - 1947年5月24日

内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1946年5月29日 - 1947年5月3日

その他の職歴
衆議院議員
(高知県第2区→)
(旧高知県全県区→)
高知県全県区
当選回数 = 11回
1930年2月20日 - 1942年4月29日
1946年4月10日 - 1960年4月5日
高知県会議員
1927年 - 1928年
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林 譲治(はやし じょうじ、1889年明治22年)3月24日 - 1960年昭和35年)4月5日)は、日本政治家。第41代衆議院議長副総理厚生大臣、初代内閣官房長官内閣書記官長高知県議会議員を歴任。位階勲等従二位勲一等旭日桐花大綬章

来歴・人物

自由民権運動家としても活躍した明治・大正期の政治家・林有造の次男として高知県幡多郡宿毛村(現:宿毛市)に生まれた。戦後の内閣総理大臣吉田茂の又従弟に当たる。1918年大正7年)京都帝国大学法科大学独法科を卒業する。三菱倉庫勤務を経て1923年(大正12年)に宿毛町長、1927年(昭和2年)に高知県会議員となる。

1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後、当選11回。1931年(昭和6年)犬養内閣鳩山一郎文部大臣秘書官となって以来、立憲政友会鳩山派幹部となる。1939年の政友会分裂に際しては鳩山とともに正統派(総裁は久原房之助)に所属し、政党解消後は大政翼賛会に批判的な同交会に所属した。翼賛選挙では非推薦で立候補し落選する。

戦後、第1次吉田内閣内閣書記官長に就任。外交官出身で内政や党務に弱い吉田を、大野伴睦日本自由党幹事長)とともに補佐。大野・益谷秀次と並び、吉田内閣「党人御三家」と呼ばれた。第2次第3次吉田内閣で副総理兼厚生大臣第3次吉田第1次改造内閣で副総理を歴任。実父が宿毛市出身の吉田と、同市出身の林の組み合わせから、世間からは「宿毛内閣」と呼ばれた。1951年(昭和26年)衆議院議長に就任。1952年に吉田首相が側近の福永健司を、増田甲子七に代わる自由党幹事長にすべく、議員総会において抜き打ちで指名を敢行した際に反対派が激しく抵抗し、最終的に林が幹事長となった。その後に総務を務めた。がんの悪化により1960年(昭和35年)4月5日に没、享年71。墓所は故郷宿毛市東福院に建つ。

俳人としても知られ、鰌児、寿雲などと号す。政治家、新聞記者を中心にした句会・東嶺会を主宰。富安風生に師事し、没後刊の句集『古袷』(雪華社、1963年)がある。

長男林迶は、参議院議員労働大臣に就いた。次男林遉は、宿毛市長に就いたが、病弱なため在職中に急逝している。長女は大蔵官僚の岩動道行(のち参議院議員、科学技術庁長官)に嫁いだ。従兄弟岩村通世は、戦時中に司法大臣だったため、A級戦犯として逮捕されたが不起訴・釈放となった。

なお、宿毛市中心部にあった旧林邸宅は改修され「宿毛まちのえき 林邸」で運営されている

関連項目

外部リンク

公職
先代
西尾末広
国務大臣副総理
1948年 - 1951年
次代
緒方竹虎
先代
吉田茂(臨時代理)
厚生大臣
第17・18代:1948年 - 1950年
次代
黒川武雄
先代
内閣書記官長より改称
内閣官房長官
初代:1947年
次代
西尾末広
先代
楢橋渡
内閣書記官長
第55代:1946年 - 1947年
次代
内閣官房長官に改称
議会
先代
幣原喜重郎
衆議院議長
第41代:1951年 - 1952年
次代
大野伴睦
党職
先代
増田甲子七
自由党幹事長
第4代:1952年 - 1953年
次代
佐藤栄作



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