日本語での上演
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「ヘッダ・ガーブレル」の記事における「日本語での上演」の解説
日本語訳については、千葉掬香が1907年に抄訳を発表し、全訳が1909年に易風社から刊行された。これに基づく土肥春曙の翻案劇『鏑木秀子』が1910年に文芸協会演劇研究所で試演されており、山川浦路(当時は三田千枝)が主演、松井須磨子(当時は小林正子)も出演していた。翻案ではない原作の台本に基づく『ヘッダ・ガーブレル』日本初演は1912年1月、東京俳優学校の学生により、東京ステージソサイテイ主催で牛込高等演芸館にて行われたが、この時はヘッダ役の東花枝以外キャストが全て男性であった。その後、近代劇協会が1912年10月に山川浦路主演で行った公演は大人気で、3日間満席であったという。日本語による『ヘッダ・ガーブレル』上演は継続的に行われており、イプセン生誕150周年の1978年には俳優座公演で大塚道子がヘッダ役を演じた。また、現代演劇協会を主宰した福田恆存の翻訳兼演出では鳳八千代がヘッダ役を演じている。1994年にはデヴィッド・ルヴォー演出により、森下ベニサンピットにてシアター・プロジェクト・東京が本作を上演し、佐藤オリエがヘッダ役を演じて好評を博した。日本の新国立劇場では2010年にアンネ・ランデ・ペータスと長島確の翻訳により、宮田慶子演出で上演された。2018年には栗山民也演出、寺島しのぶがヘッダ役でシス・カンパニーによりシアターコクーンで上演された。
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日本語での上演
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1958年に俳優座劇場にて、会田由翻訳、田中千禾夫演出で『血の花』として上演が行われ、大塚道子がイェルマを、市原悦子がマリアを、菅井きんがドローレスを、平幹二朗がビクトルを演じた。三島由紀夫はこの上演について、あまりにも田中の独自色が強すぎるが、「極度にスタティックで、能楽的」なところはロルカらしさがあったと述べている。 1979年には紀伊國屋ホールにて吉原幸子の台本、村田大の演出、岸田今日子の主演により、演劇集団 円が上演を行った。1988年、渡辺浩子演出、三田和代主演により渋谷のパルコ・スペースパート3で本作が上演され、三田はイェルマを「しなやかで弱い女性像」として演じた。 本作は大学演劇でもしばしばとりあげられる。関西学生イスパニア語連盟の語劇コンクールでは、1975年と1996年に天理大学が『イェルマ』を出している。1975年版でビクトルを演じた片倉充造は、このプロダクションの時のフアンは70年代日本における「エコノミック・アニマル」を思わせるところがあったと回想している。1989年に大学生を中心とする劇団ラ・バラキッリャが『血の婚礼』『イェルマ』『ベルナルダ・アルバの家』の3作をスペイン語及び日本語で制作し、東京でリハーサル公演をした後、グラナダなどスペインでの上演ツアーを行った。 1994年には名古屋でスペインやラテンアメリカの戯曲を精力的に上演している劇団クセックが神宮寺啓演出で『イェルマ』をとりあげ、各地で公演して2000人以上を動員している。ヒロインのイェルマ役は男優の榊原忠美がつとめ、「女性の情念やエロチシズム、人間を見る厳しさや激しさをより直接的に表現する」ことを目指す上演であった。
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日本語での上演
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「ベルナルダ・アルバの家」の記事における「日本語での上演」の解説
本戯曲は「女族長が娘たちの欲望を支配する封建的世界とその因習に反逆する人間を描いた」という点で「封建的な家制度を経験した日本人にとって分りやすい」と評されている。本作が初めて日本に紹介されたのは、内村直也が『悲劇喜劇』1952年7月号に投稿した紹介エッセイ「ロルカの戯曲「ベルナルダ・アルバの家」」においてだと考えられている。 日本語では1955年にぶどうの会により、『ベルナルダ・アルバの家』が岡倉士朗、山田肇の演出で東京、大阪、京都にて上演された。これが日本における初めての本格的なロルカ戯曲の上演であった。台本はスペイン語からの翻訳ではなく、山田が英訳を日本語訳したものが用いられた。ぶどうの会は、ロルカの戯曲がこれまで日本で主流であった自然主義的な演劇とは一線を画すものであるところに着目して上演を決定したという。この上演については、戯曲じたいは好評であったが、結局は演出の点で「写実主義的、自然主義的演出方法から抜け出すことが出来なかった」という評価を受けた。 1987年に新宿シアターモリエールにて五月舎により、鵜山仁訳・演出、女優のみ19人のキャストで上演された。当時の紹介記事では、前年にイギリスで上演されたヌリア・エスペル演出の版が評判になり、戯曲の知名度が上がっていたことが触れられている。 1990年2月には舞台を高知に移し、小松勢津子が台詞を全て土佐弁に翻訳した竹邑類演出による『B・アルバの家』が東京で上演されている。「高知の昼間の暑さとけだるさが、スペインの村によく合う」という理由で台詞が土佐弁に翻訳された。女優のみ16名のキャストで、「閉鎖的な村の雰囲気を出す」ことが重視された演出であった。 1990年9月にはスペインの女優・演出家であるヌリア・エスペルが来日し、吉田美枝翻訳による日本語版の『ベルナルダ・アルバの家』をセゾン劇場で演出した。これは1986年にロンドンで演出したプロダクションと同じコンセプトに基づくものであった。「何より家庭劇を狙い、密度の濃い舞台」であると評され、装置なども高く評価された。乙羽信子がタイトルロールのベルナルダを演じたが、乙羽をはじめとする女優陣の演技についてはやや弱いという批判もあった。 1998年に劇団クセックACTが名古屋及び岐阜で本作を上演した。このプロダクションは「幽閉された娘たちの性的な体臭」を強調したもので、「“舞踏”思わせる官能美」が評価された。一方で発声などについては批判もあった。 2006年には高瀬久男演出、小川眞由美主演でシアター1010にて上演されたが、このプロダクションは「不可能な愛」をテーマとし、ベルナルダの男性的な側面や厳粛さを強調するものであった。 2017年には福岡市のももち文化センターにて、山田恵理香演出で劇団GIGAにより上演された。本プロダクションは「視線の誘導」に特徴がある演出だと評された。
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日本語での上演
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1959年に東京の砂防ホールにて山田肇演出、山田肇・天野二郎翻訳の台本により、ぶどうの会が上演を行った。この公演について、劇作家の福田善之は「どうもわくわくさせてくれるところが少なかった」と述べ、山田の演出を批判している。三島由紀夫はこのプロダクションについて花婿の母を演じた福山きよ子の演技を褒めているが、主演のレオナルドと花嫁の演技を酷評しており、全体的に「ロルカの感覚と官能の、片鱗もとらへることができなかつた」と述べている。 1968年には池袋のアートシアターにて同じ訳者の台本を用い、堂本正樹演出で上演された。1973年には劇団民藝が渡辺浩子の演出・台本により、紀伊國屋ホールや砂防ホールで上演を行った。
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日本語での上演
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「コペンハーゲン (戯曲)」の記事における「日本語での上演」の解説
2001年10月29日から11月18日まで新国立劇場にて、平川大作の翻訳により、鵜山仁演出、江守徹がニールス・ボーア役、新井純がマルグレーテ役、今井朋彦がハイゼンベルク役で上演された。 2007年、初演と同じチームでニールス・ボーア役のみ村井國夫に変わって再演された。 2016年6月4日から7月3日までシアタートラムにて、小田島恒志の翻訳により、小川絵梨子演出、浅野和之がニールス・ボーア役、宮沢りえがマルグレーテ役、段田安則がハイゼンベルク役で上演された。
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