廃線跡の現状とは? わかりやすく解説

廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/08 06:34 UTC 版)

宇島鉄道」の記事における「廃線跡の現状」の解説

廃線より60年経過し全線亙って痕跡追跡するのは困難をきわめる。 特に宇島駅 - 黒土駅付近線路跡市街地に完全に飲み込まれ追跡難しい面はあるが、一部線路盛土残っている(塔田駅 - 黒土駅間)。また、黒土駅 - 広瀬橋駅間には、側溝架かるの跡(レンガ積み)が残っており、線路跡沿って生えているので、ルート比較分かりやすい黒土駅跡安雲駅跡さらに友駅跡農協施設になっているが、ホーム等の駅自体痕跡は全く見られない中唐原駅跡 - 百留駅付近線路跡思われる築堤農道として使用されている。 その先百留駅 - 原井駅 - 耶馬渓駅間は福岡県道16号線に飲み込まれ痕跡見られない。 なお、終点耶馬渓駅の先の山国川には、鉄道橋として建設されたと思われる石積み橋脚と赤いポニートラス道路橋として対岸本耶馬渓町(現・中津市本耶馬渓町樋田集落とを結んでいたが、道路改修に伴い平成初頭解体撤去された。

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/09 01:38 UTC 版)

東武根古屋線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

大部分道路になっている

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:27 UTC 版)

日高川駅」の記事における「廃線跡の現状」の解説

西御坊駅日高川駅の間は廃止から30年以上たった今でも線路残されており、周辺住民の生活道路となっている(ただし、一部区間には「紀州鉄道管理立入禁止」の看板立てられている)。また、腕木式信号機踏切使用中止の標記あり)も残っている。 日高川駅では線路当時のまま残っているほか、駅の中程にある残っている。転轍機残っていた(但し分岐装置作動しなかった)が、撤去されている。 2003年3月31日

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 18:21 UTC 版)

愛宕山鉄道」の記事における「廃線跡の現状」の解説

平坦線跡地清滝道京都府道29号宇多野嵐山山田線京都府道137号清滝鳥居本線)として道路改修され、現在は京都バス嵐山営業所バス路線運行されている。また平坦線遺構として単線トンネル清滝トンネル残存しており、片側交互通行道路転用されている。鳥居本駅跡には、1963年頃までホーム跡が残っていたが、嵐山高雄パークウェイ建設の頃、道路拡幅撤去された。また、JR山陰本線越え橋梁土台橋台)も残っていたが、山陰本線複線電化の折に、これも撤去された。 鋼索線遺構清滝川駅跡地線路跡愛宕駅駅舎建物など残存しているが、愛宕駅舎は崩壊しかけており、また6つあるトンネルのうち2つ内部崩壊していて、非常に危険な状態になっている橋梁などその他のコンクリート製構造物風化進んでおり崩壊の危険がある。中には片側が完全に崩壊している(レールセメント現存)ものもある。 鋼索線廃線跡愛宕神社の上級者向け登山道一つとして通行する者がいるが、一部区間崩壊などの理由立ち入り禁止となっている。

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 16:25 UTC 版)

香月線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

廃線跡のほとんどは道路となっているが、中間駅付近一部スフィンクスモアイ像など世界有名な石像レプリカ展示する屋根のない博物館」という遊歩道になっている香月駅付近にあった橋梁道路化されず、現在でも橋脚残っている。終点香月駅西鉄バス営業所北九州香月自動車営業所となっている。 中間駅前に記念碑がある。香月駅跡では駅名板記念として保存されている。 屋根のない博物館 スフィンクス モアイ像

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:35 UTC 版)

幸袋線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

小竹駅から約2kmほどの区間筑豊本線並行していたが、その並行区間から目尾駅跡までは現在でも一部除き線路残っている。それ以外区間はほぼ完全に道路化されている。幸袋駅跡は飯塚市使用する資材倉庫新二瀬駅跡と二瀬駅跡はガソリンスタンドになっているいずれも駅跡を示すようなものはないが、二瀬駅跡にはわずかながらホーム残っている。

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 01:24 UTC 版)

宮原線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

宮原線列車発着していた恵良駅3番線線路跡がよく残りその先では近年まで国道210号をオーバークロスしていたガーダー橋残っていたが現在は撤去されている。 町田駅付近国道387号線西側沿って築堤がほぼそのまま残り往時偲ばせる町田駅レール撤去されてはいるものの、ホーム駅名標そのまま保存されている。宝泉寺駅付近線路跡国道387号バイパスとなり、痕跡全くない宝泉寺駅跡は小さな公園となっており、駅名標保存されるその先は再び国道から離れて串野集落を通る。線路跡別荘地を結ぶ生活道路転用されており、串野トンネルは現在も道路トンネルとして使用されている。このトンネルは旧北陸本線柳ヶ瀬トンネル同様に交互通行のための信号設置されている珍しい構造になっている麻生釣駅跡付近の大分熊本県境では国道拡幅工事進行しており、かつては国道東側下を切通し通っていた線路跡盛土埋もれようとしている。この先有名な岡本とうふ店の直上通り、再び国道より離れ小河川を竹筋越えていく。特に堂山川橋梁沿線随一撮影スポットであり、小国富士とも称される標高1500m湧蓋山(わいたさん)を背景にした列車風景写真雑誌等でもよく紹介された。これら橋梁は、多くが国の登録有形文化財に登録されている。 北里駅ホーム保存され地元特産品野菜を売る店が建つ。ホームには上屋ベンチ新設されている。北里 - 肥後小国間の線路跡大部分遊歩道として整備されている。元はマウンテンバイクコースとして使用されたため路面は未舗装のままであり、鉄道時代面影をよく残す。幸野川を竹筋越え終点小国の手前で一般道路合流する肥後小国駅跡は道の駅小国(ゆうステーション)となり、駅名標などが保存されている。

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:42 UTC 版)

芦屋線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

線路遠賀川駅から一旦西進み北東方向カーブしもう一度カーブして北へ進んでいた。遠賀川駅付近カーブ部分は完全に区画整理され、カーブ部分から北側県道285号となり、芦屋町南側浜口交差点から北は国道495号となっている。

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廃線跡の現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 10:21 UTC 版)

大分交通耶馬渓線」の記事における「廃線跡の現状」の解説

1982年昭和57年)にほぼ全線大分県道411号中津山国自転車道線メイプル耶馬サイクリングロード)として整備されている。そのうち約22kmが自転車専用道である。 中津駅付近平成初頭まで線路跡手付かずのまま残されていたが、その後区画整理事業実施され跡形もなく消え去った国道213号線交差部分 - 大貞公園駅付近県道大分県道675号臼木沖代線)の拡幅飲み込まれ跡形もない大貞公園駅 - 野路駅手前までは県道東側歩道部分が耶跡である。特に大貞公園駅跡付近植えられ春に美し桜並木となる。 野路駅手前に国道212号乗り越えていた鉄橋サイクリングロードとして現存しており、さらに野路駅跡ホーム残り、また付近踏切跡の道路にも「踏切あり」の道路標識残されており、ここに鉄道存在したことを物語っている。 野路駅からの線路跡本格的にサイクリングロードとして転用されている。ただし、樋田集落 - 青の洞門対岸線路跡国道212号バイパスとして転用され、跡形もないその先の津民 - 耶坂間では、半径160 mの曲線上にある橋梁としてよく取り上げられる沿線随一名所「第2山国川橋梁」がサイクリングロードとして転用されている。第2山国川橋梁は、2012年平成24年7月九州北部豪雨でほぼ半分橋脚含めて破損流失したが、2014年平成26年6月1日復旧した。この付近では耶時代トンネルサイクリングロードとしてそのまま残されている。 付近は再び国道212号飲み込まれ跡形もない坂には耶馬溪サイクリングターミナルがあり、自転車レンタル宿泊も可能である。坂より先も国道にも飲み込まれているが、中摩駅 - 白地駅付近国道より離れ線路跡面影をよく残している。 終点守実温泉駅跡はかつての終着駅としての面影は全くなく、山国町商工会館・大交北部バスの折返場として使用されている。 二号厚ヶ瀬トンネル 耶馬渓平田駅ホーム跡 第2山国川橋梁サイクリングロード) 第2山国川橋梁

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