廃線跡の現状
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廃線より60年が経過し、全線に亙って痕跡を追跡するのは困難をきわめる。 特に宇島駅 - 黒土駅付近の線路跡は市街地に完全に飲み込まれ追跡が難しい面はあるが、一部線路の盛土が残っている(塔田駅 - 黒土駅間)。また、黒土駅 - 広瀬橋駅間には、側溝に架かる橋の跡(レンガ積み)が残っており、線路跡に沿って草が生えているので、ルートが比較的分かりやすい。 黒土駅跡や安雲駅跡さらに友枝駅跡は農協の施設になっているが、ホーム等の駅自体の痕跡は全く見られない。 中唐原駅跡 - 百留駅付近は線路跡と思われる築堤が農道として使用されている。 その先の百留駅 - 原井駅 - 耶馬渓駅間は福岡県道16号線に飲み込まれ痕跡は見られない。 なお、終点の耶馬渓駅の先の山国川には、鉄道橋として建設されたと思われる石積みの橋脚と赤いポニートラスの橋が道路橋として対岸の本耶馬渓町(現・中津市本耶馬渓町)樋田集落とを結んでいたが、道路改修に伴い平成初頭に解体撤去された。
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/09 01:38 UTC 版)
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:27 UTC 版)
西御坊駅と日高川駅の間は廃止から30年以上たった今でも線路が残されており、周辺住民の生活道路となっている(ただし、一部区間には「紀州鉄道管理地 立入禁止」の看板が立てられている)。また、腕木式信号機や踏切(使用中止の標記あり)も残っている。 日高川駅では線路が当時のまま残っているほか、駅の中程にある橋が残っている。転轍機も残っていた(但し分岐装置は作動しなかった)が、撤去されている。 2003年3月31日
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 18:21 UTC 版)
平坦線の跡地は清滝道(京都府道29号宇多野嵐山山田線、京都府道137号清滝鳥居本線)として道路に改修され、現在は京都バス嵐山営業所のバス路線が運行されている。また平坦線の遺構として単線トンネルの清滝トンネルが残存しており、片側交互通行で道路に転用されている。鳥居本駅跡には、1963年頃までホーム跡が残っていたが、嵐山高雄パークウェイ建設の頃、道路拡幅で撤去された。また、JR山陰本線を越える橋梁の土台(橋台)も残っていたが、山陰本線複線電化の折に、これも撤去された。 鋼索線の遺構も清滝川駅跡地や線路跡、愛宕駅の駅舎建物などが残存しているが、愛宕駅舎は崩壊しかけており、また6つあるトンネルのうち2つは内部が崩壊していて、非常に危険な状態になっている。橋梁などその他のコンクリート製構造物も風化が進んでおり崩壊の危険がある。中には片側が完全に崩壊している(レールのセメントは現存)ものもある。 鋼索線の廃線跡を愛宕神社への上級者向け登山道の一つとして通行する者がいるが、一部区間は崩壊などの理由で立ち入り禁止となっている。
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 16:25 UTC 版)
廃線跡のほとんどは道路となっているが、中間駅付近の一部はスフィンクスやモアイ像など世界の有名な石像のレプリカを展示する「屋根のない博物館」という遊歩道になっている。 香月駅付近にあった橋梁は道路化されず、現在でも橋脚が残っている。終点の香月駅は西鉄バスの営業所(北九州香月自動車営業所)となっている。 中間駅前には記念碑がある。香月駅跡では駅名板が記念として保存されている。 屋根のない博物館 スフィンクス モアイ像
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:35 UTC 版)
小竹駅から約2kmほどの区間は筑豊本線と並行していたが、その並行区間から目尾駅跡までは現在でも一部を除き線路が残っている。それ以外の区間はほぼ完全に道路化されている。幸袋駅跡は飯塚市が使用する資材倉庫、新二瀬駅跡と二瀬駅跡はガソリンスタンドになっている。いずれも駅跡を示すようなものはないが、二瀬駅跡にはわずかながらホームが残っている。
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 01:24 UTC 版)
宮原線列車が発着していた恵良駅の3番線は線路跡がよく残り、その先では近年まで国道210号をオーバークロスしていたガーダー橋も残っていたが現在は撤去されている。 町田駅付近も国道387号線の西側に沿って築堤がほぼそのまま残り、往時を偲ばせる。町田駅はレールは撤去されてはいるものの、ホームや駅名標がそのまま保存されている。宝泉寺駅付近の線路跡は国道387号のバイパスとなり、痕跡は全くない。宝泉寺駅跡は小さな公園となっており、駅名標が保存される。 その先は再び国道から離れて串野集落を通る。線路跡は別荘地を結ぶ生活道路に転用されており、串野トンネルは現在も道路トンネルとして使用されている。このトンネルは旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル同様に交互通行のための信号が設置されている珍しい構造になっている。 麻生釣駅跡付近の大分熊本県境では国道の拡幅工事が進行しており、かつては国道の東側下を切通しで通っていた線路跡も盛土に埋もれようとしている。この先は有名な岡本とうふ店の直上を通り、再び国道より離れ、小河川を竹筋橋で越えていく。特に堂山川橋梁は沿線随一の撮影スポットであり、小国富士とも称される標高1500mの湧蓋山(わいたさん)を背景にした列車の風景写真は雑誌等でもよく紹介された。これら橋梁は、多くが国の登録有形文化財に登録されている。 北里駅はホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が建つ。ホームには上屋とベンチも新設されている。北里 - 肥後小国間の線路跡は大部分が遊歩道として整備されている。元はマウンテンバイクのコースとして使用されたため路面は未舗装のままであり、鉄道時代の面影をよく残す。幸野川を竹筋橋で越え、終点小国の手前で一般道路に合流する。肥後小国駅跡は道の駅小国(ゆうステーション)となり、駅名標などが保存されている。
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:42 UTC 版)
線路は遠賀川駅から一旦西に進み、北東方向へカーブし、もう一度カーブして北へ進んでいた。遠賀川駅付近のカーブ部分は完全に区画整理され、カーブ部分から北側は県道285号となり、芦屋町南側の浜口交差点から北は国道495号となっている。
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廃線跡の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 10:21 UTC 版)
1982年(昭和57年)にほぼ全線が大分県道411号中津山国自転車道線(メイプル耶馬サイクリングロード)として整備されている。そのうち約22kmが自転車専用道である。 中津駅付近は平成初頭まで線路跡が手付かずのまま残されていたが、その後区画整理事業が実施され跡形もなく消え去った。 国道213号線交差部分 - 大貞公園駅付近も県道(大分県道675号臼木沖代線)の拡幅に飲み込まれ跡形もない。 大貞公園駅 - 野路駅手前までは県道の東側の歩道部分が耶鉄跡である。特に大貞公園駅跡付近は桜が植えられ、春には美しい桜並木となる。 野路駅手前には国道212号を乗り越えていた鉄橋がサイクリングロードとして現存しており、さらに野路駅跡はホームが残り、また付近の踏切跡の道路にも「踏切あり」の道路標識が残されており、ここに鉄道が存在したことを物語っている。 野路駅からの線路跡は本格的にサイクリングロードとして転用されている。ただし、樋田集落 - 青の洞門対岸の線路跡は国道212号のバイパスとして転用され、跡形もない。 その先の津民 - 耶鉄柿坂間では、半径160 mの曲線上にある橋梁としてよく取り上げられる沿線随一の名所「第2山国川橋梁」がサイクリングロードとして転用されている。第2山国川橋梁は、2012年(平成24年)7月の九州北部豪雨でほぼ半分が橋脚も含めて破損流失したが、2014年(平成26年)6月1日に復旧した。この付近では耶鉄時代のトンネルもサイクリングロードとしてそのまま残されている。 柿坂付近は再び国道212号に飲み込まれ跡形もない。柿坂には耶馬溪サイクリングターミナルがあり、自転車のレンタルや宿泊も可能である。柿坂より先も国道にも飲み込まれているが、中摩駅 - 白地駅付近は国道より離れ、線路跡の面影をよく残している。 終点の守実温泉駅跡はかつての終着駅としての面影は全くなく、山国町商工会館・大交北部バスの折返場として使用されている。 二号厚ヶ瀬トンネル 耶馬渓平田駅ホーム跡 第2山国川橋梁(サイクリングロード) 第2山国川橋梁
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