廃線跡地の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 19:44 UTC 版)
酒殿駅 - 志免駅間 酒殿駅から志免駅までは1985年まで営業されていた。2000年近くまで線路敷にはバラストが残り、その他踏切照明の基礎、一部線路と、須恵川橋梁が残存して、貨物駅の敷地や転轍機、倒された腕木式信号機と踏切警報機が置かれたままになっていた。しかし志免炭鉱跡地およびバス通りの整備を実施し、酒殿駅の南側にある酒殿集落(元の駅舎と駅の出入口は、北側の集落と反対側にあった)からの乗客が、旅石支線の線路敷から駅へ入って来ていたため、プレハブの駅舎の設置と、軌道敷の線路を撤去して、アプローチ道路の建設等が行われ、彼方の硬山と志免鉱業所竪坑櫓以外の設備が消滅した。本線との分岐部は、転轍機と切替ポイントが残っていたが、撤去されて跡地に駐輪場が建設された。 志免駅 - 旅石駅間 志免駅から旅石駅までの間は、早期に廃線されたために鉄道施設は残っておらず、線路敷は町道になっている。志免駅貨物ホーム(バス通りで、バスが北へ曲がる処)の東の端から、段差の付いている細い道があり、ちょうど段差が中心でそこで2本の路地が張り付いている様になっている。段差の上に当たる南側の部分が元の線路敷であり、北側に張り付いていた路地は、北へ直角に曲がって行く。元が線路敷であったために、道幅は単線の線路敷の幅しか無く狭い。しかし、通常の道路に比べてカーブが緩やかなこと、建物の入り口が道路に面しておらず、後ろを向いている様に建てられていることから、この道が元線路敷であることがうかがわれる。暫く進むと道は徐々に広がり、旅石駅の場内へ進入する。突き当たりには、バス通りがあり福岡県立須恵高等学校が建つ。海軍炭鉱第六坑の跡地に建てられたと云う。また付近には九州リネンサービスと云う、JRの寝台列車の寝具を扱う会社等が有り、ここが元は国鉄の敷地になっていた証拠もある。
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