北朝鮮軍
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「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「北朝鮮軍」の解説
北朝鮮軍の歩兵師団の編制は、第二次世界大戦当時のソ連軍の師団を、北朝鮮の国情に合わせて縮小したものであった。各師団は歩兵連隊3個を基幹として、砲兵連隊、工兵大隊を有し、総員は約11,000名であった。各歩兵連隊は総員2,794名、歩兵大隊3個と重迫撃砲中隊(120mm重迫撃砲 6門)、歩兵砲中隊(76mm連隊砲M1927 4門)、対戦車砲中隊(45mm対戦車砲M1937 4門)により編制されていた。また師団の砲兵連隊は、野砲大隊2個(76mm師団砲M1942 12門)、榴弾砲大隊(122mm榴弾砲M1938 12門)、自走砲大隊(SU-76 12両)により編制されており、とくに自走砲大隊は師団に限定的ながらも機甲火力を付与していた。 また、国境会戦からソウル会戦にかけて極めて重要な役割を果たした第105戦車旅団は、やはりソ連軍の戦車師団を縮小した編制になっているが、旅団としての主体的な運用というよりは分割されての歩兵直協任務を考慮したものになっている。第107、第109、第203の3個戦車連隊(それぞれT-34戦車40両)と第206の1個機械化歩兵連隊により編制される。 38度線警備旅団は、旅団本部隷下に7個歩兵大隊、本部中隊、衛生中隊、輸送中隊、偵察中隊、45mm対戦車砲中隊、警備小隊で構成され、さらに各歩兵大隊は大隊本部、3個中隊、機関銃中隊、迫撃砲中隊、45mm対戦車砲小隊、勤務隊で編制されていた。定員は8,312名であったが、人員不足で完全に補充できず、戦争直前の兵力は、第1警備旅団が5,000名、第3旅団と第7旅団が4,000名であった。 第766部隊は、遊撃部隊として3個歩兵大隊、砲兵大隊、通信大隊、姜・表大隊として編制され、3個大隊のうち2個大隊は上陸部隊、1個大隊は内陸浸透に運用されるよう組織された。姜・表大隊は、1949年5月に韓国から越北した表武源と姜太武が率いた部隊であった。海軍第945陸戦隊は、3個上陸軽歩兵大隊、通信中隊、後方勤務隊で編制されていた。 第603モーターサイクル連隊は、4個モーターサイクル大隊、1個装甲車大隊、1個対戦車砲大隊で編成されていた。モーターサイクル大隊は、3個モーターサイクル中隊、1個迫撃砲中隊、1個重機関銃中隊で構成されていた。モーターサイクル中隊は45台のモーターサイクルと135名、迫撃砲中隊は82mm迫撃砲9門と30名、重機関銃中隊は14.5mm機関銃9挺と30名、装甲車大隊はBA-64型装甲車54台、対戦車砲大隊は45mm対戦車砲16門で編成されていた。 北朝鮮軍には、9個の軍工兵大隊、30個の師団工兵中隊があったが、装備は非常に不足しており、大部分の工兵は手作業に依存していた。渡河装備も不足しており、ほとんどが最高司令部隷下にあった。師団には独自の渡河装備が無かったので、最高司令部から優先順位に基づいて割り当てられる形で運用された。多くの人員と装備を渡河させることができる渡船板/橋梁装備であるNLPとN2Pがソ連から供給された。NLPは24組、N2Pは48組供給され、そのうち24組のN2Pは第6師団、残りの24組は第105戦車師団で運用され、またソ連側の資料からNLPの一部は第1師団で運用されたと推測される。残りの師団についてはボートや渡し船、浮遊物など現地で調達した資材を最大限に活用したと推測される。
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前線司令部役職階級氏名備考司令官 大将 金策 参謀総長 中将 姜健 文化副司令官 中将 金一 作戦局長 少将 兪成哲 作戦局副局長 上級大佐 朴昌林 早稲田大学出の日本軍学徒兵出身、中国戦線で延安に入る。 砲兵局長 少将 金奉律 工兵局長 上級大佐 朴吉南 通信局長 上級大佐 朴英順 東北抗日連軍、ソ連軍諜報部隊出身 偵察局長 上級大佐 崔遠 文化局長 少将 金日 ソ連派 安全局長 少将 石山 後方局長 少将 金英洙 検察局長 少将 金学仁 ソ連派 北朝鮮軍は1950年6月23日、38度線以南における諸戦闘を最高司令部に代わって指揮するため、前線司令部を組織した。本来なら司令官は、民族保衛相の崔庸健が任命されるべきだったが、崔はアメリカの軍事介入を憂う発言をしたため、金日成に嫌われ登用されず、代わりに最も信用の厚い金策が任命された。しかし金策は最近まで産業相で職業軍人ではなかったため、実際には政治委員か兵站の監督などをし、軍事問題や作戦指揮は姜健に任せた。 連隊級以上の幹部は、中共軍および朝鮮義勇軍出身者(延安派)であるか、金日成をはじめとする第88特別旅団出身者(満州派)であった。また師団長級以上の幹部はほとんど30代であった。第88旅団出身者では、最高司令官である内閣首相の金日成が38歳、民族保衛相の崔庸健が50歳であり、総参謀長姜健(32歳)、第2軍団長金光侠(35歳)、第1師団長崔光(31歳)、第2師団長李青松(38歳)、第105戦車旅団長柳京洙(35歳)、第13師団長崔勇進(39歳)、第15師団長朴成哲(36歳)など30代であった。また八路軍および朝鮮義勇軍出身者も武亭(45歳)を除き、第1軍団長金雄、第4師団長李権武、第5師団長金昌徳、第6師団長方虎山、第12師団長全宇、空軍司令官王璉など30代であった。これらの年齢が物語るように、高級幹部のほとんどは大部隊の指揮経験がないソ連と中国共産党地域でゲリラ活動をしたパルチザン出身であった。 第1軍団役職階級氏名備考第1軍団 軍団長 中将 金雄 文化副軍団長 少将 金載郁 参謀長 少将 柳新 工兵部長 中佐 金時雄 工兵副部長 少佐 金英洛 第1師団 師団長 少将 崔光 第2連隊長 大佐 金陽春 満州派、国共内戦で吉東分区汪清警備司令部大隊長 第3連隊長 大佐 李昌權 第14連隊長 大佐 黄石 国共内戦で東北野戦軍独立第4師第3団政治委員 砲兵連隊長 大佐 玄学奉 第3師団 師団長 少将 李永鎬 参謀長 大佐 張平山 第7連隊長 大佐 金昌奉 第8連隊長 中佐 金秉鍾 第9連隊長 大佐 金萬益 満州派、国共内戦で吉東分区司令部兵器科長。1950年9月8日戦死 砲兵連隊長 大佐 安白成 第4師団 師団長 少将 李権武 文化副師団長 少将 朴金喆 参謀長 許鳳学 第5連隊長 大佐 崔仁徳 第16連隊長 大佐 朴勝煕 第18連隊長 大佐 張教徳 国共内戦で吉東軍分区独立第6団第3営営長。平沢の戦いで戦死 砲兵連隊長 不明 第6師団 師団長 少将 方虎山 文化副師団長 総佐 洪林 第4野戦軍第166師政治部主任 参謀長 総佐 盧哲用 第1連隊長 大佐 金厚進 第13連隊長 大佐 韓日来 国共内戦で東北野戦軍独立第4師第1団政治委員 第15連隊長 大佐 李芳南 砲兵連隊長 中佐 張宇哲 第105戦車旅団 旅団長 少将 柳京洙 文化副旅団長 安東洙 技術副旅団長 朴イルム(박일무) 高麗人 第107連隊長 大佐 チェ・ウシク(최우식) 第107連隊技術副連隊長 李サングォン(리상권) 日本軍で運転手として勤務 第109連隊長 大佐 金テリョン(김태련) 鉄道の駅員や炭鉱の賃金計算員として活動 第109連隊参謀長 チョン・ガン(정강) 朝鮮義勇軍出身 第203連隊長 大佐 チェ・リュルソク(최율석) 第3警備旅団 旅団長 少将 崔賢 第13師団 師団長 少将 崔勇進 第15師団 師団長 少将 朴成哲 参謀長 大佐 金郁 日本軍志願兵(上等兵)出身 第2軍団役職階級氏名備考第2軍団 軍団長 中将 金光侠 文化副軍団長 少将 林海 参謀長 少将 崔仁 作戦部長 総佐 李学九 作戦課長 大佐 姜東晧 1951年春韓国に帰順。 偵察参謀 少佐 金浩勇 工兵部長 中佐 李基元 工兵部副部長 少佐 朱栄福 第2師団 師団長 少将 李青松 参謀長 総佐 玄波 工兵長 中佐 李甲寧 第4連隊長 大佐 李ソンホ(이성호) 第6連隊長 大佐 チョン・ビョンガプ(전병갑) 第17連隊長 中佐 全文燮 砲兵連隊長 大佐 安ギョクホ(안격호) 自走砲大隊長 中佐 玄哲 工兵大隊参謀長 少佐 卞庸一 第5師団 師団長 少将 金昌徳 朝鮮義勇軍出身 文化副師団長 張福 砲兵副師団長 朴松波 参謀長 総佐 趙寛 第10連隊長 大佐 朴正徳 第11連隊長 大佐 金鳳文 第12連隊長 大佐 王輝 砲兵連隊長 大佐 車均燮 工兵大隊長 大尉 金元奎 日本軍工兵出身(軍曹) 。洛東江渡河作戦で溺死したと言われている。 第12師団 師団長 少将 全宇 文化副師団長 金剛 朝鮮義勇軍出身 参謀長 総佐 池炳学 第30連隊長 大佐 崔學勳 朝鮮義勇軍出身 第31連隊長 大佐 李原城 第32連隊長 大佐 黄東華 砲兵連隊長 大佐 孫應三 第1警備旅団 旅団長 少将 呉白龍 第766部隊 部隊長 総佐 呉振宇
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キョン将軍(Ri-Chan Kyong) 声:西村知道 北朝鮮軍の司令官。自らもナノスーツを着用。ローゼンタールらに遺跡の研究を行わせている。 鉱山の発掘物を「神殿」と呼称し、本人はこれが大いなる力の源と考えていた(実際は数百万年前に漂着した異星人の宇宙船で、中では異星人も生存していた)。 暴君であり、命令に従わない研究員の一人を射殺して、「神殿」の扉を爆破させた。 「神殿」の扉を爆破した際、部下のナノスーツ兵が事故により全滅してしまう。 その後、ミニガンを用いてノーマッドに襲いかかるが、実は周囲に配置されているドラム缶を投げ付けるだけで倒せるほど弱い。
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