北朝鮮軍の状況
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北朝鮮軍は、国連軍制空権下での1ヶ月余の300キロメートルにおよぶ攻勢で大きな損害を受けていた。開戦時に150輌あった戦車は40輌以下になり、兵士の損害は7月初めまでで5万8千人に達していた。実際のところ8月上旬には国連軍が二倍の兵力を持ち戦力は国連軍が優勢だったが、国連軍は北朝鮮軍の被害見積もりを過小に行い、北朝鮮軍が数的優勢にあると考えていた。 北朝鮮軍の占領地では強制的な志願や街頭での連行、家宅捜索による強制徴募が行われ、推定で6万人から12万人が兵士として前線に投入された。ソウルでは1万6千人の学生が「義勇軍」に徴募された。 朝鮮半島の北からの交通網はソウルに一度集中して通過する形でくびれており、ソウルから放射状に南下していた。国連軍はこの補給路に熾烈な阻止攻撃を行った。制空権を確保した国連軍は北朝鮮軍の補給を妨害するために、朝鮮半島の道路・鉄道網に爆撃を繰り返し、多数の橋が破壊された。8月2日からは38度線以北への爆撃も開始され、8月末までに主要道路の80パーセントを破壊した。 しかし航空攻撃には限界があり北朝鮮軍の補給を完全には阻止できなかった。北朝鮮軍は占領地で大量に強制動員した市民30万人を労役人夫とした人海戦術で補給品の運搬を行っており、小火器の弾薬など軽量物の補給には十分だった。夜間には列車の運行や自動車による輸送も行われ最低限の補給は維持され、相当数の戦車や野砲が補給された。だが食糧は作戦地が山間部に入ると現地調達が難しくなり、作戦時期も端境期で糧米も入手できなかった。兵士への食糧の供給は各師団とも2分の1から3分の1まで供給量が減った。折からの猛暑の影響もあり、兵士の体力は限界まで低下した。 北朝鮮本土に対してはB-26やB-29による戦略爆撃が操車場や精油所などに行われ、北朝鮮の戦争遂行能力を破壊した。
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北朝鮮軍の状況
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北朝鮮軍の予備兵力は激戦の続く洛東江戦線に投入されており、後背地には補給部隊とわずかな警備部隊が残されているだけだった。 北朝鮮軍はソウル・仁川地区への国連軍の上陸作戦に備え警備隊を配置していた。仁川地区では、仁川市街に北朝鮮第9師団第87連隊、月尾島から本土のあいだの堤防に北朝鮮第884部隊の一部、月尾島には第226独立陸戦隊第3大隊の1個中隊および第918海岸砲連隊の1個中隊の計400名、総計約2,000名が配備されていた。月尾島は要塞化が進められ、周囲の道路は鉄条網が張られ、地雷も埋設された。山腹には洞窟が掘削され海岸砲の砲台が築かれた。ソウルには約5,000名が配備され、ソウル・仁川地区全体で約1万名の兵力が存在した。 北朝鮮海軍には哨戒艇部隊が存在したが、国連軍による封鎖で無力化されていた。1951年9月ごろから沿岸防御のために機雷を敷設していた。 北朝鮮空軍は残存19機で、国連軍の作戦を妨害する能力は無いと判定された。
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