北朝鮮陰謀説
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徐とK・Hが暮らしていた家の管理人の姉は北朝鮮工作員、辛光洙の愛人だったことが判明している。SAPIO(1995年7月26日号)で初めて報道された。「週刊金曜日」(2011年9月16日号)では、徐は取調中に警察官や検事から度々「北朝鮮、行ったことあるのか?」と質問されたという。そのためオウムの背後に北朝鮮が関わっているのではないかという謀略説が浮上している。徐は20代の頃に朝鮮総連足立区支部に出入りしており、指紋押捺拒否運動に参加していた。実行犯が在日韓国人であることから、韓国でも波紋を呼び、教団の報復をおそれ空港や港湾で厳戒態勢がしかれた。この厳戒態勢はその後オウム捜査の進展により解除された。現在も徐が朝鮮総連との関係や過去について具体的な言及を避けており、来歴に不明な点が多いため北朝鮮陰謀説を信じる人も多く、宮崎哲弥や元公安調査庁本庁調査第二部長の菅沼光弘もこの説に注目している。 現代コリア(平成七年六月号)は、K・Hが、他の在日羽根組構成員と共に何度も北朝鮮へ渡航したと記載している。 一橋文哉は、徐が北朝鮮系の政治団体チュチェ思想研究会の支部長をしていたと主張しているが、詳細は不明。 オウムが、北朝鮮工作員の八尾恵と直接接点があったという報道がある。1991年10月20日に練馬文化センターでオウム主導で開催された「真の自由と平等を求める10・20市民の集い」に、八尾と共にオウム側から青山吉伸と鹿島とも子が参加していたと、週刊新潮(1995年5月18日号)、週刊現代(1995年5月20日号)の伊勢暁史が指摘している。 中田清秀は、早川紀代秀が「麻原には内緒で北朝鮮経由でロシアに入ったりして、彼個人で活動していたような部分もあった」と証言している。
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