北朝鮮陰謀説とは? わかりやすく解説

北朝鮮陰謀説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:11 UTC 版)

村井秀夫刺殺事件」の記事における「北朝鮮陰謀説」の解説

徐とK・H暮らしていた家の管理人の姉は北朝鮮工作員辛光洙愛人だったことが判明している。SAPIO1995年7月26日号)で初め報道された。「週刊金曜日」(2011年9月16日号)では、徐は取調中に警察官検事から度々「北朝鮮行ったことあるのか?」と質問されたという。そのためオウム背後北朝鮮が関わっているのではないかという謀略説浮上している。徐は20代の頃に朝鮮総連足立区支部出入りしており、指紋押捺拒否運動参加していた。実行犯在日韓国人であることから、韓国でも波紋呼び教団報復をおそれ空港港湾厳戒態勢がしかれた。この厳戒態勢その後オウム捜査進展により解除された。現在も徐が朝鮮総連との関係や過去について具体的な言及避けており、来歴不明な点が多いため北朝鮮陰謀説を信じる人も多く宮崎哲弥元公調査本庁調査第二部長の菅沼光弘もこの説に注目している。 現代コリア平成七年六月号)は、K・Hが、他の在日羽根組構成員と共に何度も北朝鮮へ渡航した記載している。 一橋文哉は、徐が北朝鮮系の政治団体チュチェ思想研究会支部長をしていたと主張しているが、詳細不明オウムが、北朝鮮工作員八尾恵直接接点があったという報道がある。1991年10月20日練馬文化センターオウム主導開催された「真の自由と平等求め10・20市民集い」に、八尾と共にオウム側から青山吉伸鹿島とも子参加していたと、週刊新潮1995年5月18日号)、週刊現代1995年5月20日号)の伊勢暁史指摘している。 中田清秀は、早川紀代秀が「麻原には内緒北朝鮮経由ロシア入ったりして、彼個人活動してたような部分もあった」と証言している。

※この「北朝鮮陰謀説」の解説は、「村井秀夫刺殺事件」の解説の一部です。
「北朝鮮陰謀説」を含む「村井秀夫刺殺事件」の記事については、「村井秀夫刺殺事件」の概要を参照ください。

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