出版後の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 02:36 UTC 版)
「流血の魔術 最強の演技」の記事における「出版後の評価」の解説
井上譲二は、高橋が主張するようにプロレスがエンターテインメントでありショーであることをカミングアウトしたところで、プロレス人気は回復しないと主張する。その根拠として井上は、本書が売れたことでプロレスファンの多くがプロレスが真剣勝負ではないことを知った後も、プロレス人気は回復するどころか下降していることを挙げている。井上は、本書が売れたのは「実際の試合や事件の『真相』を書いたからであって、『カミングアウト』の主張が共感を集めたからではない」と述べている。 井上は本書の内容について、以下のように批判している。 たとえばビッグマッチのカードを発表するとしよう。「目玉は、超大物外国人と団体エースのタイトルマッチ。なお結果はもう決まっていて、外国人が勝利しタイトルを奪うからどうぞ楽しんでください」 これで、誰がプロレスを見るだろうか。チケットが売れるだろうか。 — 井上2009、29頁。 これに対し高橋は、「プロレスがショーだとカミングアウトしても、観客が試合のストーリーや結果を事前に知ってしまっては、興味が失せてしまうのは当然のこと」と主張する。そして試合の結果を事前に漏らすレスラーについて伝え聞いたことを明かし、「プロ意識が足りなすぎる」、「即刻辞めるべきだ」と批判している。高橋は、そのようなレスラーの堕落ぶりがプロレスの低迷を招いたともいえるはずだと述べている。高橋によると、かつてのプロレスの試合は「ハイスパット」と呼ばれる見せ場やフィニッシュ以外の場面は、すべてアドリブであった。しかし高橋が矢口壹琅から聞いたところによると、「最近の選手は、最初から最後まで段取りを作っておかないと、試合ができなくなっている」のだという。高橋は、アドリブのないプロレスは「レスラーの個性もレフェリーの感性も発揮されない」、アドリブで試合のできないレスラーは「脚本に忠実なただの演技者」に過ぎないと批判している。 井上譲二は、プロレス業界には「プロレスがあらかじめ勝ち負けの決まったショーであることを言わない、書かない」という「契り」のようなものがあり、高橋はそれを破ったと指摘している。女子プロレスラーの小畑千代も同様に、「自分がその仕事で食べてたんだから、たとえどんなことがあっても、ああいうこと言っちゃダメ」と高橋を批判した。永島勝司は、本書を読んでいないと断った上で、本書の内容に関する伝聞をもとに「この業界で生きてきた人間が言うことじゃないな」という感想を述べている。井上義啓は目次を除き本書を読んでいないと明かした上で、「プロレス村の住民だった男なんだからね、この人はね……礼儀として、そういうことをするべきではないだろうということは言える」と述べている。 ウルティモ・ドラゴンは、高橋の主張する「エンターテインメント」について、自身がアメリカのプロレス団体WWEの興行に参加した経験を踏まえ、以下のような疑問を呈している。 一つだけ思うのは長い間、高橋さんはガチガチの新日本プロレスのストロングスタイルを見てきたわけじゃないですか?それなのに今になってプロレスをエンターテインメントにしろと言っても実際にエンターテインメントの象徴と俗に言われているアメリカのプロレスは、見ていないと思うんです。……エンターテインメントと簡単に言うけど、ハッキリ言ってそんなに簡単なものじゃないですよ — 山本2002、94-95頁。 また、ウルティモ・ドラゴンは高橋に対し以下のように問いかけている。 プロレスは彼の人生そのものだったと思うんですよ。なんでそれを否定するようなことを言ってしまうのか?じゃあ、あなたの人生ってインチキなの?……天に向かってツバを吐くようなものですよ。 — 山本2002、119頁。 元プロレスラーで、UWFインターナショナルで取締役を務めたことのある宮戸優光は、本書において高橋が自身がレフェリーを務めなかった試合に関して記述していることについて、「ボクは納得できない。あの人はわかっているつもりなんでしょうが、ボクはそういう自分が裁いていない試合の話までして、人を落としたいんだなあとしか思えないっていう感じです」と述べている。さらに宮戸は、高橋が長州力を「強い」、藤波辰爾を「弱い」と表現していることについて、「じゃあ高橋さん、一度でも藤波さんや長州さんとスパーリングでもいいですよ。やったことあるんですかって」と指摘、自身がUWFインターナショナルにおいて和田良覚らレフェリーにプロレスラーとスパーリングさせることでその強さを理解させたことを引合いに出して、「じゃないとプロレスをナメちゃんだもん、結局こう……なっちゃうんですよ。下手をすればこういうバカも出るんです」と批判している。宮戸は高橋を「しょせん、レフェリーっていうのは、なんにもわかってねえんだなあ」、「2万試合もレフェリーをやって、この程度なんだ」、「なにもわかっていない大ドジ」と評し、本書を「非常に度の狂った、色のついた眼鏡」と評している。 金澤克彦は本書について「サッと斜め読みした程度である。まあ、それを読んだ周囲の人間から話を聞けば大体の内容はわかる」と前置きした上で、以下のように述べている。 アダルトビデオ(以下、AV)の制作側の人間が、"モザイク"部分の中身について語ってしまうことと同じだと思う。やっぱり、AVのモザイクというのは、プロレスのファンタジーの部分と共通すると思うのだ。……メーカーや販売側がAV作品を販売するにあたって、「この作品では本番行為はしていませんよ」とか「すべて疑似によるものなんで」などと口伝するだろうか?そんな無粋な行為は購買意欲の妨げにしかならないだろうし、営業妨害である。ハッキリ言うなら、プロレスファンというのは、想像力が豊かであり、自分なりのプロレス観や自分なりの勝負論、優劣の定義をもっている。極端に言えば、モザイクというファンタジーがあるから、プロレスは面白いし、語れるジャンルなのだ。そこで「実はこうだった!」と一方的に断定したり、過去を否定してしまうことに何の価値を見い出せるというのだろうか? — 別冊宝島編集部(編) 2008、183-184頁。 高橋は金澤のように「そんな本は読んでない」と言いながら本書を批判するプロレスマスコミが存在することについて、「出版の世界に身を置く人間としての良識が疑われる」、「マスコミ人としての良心の呵責はないのか」と批判しつつ、「新日本プロレスなどの団体側に気を遣って、そういうスタンスをとっていたのだろうとは察せられる」、「『ミスター高橋の本を読んだ』『ミスター高橋と会って、話をした』ということが団体の耳に入ることを避けている部分が大きいはずで、私の本を愚弄することで、団体への忠誠心を示しているのだといえるはずだ」と述べている。 井上義啓は、本書を「力道山時代であれば殺されている」と評した上で、「驚くヤツもおるだろうけど、大抵の人間は知っている」、「ハッキリ言って、こういうことのタブーを最初に破ったのはオレなんだよ」と主張している。井上は実例として、流血の演出について「血袋使ったり、カミソリで切ったらアカン」と書いたり、下駄の鼻緒がついた面で相手を殴った芳の里について「普通だったら、下駄の歯の方で殴るだろう」と書いたことを明かしている。井上は当時プロレスの興行主であった暴力団関係者の「興行の足を引っ張ること」を書き、「命を張ってやった」と主張、「だからこの本に対してハイそうですかと言って許すわけにはいかん」、「ハッキリ言ってミスター高橋が今頃になってこんなこと書いたところでね」と述べている。 新間寿は、次のように高橋を批判している。 ミスター高橋、あなたは2万試合をさばいてきたというが、言い換えれば2万試合、ファンを欺き続けてきたと告白しているも同然ではないのか。しかも、得意満面になって……。それでいてあなたは、良心の呵責を微塵も感じなかったのか。それが私には不思議でならないのだ。 — 新間2002、4頁。 金澤克彦によると長州力は金澤との対談において本書に関する話題が振られた際、プロレスマスコミに対し「それを焚き付けてこっち側に振ったお前らも同罪だ!」と「烈火のごとく怒った」という。金澤が本書に対する反論をプロレスラーが行わなかった理由を尋ねると、長州は「そんなもん、あれが初めてじゃねえじゃん。過去に何回も出てんじゃん」と答えた。 高橋によると本書出版後、タイガー・ジェット・シンから電話を受け、「俺が本当の狂人じゃなく、すべてはヒールを演じていたということを取引先が理解してくれてね。仕事がやりやすくなった」と謝辞を受けという。シンについて井上譲二は、2010年発行の『「つくりごと」の世界に生きて プロレス記者という人生』において、「7年ほど前」に「ミスター高橋はプロレスの内幕を全部バラした本を出したよ」と話したところ、「それが何かいけないことなのかい?彼にとって結構なことじゃないか」という答えが返ってきたと述べている。高橋によると、大剛鉄之助やユセフ・トルコからも本書の出版に賛同する電話があり、矢口壹琅からは、「あの本から出たからこそ、プロレスは生き残れているんだと思う」という言葉をかけられたという。また、小林邦昭に対し「読んでみて、腹が立ったか?」と尋ねたところ、「いえ、別に。書いてある通りですから」という答えが返ってきたという。マッスル坂井は高橋との対談(『八百長★野郎 プロレスの向こう側、マッスル』収録(2008年))において、「たとえ高橋さんの本が出なくても、プロレスファンはドンドン減っていたと思うんです。逆にそれをくい止めたような気すらするんですよね」と述べている。 ターザン山本は、本書を読んだ感想を「腹が立った」と述べ、その理由を以下のように説明する。 要するに、一番の根本は「自分が強い」と言っているんだよね……「プロレスラーは強くなければならない。だから練習をしなければならない」とお題目を言っているんだけど、「プロレスラーは弱くなった」ということが書かれているわけじゃない?それを突き詰めていくと「オレ(ミスター高橋)より弱い」ということになるんだよね。 — 山本2002、236頁。 やっぱり問題なのは、本質的に高橋さんのレスラーに対する蔑視を感じるんだよ。それがけしからんよ。レスラーに対する尊敬の念はゼロだよ。そういう人にレフェリーをよくやらせていたよなと思うよ。 — 山本2002、239頁。 本書は「暴露本」と評されることもあるが高橋自身はそれを非常に嫌っており、「業界に対しての提言書」であると主張している。 お笑い芸人の水道橋博士は本書について、「テレビにたとえるなら『笑点の大喜利の答えは全て事前に決まっている予定調和のショーです』と言っているようなもの。何とも身も蓋もない」と評している。高橋は水道橋博士について、2002年2月に水道橋博士がパーソナリティーを務めるラジオ番組(TBSラジオ『社会の窓』)に出演したところ険しい表情で迎えられ、本書のことを快く思っていないことが容易に察せられたと回顧している。
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