中国における「枢軸時代」とは? わかりやすく解説

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中国における「枢軸時代」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)

枢軸時代」の記事における「中国における「枢軸時代」」の解説

紀元前11世紀、殷が滅び周王朝中原の地を支配した。周の社会制度封建制度基本とするものであり、そこでは「礼」と呼ばれる身分秩序が最高の徳として重んじられた。しかし、紀元前8世紀になると異民族侵入し封建制度崩壊して都は鎬京から洛邑に遷された。こののち中国春秋戦国時代という単一強力な政治権力のない時代がつづくこととなり、「春秋の五覇」ないし「戦国の七雄」とよばれた諸侯富国強兵のための新し考え方求めた。そこで、この新し時代要請こたえて各地活発な思想活動展開されて、中国思想史上の黄金時代称される至った。「諸子百家」(下表)とよばれた思想家たちによる活動がそれである。 学派 おもな思想家 活躍した所 思内容特色 主著言行録 儒家 孔子(BC551?–BC479) など 仁と礼 『論語』『春秋曾子(BC506?–? 孝道孝経孟子(BC372?–BC289?) 性善説孟子荀子(BC298?–BC235) 趙 性悪説荀子墨家 墨子(BC480?–BC390?) →宋 兼愛交利非攻説 『墨子道家 老子(?–?、孔子同時代? 無為自然老子道徳経荘子(BC4世紀頃) 宋? 万物斉同荘子法家 商鞅(?–BC338) 秦 国改革変法) - 韓非(?–BC233) 韓 法治主義韓非子兵家 孫武(BC5世紀頃) 呉 戦略戦術(兵を凶とする) 『孫子』 呉起(BC440?–BC381?) ・魏・ 戦略戦術呉子名家 恵施(BC4世紀頃) 宋 論理学 - 公孫竜(BC4世紀BC3世紀頃) など 論理的思考公孫竜農家 許行(?–?、孟子同時代 農本主義君臣並耕 - 縦横家 蘇秦(?–BC317) 周 合従説 『戦国策張儀(?–BC310) 秦→魏 連衡説 『戦国策陰陽家 騶衍(BC305?–BC240) 斉 陰陽五行説 - 雑家 呂不韋(?–BC235) 秦 諸学派の説を広く採用呂氏春秋孔子の国に生まれ、その中都の宰に取り立てられたことがあったとされるが、理想とした政治改革受け入れられず、諸国弟子達と遍歴することとなった生前にはその理想実現されなかったが、孔子尊敬する弟子たちによって儒家形成された。孔子関心混乱状態にあった社会秩序再生にあり、その中心に「仁」をおいた。仁とは、人間同士生まれ親愛の情優しさのことである。これを、個人から家族国家へとひろげていくことによって、究極的に天下治まるとした>。 紀元前221年中国統一した秦の始皇帝儒家の説を採用せず、荀子学んだ丞相李斯献策を受け容れて焚書坑儒実行にうつし、法家の説を採用して法治主義徹底させた。しかし、楚漢の戦いののち政権握った劉邦高祖)が漢(前漢)を建て、その第7代皇帝にあたる武帝董仲舒献策によって五経博士設置して儒教官学とした。王莽時代以降儒教中国諸王朝の国教として採用され、隋の文帝以来科挙の制が整えられて、官吏登用はじめとする政治制度また、徳知主義的な政治思想など、その影響多方面にわたった儒教積極的に家族政治あり方説いたのに対し老子荘子などによる道家思想老荘思想)は、宇宙根本原理(道)に立って社会国家束縛離れた無為で自然な姿に人間の本来のあり方求め、むしろ現実政治にはかかわることなく隠遁的な生活や形而上学的方向たどって、のちの中国哲学大きな影響およぼした道教は、中国の民間信仰基盤として成立し南北朝時代北魏寇謙之によって教団整備なされた宗教で、仏教儒教総合して壮大な体系打ち立て一部には道家の説を採用している。日本江戸時代にとくに隆盛した庚申信仰などは道教由来するものであるが、古墳時代端緒をもつ神道道教からの影響認められるという。陰陽家による陰陽五行説また、干支と結びついて周辺諸民族の生活に大きな影響をあたえ続けた親愛礼節重んじ、力よりも文化尊ぶ考え方東アジア文化圏における伝統的なものの見方の源をかたちづくり、ここでは他の地域世界とは異なり中国中心とする冊封体制のもと、儒教漢学漢訳仏教などの文化共有された。近世日本では、江戸幕府儒学官学定め保護奨励をおこなっている。 実用的社会的性格の強い中国思想は、近世には、イエズス会宣教師による書簡や『百科全書』などによりヨーロッパにも紹介され、そこでの啓蒙思想にも影響あたえたヴォルテールは「儒教は実に称賛価する儒教には迷信もないし、愚劣伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない」と述べている。また、儒教における農業重視農本思想)はフランスフランソワ・ケネー重農主義影響あたえたとされ、さらに科挙制度ヨーロッパ日本の公務員採用試験影響およぼしているといわれている。 なお、ヤスパース引用文中に掲げた列子自身は、道家つらなる戦国時代の人物とされるが、その実在性は疑問視されている。著書とされる『列子』古代中国における寓話宝庫で、「杞憂」、「朝三暮四」、「疑心暗鬼」、「男尊女卑」などの著名な語句生んでいる。

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