中国における「枢軸時代」
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「枢軸時代」の記事における「中国における「枢軸時代」」の解説
紀元前11世紀、殷が滅び周王朝が中原の地を支配した。周の社会制度は封建制度を基本とするものであり、そこでは「礼」と呼ばれる身分秩序が最高の徳として重んじられた。しかし、紀元前8世紀になると異民族が侵入し、封建制度が崩壊して都は鎬京から洛邑に遷された。こののち中国は春秋戦国時代という単一の強力な政治権力のない時代がつづくこととなり、「春秋の五覇」ないし「戦国の七雄」とよばれた諸侯は富国強兵のための新しい考え方を求めた。そこで、この新しい時代の要請にこたえて、各地で活発な思想活動が展開されて、中国思想史上の黄金時代と称されるに至った。「諸子百家」(下表)とよばれた思想家たちによる活動がそれである。 学派 おもな思想家 活躍した場所 思想内容・特色 主著・言行録 儒家 孔子(BC551?–BC479) 魯など 仁と礼 『論語』『春秋』 曾子(BC506?–? 魯 孝道 『孝経』 孟子(BC372?–BC289?) 魯 性善説 『孟子』 荀子(BC298?–BC235) 趙 性悪説 『荀子』 墨家 墨子(BC480?–BC390?) 魯→宋 兼愛交利、非攻説 『墨子』 道家 老子(?–?、孔子と同時代) 楚? 無為自然 『老子道徳経』 荘子(BC4世紀頃) 宋? 万物斉同 『荘子』 法家 商鞅(?–BC338) 秦 国政改革(変法) - 韓非(?–BC233) 韓 法治主義 『韓非子』 兵家 孫武(BC5世紀頃) 呉 戦略・戦術(兵を凶とする) 『孫子』 呉起(BC440?–BC381?) 魯・魏・楚 戦略・戦術 『呉子』 名家 恵施(BC4世紀頃) 宋 論理学 - 公孫竜(BC4世紀–BC3世紀頃) 魯など 論理的思考 『公孫竜』 農家 許行(?–?、孟子と同時代) 楚 農本主義、君臣並耕 - 縦横家 蘇秦(?–BC317) 周 合従説 『戦国策』 張儀(?–BC310) 秦→魏 連衡説 『戦国策』 陰陽家 騶衍(BC305?–BC240) 斉 陰陽五行説 - 雑家 呂不韋(?–BC235) 秦 諸学派の説を広く採用 『呂氏春秋』 孔子は魯の国に生まれ、その中都の宰に取り立てられたことがあったとされるが、理想とした政治改革は受け入れられず、諸国を弟子達と遍歴することとなった。生前にはその理想は実現されなかったが、孔子を尊敬する弟子たちによって儒家が形成された。孔子の関心は混乱状態にあった社会秩序の再生にあり、その中心に「仁」をおいた。仁とは、人間同士に生まれる親愛の情、優しさのことである。これを、個人から家族、国家へとひろげていくことによって、究極的には天下が治まるとした>。 紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝は儒家の説を採用せず、荀子に学んだ丞相李斯の献策を受け容れて焚書坑儒を実行にうつし、法家の説を採用して法治主義を徹底させた。しかし、楚漢の戦いののち政権を握った劉邦(高祖)が漢(前漢)を建て、その第7代皇帝にあたる武帝は董仲舒の献策によって五経博士を設置して儒教を官学とした。王莽の時代以降、儒教は中国諸王朝の国教として採用され、隋の文帝以来科挙の制が整えられて、官吏登用をはじめとする政治制度、また、徳知主義的な政治思想など、その影響は多方面にわたった。 儒教が積極的に家族や政治のあり方を説いたのに対し老子や荘子などによる道家の思想(老荘思想)は、宇宙の根本原理(道)に立って、社会や国家の束縛を離れた無為で自然な姿に人間の本来のあり方を求め、むしろ現実の政治にはかかわることなく、隠遁的な生活や形而上学的方向をたどって、のちの中国哲学に大きな影響をおよぼした。 道教は、中国の民間信仰を基盤として成立し、南北朝時代の北魏の寇謙之によって教団整備がなされた宗教で、仏教や儒教を総合して壮大な体系を打ち立て、一部には道家の説を採用している。日本の江戸時代にとくに隆盛した庚申信仰などは道教に由来するものであるが、古墳時代に端緒をもつ神道も道教からの影響が認められるという。陰陽家による陰陽五行説もまた、干支と結びついて周辺諸民族の生活に大きな影響をあたえ続けた。 親愛と礼節を重んじ、力よりも文化を尊ぶ考え方は東アジア文化圏における伝統的なものの見方の源をかたちづくり、ここでは他の地域世界とは異なり、中国を中心とする冊封体制のもと、儒教、漢学、漢訳仏教などの文化が共有された。近世日本では、江戸幕府が儒学を官学に定め、保護奨励をおこなっている。 実用的、社会的性格の強い中国の思想は、近世には、イエズス会宣教師による書簡や『百科全書』などによりヨーロッパにも紹介され、そこでの啓蒙思想にも影響をあたえた。ヴォルテールは「儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし、愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない」と述べている。また、儒教における農業重視(農本思想)はフランスのフランソワ・ケネーの重農主義に影響をあたえたとされ、さらに科挙の制度はヨーロッパや日本の公務員採用試験に影響をおよぼしているといわれている。 なお、ヤスパースが引用文中に掲げた列子自身は、道家につらなる戦国時代の人物とされるが、その実在性は疑問視されている。著書とされる『列子』は古代中国における寓話の宝庫で、「杞憂」、「朝三暮四」、「疑心暗鬼」、「男尊女卑」などの著名な語句を生んでいる。
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