中国における『孟子』とは? わかりやすく解説

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中国における『孟子』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:11 UTC 版)

孟子 (書物)」の記事における「中国における『孟子』」の解説

清の第5代皇帝である雍正帝は、華夷思想により満州人支配良しとせず明の復活唱える思想家に対しては自ら論破し討論経緯を『大義覚迷録』という書物にまとめ、『孟子』にある「舜は諸馮に生まれて負夏に移り、鳴條で亡くなった東夷の人である。文王は岐周に生まれ、畢郢に死した西夷の人だ。距離の離れること千余里、時代にして後れること千年あまりだが、志を立てて中国実行したことは割り符合わせたように一致している。先の聖人も後の聖人も、みな軌を一にしているのである」という孟子言葉をなぞりつつ、「本朝満州出であるのは、中国人原籍あるようなものだ。舜は東夷の人だったし、文王西夷の人だったが、その聖徳何ら損なわれてはいない」「徳のあるものだけが天下君になれるのだ」と強調している。 夷狄の名は、本朝は諱むところではない。孟子は、「舜は東夷の人であり、文王西夷の人である」と言っている。もとの生まれたところは、なお今人籍貫のようなのであるいわんや満州人はみな漢人の列に附することを恥じている。ジュンガル部満州人蛮子呼び満州人はこれを聞いて憤り恨まないものはなかった。それなのに逆賊(の曽静)が夷狄であることを罪としたことは、まことに(『程子語録』にいう)酔生夢死(何も爲すことなく無自覚一生を送る)禽獣である。 — 大義覚迷録

※この「中国における『孟子』」の解説は、「孟子 (書物)」の解説の一部です。
「中国における『孟子』」を含む「孟子 (書物)」の記事については、「孟子 (書物)」の概要を参照ください。

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