中国における「占城稲」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 15:59 UTC 版)
『唐会要』に「以二月為歳首。稻歳再熟」とあり、唐代にはチャンパに早稲があることは知られていた。北宋時代には既に現在の福建省でわずかながら栽培されていた。大中祥符5年(1012年)、当時の真宗の命により江南地方へ移植され、後に現地種との交配も進められた。長雨に弱い反面旱害に強く、手間があまり掛からずに短期間で収穫可能な占城稲の普及は、江南以南の地域における二毛作や二期作が進展する一助となり、農業生産を増加させた。この種が普及したため、長江下流の江浙地方が米作の中心地となった。
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