中国などの故事・格言等とは? わかりやすく解説

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中国などの故事・格言等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:11 UTC 版)

「幸福」の記事における「中国などの故事・格言等」の解説

中国など故事格言にも幸福を主題したものがある。 古代中国紀元前2世紀頃の『淮南子』に掲載されている人間訓に「人生万事塞翁が馬」がある(この表現は元の僧、熙晦機の漢詩人間萬事塞翁馬 推軒中聽眠……」の冒頭にちなむ)「塞翁が馬」とも称される。 「人生万事塞翁が馬」のあらすじ .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}ある塞(城塞)のほとりに、老人とその息子とが暮らしていた。ある日、彼ら親子の馬が突然逃げ出してしまったため、周囲人々は馬を失った親子を気の毒がったが、当の老人は「不幸かどうか果たして分からんよ」と、意にも介さない。間も無く逃げ出した馬は立派な馬を連れて戻ってきた。不幸が転じて幸運となったために周囲人々親子の幸福を感心したが、老人はやはり意に介さない。間も無く息子がこの馬から落ち脚が不自由となってしまったため周囲同情したが、それでも老人意に介さないその後戦争始まって若者皆兵徴収され、ほとんどが戦死してしまったが、息子は脚が不自由であるため残った。こうして、老人と息子は共に生き長らえ暮らした。 「塞翁が馬」には、「禍福は糾える縄の如し」(人の幸・不幸は縒って作った縄の目のように、交互に訪れるため片方ばかりは続かない、という意味)など、類似する故事説話慣用句なども数多い『晋書』劉毅伝。7世紀頃)には、「棺を蓋いて事定まる」という格言がある。ある出来事現象その瞬間には幸福に見えよう不幸に見えようが、それが本当にそうなのかは、その後長い時間経て人生幕引きの時を迎える時まで定まっていない、ということ述べている。 例えば、ある人が子供の頃憧れた職業に進むため、適性無視してその方向に邁進結果として途中で挫折した場合には、当人にとって大変な損失であり不幸である。よしんばその途中過程で、まだやり直しが利く段階での成功は、その瞬間には「幸福な出来事といえるのかもしれないが、結果論から言えば「いよいよやり直しが利かなくなる状態に陥っただけ」ともいえる。 なお落語には「人の値打ち煙草の味は、煙になって判るもの」(煙草火を付けて吸うまで良し悪し判らない、のと同様に、人は葬式終わって火葬されるまでは、どれだけの価値があったのか正確に判じ難い、という意味)という件もあるという。

※この「中国などの故事・格言等」の解説は、「幸福」の解説の一部です。
「中国などの故事・格言等」を含む「幸福」の記事については、「幸福」の概要を参照ください。

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