中国と韓国の争点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 04:45 UTC 版)
「高句麗論争」および「東北工程」も参照 1980年ごろから中国の歴史学会では、古代の朝鮮半島東北部地域が、中国人が建国した箕子朝鮮、衛氏朝鮮の故地であり、漢四郡が置かれた地域であることから、卒本川(現在の中国遼寧省)に建国された高句麗も中国の地方政権であったと提唱がされ、中国社会科学院を中心とした「東北辺疆歴史与現状系列研究工程」を経て、2004年7月20日に人民日報が「高句麗は漢・唐時代に中国東北にあった少数民族の政権であった」と報じた。これに対して、韓国は檀君神話による建国ナショナリズムの発揚をもって対抗し、韓国の歴史教科書「国史」の2004年度版には「高句麗は満州と韓半島にかけて広い領土を占め、政治制度が完備した大帝国を形成し、中国と対等の地位で力を争った。」と記された。
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