中国におけるイエズス会の活動
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「中国の科学技術史」の記事における「中国におけるイエズス会の活動」の解説
イエズス会中国使節は16世紀-17世紀にヨーロッパの科学と天文学を中国に持ち込み、中国の社会改造を実行した。アメリカの歴史家トーマス・ウッズ(英語版)によれば、イエズス会は『惑星の動きが理解できるユークリッド幾何学など、物理的宇宙を理解するための大量の科学知識と、諸々の心理的小道具をこの地に持ち込んだ』。またウッズが引用した別の専門家によれば、イエズス会が科学革命を持ち込んだとき、偶然にも中国では科学が低調だったという。 彼らは天体観測を精力的に行い、中国初の近代的地図を作成した。また中国の科学的業績を調べ上げヨーロッパに報告した。これによりヨーロッパ人科学者は初めて中国の科学と文化を知ることになった。 — イエズス会は西洋の数学と天文学の業績を中国語に翻訳し、中国人学者の関心を喚起した。マテオ・リッチは、儒教の教義を本部に報告し、イントルチェッタ神父は儒教の日常と業績を1687年にラテン語で出版した。この仕事はこの時代のヨーロッパの知識人にとり大変重要であったとみられる。ことに理神論者や啓蒙主義者は儒教の倫理体系とキリスト教倫理の統合に関心を払った。 アダム・スミスの先達で近代経済学を確立したフランスの重農主義者フランソワ・ケネーは『ヨーロッパの儒家』とよばれた。その思想と自由放任 Laissez-faire という主義の名称も、中国の『無為』に想を得たものとみられる。ゲーテは『ワイマールの儒家』とよばれた。
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