万朶隊全滅
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12月18日に佐々木は最後となる9回目の出撃命令が下された。佐々木が出撃するカローカン飛行場には司令官の富永が見送りに訪れているが、富永は日ごろの粗食と、特攻隊を見送る精神的負担とデング熱による高熱で、心身ともに消耗しきったやつれた顔であった。富永は出撃する作戦機の見送りに非常なる熱意を示して、何よりも優先しており、この日も体調不良に構わず見送りにやってきたものであった。富永は取材する従軍記者に「新聞記者諸君、佐々木は幽霊じゃからのう。そのつもりで話を聞いてくれ」などと笑顔で軽口をたたいていたが、富永に対しては悪感情を抱いていなかった佐々木はその軽口を富永の好意と受け取った。この日は「鉄心隊」の残存1機(長尾熊夫曹長) との出撃となったが、長尾機は、操縦を誤って第4航空軍司令部の列に突っ込んだ。富永らはあやうく難を逃れたが、その様子を見ていた若い搭乗員らは「あの爆弾で参謀を消し飛ばせばよかった」と報道班員の同盟通信社記者に口々に呟いていたという。記者たちはこれまでも、特攻隊員と酒を呑んだときに「参謀も部隊長も信用出来ぬ、ただ(富永)司令官だけは俺たちの気持をわかつてくれると思ふ」という話を聞いており、富永に対する信頼の厚さと参謀や指揮官に対する不信感を実感していた。 やがて、佐々木の出撃時間となり、離陸する佐々木を富永は軍刀を振りかざしながら「佐々木、がんばれ。佐々木、がんばれ。」と激励した。今まで富永に温情のある扱いを受けていると考えていた佐々木は、わざわざ軍司令官が自分を激励してくれていると素直に感激してキャノピーを開けると富永に向けて敬礼している。佐々木は最後まで富永に対しては悪意を持っておらず、2015年の鴻上尚史の取材に対して「(富永に対して悪い印象は)ないんですよ。握手している」と答えている。結局、佐々木の最後の出撃となったこの日は、機体のエンジン不調により引き返したが、カローカン飛行場に帰還したときには富永らはおらず、佐々木はそのあとに高熱を出して寝込むこととなった。佐々木は引き返したが、「鉄心隊」の長尾機はミンドロ島まで飛行し、上陸作戦支援中のPTボート隊に突入して「PT-300」を撃沈した。 この頃、佐々木はマニラに設けられた特攻隊員が寝起きする「航空寮」と名付けられた兵舎で生活していたが、そこに飛行第75戦隊から特攻隊員に志願した「若桜隊」の池田伍長らが入ってきた。第75戦隊はこれまで、各地の戦場で通常戦術で多大な戦果を挙げてきており、特攻に志願したとは言え池田らの心境は複雑で、隊員同士で毎日死生観について語り合っていたという。池田は佐々木が数度特攻に出撃しながら、通常攻撃で戦果も挙げて帰還していることを知ると、毎日佐々木の部屋に通って佐々木と話し込むようになったが、佐々木は「死んで神様になっているのに、何で死に急ぐことがあるか、生きられれば、それだけ国のためだよ、また出撃するさ」とたんたんと話していたという。 フィリピン到着時に不時着して重傷を負っていた鵜沢邦夫軍曹も「万朶隊」に復帰しており、12月20日に、「若桜隊」と「万朶隊」の佐々木と鵜沢に出撃が命じられたが、佐々木は高熱が下がっておらず、出撃できる体調ではなかった。その様子を見たある将校が「貴様仮病だろう」と佐々木に言い放ち、それを聞いた佐々木が「軍神は生かしておけないものなぁ」と寂しそうに笑っているのを池田は目にしたが、そのことによって池田は特攻の重圧から解き放たれて「命のある限り戦おう」と心に誓ったという。結局、この日は佐々木と池田は出撃することなく、鵜沢が「万朶隊」最後の1機として「若桜隊」の余村五郎伍長といっしょに「九九式双発軽爆撃機」で出撃した。しかしわずか2機の出撃であったので、この日アメリカ軍に損害はなく、鵜沢も未帰還となり、この出撃で陸軍の期待を背負って編成された「万朶隊」は戦果を挙げることもなく事実上全滅した。 「若桜隊」の池田は12月21日に3機編隊を組んで出撃、レイテ湾で中型の軍艦を目指して急降下したが、ここで心が動揺して、そのまま突っ込まずに普段訓練してきたときのように約500mの高度で爆弾を投下し、機首を引き上げるとそのまま戦場を退避して帰還している。後日の戦隊長の土井からの事情聴取に「思わず訓練の時のように爆弾投下のボタンを押してしまった」と釈明したのち、池田の身柄は第4航空軍司令部に預けられたが、富永は池田に再出撃を命じることはなく、池田は無事に終戦を迎えている。 同じ12月21日には、隼で編成された「殉義隊」が、ミンドロ島への物資の輸送任務を終えてレイテ島に帰還途中の輸送艦隊を捕捉した。殉義隊の「隼」1機は、戦車揚陸艦「LST-460」上空で旋回したのち、45度の角度で急降下すると、あたかも甲板上にいた艦長のJ・B・マックドレン大尉を真っすぐ目指してくるような針路で突入した。マックドレンが慌てて伏せると、「隼」はその上を通り過ぎて艦橋に命中した。命中する直前に「隼」を操縦していた特攻隊員が機体から投げ出されて、遺体の一部が艦上に落下してきたという。爆弾の爆発で火災が生じて、火だるまとなったアメリカ兵が泣き叫ぶといった地獄絵図になったが、まもなく艦は沈んでいったので、多くのアメリカ兵が海上に投げ出された。「LST-749」には2機の「隼」が突入、その躊躇ない突進に乗艦していたアメリカ軍士官は「特攻機は真っすぐ突っ込んできた。その態度には、ためらいなどの気配は全然見られなかった。そのパイロットはただ真っすぐに突進してきた」と驚愕している。「LST-749」も沈没し、2艦で100名以上のアメリカ兵が戦死し、多数の負傷者が出た。 12月30日には先日フィリピンに到着したばかりの「進襲隊」が出撃した。「進襲隊」は熊谷飛行学校と宇都宮飛行学校の教官と助教官ばかりを集めた精鋭部隊であり、第4航空軍の期待も大きかった。富永は「菊水隊」での失敗の反省を活かして、出撃を迎撃戦闘機を避けるために日暮れとした。「進襲隊」の「九九式襲撃機」は、指揮官の久木元延秀少尉機以下わずか5機での出撃であったが、進襲隊はその高い操縦技術を遺憾なく発揮して、巧みな攻撃でわずか4分間という間に4隻のアメリカ軍艦船に次々と突入した。また、突入する際も訓練通り、艦艇の重要部分に突入しており、駆逐艦「ガンズヴォート(英語版)」には艦の中央部分に命中し、船体にかつて応急修理要員が経験したことのないレベルの重篤な損傷を被り、適切なダメージコントロールで沈没を逃れるのがやっとであった。水雷母艦「オレステス(魚雷艇補給艦) (英語版)」にも中央部分に突入し、艦は大破炎上して航行不能となり大量の死傷者を出し、どうにか沈没を逃れると、他の艦に曳航されてアメリカ本土に帰還し、以後終戦まで戦線に復帰することはできなかった。また、航空燃料40,000バレル、ディーゼル油23,000バレルを満載したタンカー「ポーキュパイン(艦隊給油艦)(英語版)」に対しては、少しでも特攻の効果を上げるため、まずは上甲板に爆弾を投下したあと、そのまま機体ごと突入した。爆弾の爆発で喫水線に大穴を開けると、特攻機の航空燃料により発生した火災が「ポーキュパイン」の積載燃料に引火し、あまりの猛烈な火災となって消火することが困難となったので、「ポーキュパイン」は大量の燃料を積載したまま処分された。駆逐艦「プリングル」にも大きな損害を与えて修理のために戦線離脱させたが、「プリングル」はこのあとの沖縄戦で特攻によって沈没している。この4隻合計でアメリカ軍に243名もの大量の死傷者を被らせたが、出撃5機のうち4機命中という高い有効率であって、「進襲隊」は期待に違わぬ大戦果を挙げた。さらに、富永は「進襲隊」の高い操縦技術に期待して、特攻出撃前の12月27日に飛行場攻撃の通常任務も命じていたが、その攻撃でミンドロ島のヒル飛行場の容量1,000バレルのガソリンタンクの爆破にも成功しており、大量の燃料の損失はこの後の連合軍の進攻計画を大きく狂わせたが、マッカーサーによれば、特に大量の航空燃料の損失が、航空作戦に大きな影響を及ぼしたということであった。 ミンドロ島で、富永が指揮する特攻機に多大な損害を被った司令官のストラブルは「自殺機がひとたび突撃を開始したら、猛烈かつ正確な射撃以外は、何ものもこれを阻止することはできない。こうした種類の航空攻撃と戦うためには、緊密な相互支援が必要である」と報告している。
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