ムハンマド・アリー朝と植民地化とは? わかりやすく解説

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ムハンマド・アリー朝と植民地化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 21:59 UTC 版)

エジプトの歴史」の記事における「ムハンマド・アリー朝と植民地化」の解説

1848年ムハンマド・アリー死去した実績ある後継者であったムハンマド・アリー息子イブラーヒーム・パシャ早世したためムハンマド=アリ-の孫アッバース・パシャ(アッバース・ヒルミ1世在位1848年-在位1853年)が総督位を継承したアッバース・パシャ以降エジプト総督」たちはオスマン帝国領という形式破棄しエジプト正式な独立国とすることに多大な努力払ったが、最終的にオスマン帝国滅亡するまでそれが達成されることはなかった。 ムハンマド・アリー朝歴代総督ワーリー)たちはそれぞれに独立、またはエジプトの法地位の向上目指した。アッバース・パシャヨーロッパ諸国対す不信感ムハンマド=アリー対す反感などから、ムハンマド・アリー以来ヨーロッパ式改革止め外国人顧問追放し学校の閉鎖などを行った一方でオスマン帝国ギュルハネ勅令タンジマート呼ばれる改革端緒となった勅令)に基づいた法律エジプト適用することを求めた際には、鉄道建設許可を軸にイギリス歓心を買い、エジプト特殊な地位配慮する形に修正して導入成功した1853年暗殺されアッバース・パシャの跡を継いだサイード・パシャ在位1854年-1863年)は、アッバース・パシャとは逆にヨーロッパに範をとった諸改革実施し一般的に開明君主」として高い評価受けている。彼の改革には行政機関・軍におけるアラブ人差別待遇軽減奴隷貿易廃止税制再編や、私的土地所有権確立などがあり、効果的でないものもかなりあったが、後のエジプト社会大きな影響を残すことになる。とりわけ彼の時代地位を向上させたアラブ系士官たちは19世紀末民族運動中枢を担うことになったサイードフランス接近してエジプト外交的地位の向上を目指しクリミア戦争ではオスマン帝国兵力提供して関係改善図ったサイード決断中でも特に重大であったのはフランス外交官フェルディナン・ド・レセップスへのスエズ運河建設許可であったサイードはこの運河エジプト国力増強し、その戦略的な重要性によってムハンマド=アリー朝世襲総督位を安定させるであろうことを期待した。だが、運河建設エジプトにとって極めて不利な条件進められ建設費負担によって最終的に巨額対外債務残されることになったこの頃バルカン半島でのキリスト教徒諸民族独立運動や、露土戦争などでオスマン帝国苦境に立たされていた。エジプト総督となったイスマーイール・パシャ在位1863年-1879年)はワラキアとモルダヴィアクレタ島での騒乱軍事力提供し、また賄賂送金額の増額提示してエジプト諸外国関税協定締結する権利総督ワーリー)にかわってアズィーズ称号用いるなどの諸特権求めたオスマン帝国難色示したが、困難な交渉によって1867年6月8日アズィーズではなく副王(ヘティーヴ)の称号認められエジプト外国代表と「取り決め」を締結する権利などが認められた。 この頃アメリカで起こった南北戦争綿花ブーム引き起こし、その余波によって積極財政が可能となったイスマーイール・パシャエジプトを「アフリカではなくヨーロッパ一部とする」と豪語し大規模な開発事業行いスエズ運河建設費用負担履行することを約束した。しかし、南北戦争終結と共に綿花ブーム去り収入減少したにも関わらず積極財政継続され対外債務膨れ上がった。 1875から1876年にかけてエジプト財政危機に陥り、イスマーイール・パシャ1876年11月にはスエズ運河株式イギリス売却する至った。この行動エジプト財政危機市場印象付け公債価格暴落によってますます資金調達困難になっていった。この財政危機関連してイギリス政府からエジプト財政調査を行うためにスティーヴン・ケイヴ(Stephen Cave)が派遣された。彼はエジプト財政実質的に破綻状態であることを報告しており、これを機にヨーロッパ諸国によって公債整理委員会英語版)(the Caisse de la Dette)が組織された。公債管理委員会エジプト内政強力な干渉行い歳入多く返済充てさせた。エジプト人の反感が強まる中、イスマーイール・パシャヨーロッパ人影響力取り除くべく策動したが、イギリスフランスオスマン帝国イスマーイール・パシャ退位させるように圧力をかけ、1879年6月26日イスマーイール・パシャ退位させられた。 替わってタウフィーク・パシャ在位1879年-1892年)が即位したが、歳出削減皺寄せを主に受けていたアラブ系士官たちは不満を強め、彼らの支持受けた民族主義派の軍人アフマド・オラービー大佐影響力拡大させた。1881年1月、オラービーはチェルケス系・トルコ系士官優遇し歳出削減余波アラブ系士官集中させていた差別待遇撤廃政府要求した政府側はオラービー及び彼と同調したアリー・ファハミー大佐、アブドゥルアール・ヘルミー大佐逮捕し排除することを目論んだが、彼らの指揮下の兵士たち軍法会議最中乱入しオラービーらを実力解放したその後オラービーは副王タウフィーク・パシャ圧力をかけ内閣民族主義派の人事認めさせた。以降、オラービーらの主導と軍の圧力によって行われた一連の改革体制転換運動オラービー革命呼ばれている。 オラービーはヨーロッパ人による債権管理体制転覆目指しヨーロッパ協調的であったタウフィーク・パシャは全くこれに抗う術がなかった。エジプト副王対す多大な影響力背景として債権回収目指していたイギリス・フランスタウフィーク・パシャへのテコ入れ乗り出し1882年7月偶発的な暴動切っ掛けにしてイギリス軍エジプト進駐し、オラービーらを排除した以降イギリス総領事兼代表イヴリン・ベアリングクローマー卿)がエジプト内政管理するようになり、エジプト実質的にイギリスの植民地支配下に置かれるようになった。このイギリスの支配体制極めて特異な法的地位持っており、エジプトは「オスマン帝国領」でありながら事実上独立したムハンマド・アリー朝世襲君主副王)の統治下に置かれ実質的な支配副王コントロールするイギリス高等弁務官の下にあった。インドルートの関係からエジプト安定させる必要があったイギリスエジプト財政経済再建尽力し短期間のうちにそれを達成するとともに官僚機構綱紀粛正インフラ整備行ったまた、エジプト支配化のスーダン発生していたマフディーの反乱を、その指導者マフディー死後の1896年鎮圧しスーダンエジプトイギリスの「共同支配」の下に置かれることとなったアングロ・エジプト・スーダン)。 イギリスの支配エジプト経済民生改善大きな成果もたらしたが、それでもなお植民地支配の一形態であることには違いなかった。エジプトにはイギリス紡績産業原料供給地としての役割期待されイギリスの統治通じてエジプト経済モノカルチャー化が進展し20世紀初頭にはエジプト輸出における綿花割合80パーセント超えた。これはエジプト経済構造的問題として後に深刻な影響を残すこととなる。 イギリスエジプト内政躊躇なく介入したが、一方で言論の自由保障してもいたため、イギリスの支配下でエジプト言論活動はむしろ活発化した。外国支配への反発根強く、またムハンマド・アリー朝副王アッバース・ヒルミ2世在位1892年-1914年)もイギリス支配からの脱却志向した。しかし、民族主義奉ずるアラブ系言論人と「外国人」の王家であるムハンマド・アリー朝連携欠いた1914年6月28日オーストリア・ハンガリー二重帝国サライェヴォ発生したオーストリア皇太子フェルディナンド2世暗殺事件サライェヴォ事件)によって協商諸国(イギリス・フランス・ロシア)と同盟側(ドイツ二重帝国)の間で第一次世界大戦勃発すると、オスマン帝国同盟側に立って参戦し、さらにエジプト副王アッバース・ヒルミ2世もこれを機としてイギリス支配への対抗国民呼びかけた。これに対してイギリスはアッバース・ヒルミ2世退位追い込みエジプトオスマン帝国宗主権から切り離して保護国とすることを一方的に宣言した第一次世界大戦協商諸国勝利終わりオスマン帝国消滅したことでこの処置確定した

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